生環境構築史

第4号  特集:構築4の庭へ Imagining the Gardens of Building Mode 4 走向构筑4之庭

庭以前──旧石器人たちの暮らしと空間利用

藤田祐樹【国立科学博物館】

Before the Garden: The life and the space utilization of Paleolithic peopleMasaki Fujita【National Museum of Nature and Science】

在庭院以前——旧石器时代人类的起居与空间利用

Hunting-gathering people in Paleolthic period were nomadic and did not make garden. But they probably occupied the hunting ground and transported useful and familiar animals and plants in some cases when migrated to the unfamiliar islands. And also, recent excavation at Sakitari Cave in Okinawa Island revealed that Paleolithic people utilized the entrance area of this cave as living place, and the other entrance as burial place. They hunted animals at the river in front of the cave and sometimes went to the coast for fishing and collecting shells for making tools and ornaments. In this article, I will review these Paleolithic findings and try to explore the possible elements which consists of the modern gardens, in Paleolithic life.



人類が初めて道具や火を使うようになった旧石器時代。約250万年前に始まり、新石器時代へと移り変わる約1万年前まで続いた、とても長い時代である。その最初の担い手は、ホモ・ハビリスやホモ・エレクトスといった原人から、ホモ・ネアンデルターレンシスなどの旧人、そして最後に私たちホモ・サピエンスへと移り変わった。教科書的な定義としては、打製石器を用い、狩猟採集を行い、そして遊動生活を営んでいたのが旧石器時代である。庭が居住空間に付属する一定の領域であるならば、定住していない旧石器時代には、庭は存在しないと考えて間違いないだろう。

しかし、現代的な庭が、定住後のあるタイミングで突然に発明されたわけではなく、人類史のなかで段階的に発展してきたとすれば、その起源の一部は、ひょっとすると旧石器時代にまで遡ることがあるかもしれない。そこで、本稿では旧石器人(特にホモ・サピエンス)の生活や行動における空間利用を概観し、庭の萌芽的要素を認めうるか、考えてみたい。

旧石器時代の人類は、季節によって獲物を追い求めて移動し、各所で一時的な住み処を設ける遊動生活を営んでいたと考えられている。約250万年にわたる旧石器時代のなかで、狩猟技術やその他の食糧入手方法も変化していった。旧石器時代の最初期を担った原人たちの肉食は、死肉食から始まったと考えられている。動物の遺骸を見つけ、それを食用とする方法である。この事例として興味深いのは、ケニアのトゥルカナ湖畔で発見された190万年前の原人による多数の足跡である。他の動物の足跡に比べて原人の足跡が非常に多いことなどから、原人たちは湖畔線に打ち上げられた動物の遺骸を求めて複数人で繰り返し訪れていたと推測されているのである★1。特定の原人集団が訪れていたのか、複数の集団が利用していたのかは定かではないが、特定の場所を繰り返し訪れるという行為は、土地の占有につながる行動と見なすことができる。

やがて、旧人段階(ネアンデルタール人など)、そしてホモ・サピエンスへと進化するにつれ、私たちの祖先は、石器を装着した槍や、投槍器、かえしのついた銛、弓矢などを発明し、狩猟技術を高めていった。技術の発展に伴って、狩猟対象も大型獣だけでなく、小型動物や海産物利用へと多様化していく。こうしたなかで、狩猟者がより強い土地の占有を行っていたと推測される事例が、日本で発見されている。日本列島の各地で認められる世界最古の「陥し孔(おとしあな)」である。もっとも古いものでは約3万5千年前まで遡るそれらは、時に一定の間隔で列状に配置されている。獲物となる動物が頻繁に利用する場所に、効果的に配列したのだろう。神奈川県の船久保遺跡の場合、9,800平米の調査で27基の陥し孔が確認された。複数の陥し孔を掘るには相応の労力が必要だし、定期的に巡回して獲物の有無を確認したはずである。そうだとすれば、陥し孔の分布する地域一帯は、特定の旧石器人集団が排他的に利用していたと考えるのが妥当である。もっとも、当時は人口も少なく近隣集団がいなければ、占有は意図的ではなかったかもしれない。いずれにしても、旧石器人にとって陥し孔の分布域が、生活に欠かせないエリアだったことは間違いない。

船久保遺跡の方形・円形陥し孔の配列
筆者撮影



現代の庭では、空間を占有するだけでなく、草木を植えたり池をつくったり、自然の景観やその要素を取り込んでいる。こうした自然環境の要素を意図的に配置しなおす行為は、旧石器時代にも行われていた。例えば、東南アジアの島嶼域では、少なくとも1万3千年前ごろから島への移住に際して動物を運搬した事例が知られているし、ニューギニアでは有用植物の運搬、それにヒクイドリの卵を人工孵化し、飼育した可能性も指摘されている★2。ホモ・サピエンスはアフリカで20万年前ごろまでに進化し、その後、約5万年前から世界中に分布を広げ、すなわち慣れ親しんだ土地を離れ、新たな自然環境へと移り住んでいった。こうした過程で、慣れ親しんだ動植物の運搬は、不慣れな土地へと移住するとき、安心感をもたらしたかもしれない。もちろん、有用動植物を身近に配置することは、庭よりも農耕や牧畜の萌芽と捉えるべきかもしれない。しかし、自然環境の要素を人為的に移動させるという行為は、間違いなく旧石器時代にも行われていた。もう少し時代を下って日本列島の縄文時代(世界的には新石器時代に相当する)になると、こうした行為はもっと顕著になる。例えば、縄文時代中期から晩期(5,300~2,800年前)の下宅部遺跡では、湿地堆積で植物遺骸が豊富に保存されていたことから、植物利用に関するさまざまな情報が得られた。その分析から判明したのは、集落の周りにクリやウルシ、トチノキ、クルミなどの有用植物を植えていたことである★3。旧石器時代から新石器時代(縄文時代)にかけて、こうした自然を身近に管理する行為が、段階的に発展していったと考えてよさそうである。

こうした祖先達の行動や空間利用を遺跡出土の証拠から再現するのは簡単ではなく、とりわけ時代の古い旧石器時代にもなると、情報は限られてくる。先述のように足跡や陥し孔の分布から行動を推測できる事例は珍しいが、その他に、石器石材のように局所的に偏在する資源の運搬などから、大まかな行動範囲を推測できることもある。筆者らが2009年より調査を続けている沖縄県南城市のサキタリ洞遺跡では、洞窟とその周辺における旧石器人の行動を推測させる証拠が豊富に見つかった。那覇空港から車で40分ほど、沖縄島の南端に位置するサキタリ洞は、雄樋川の流れが形づくった長大な洞窟群のなかでも、最も古くに形成された洞窟のひとつと考えられている。東西に開く洞口から柔らかな日差しが注ぐ約620平米のホールは、現在、ケイブカフェとして地元の方々や観光客を楽しませている。現代人がコーヒーを楽しむこの洞窟で、今から約3万年前、旧石器人たちも暮らしていた★4。

旧石器人が生活や墓地として、現代人はカフェとして利用するサキタリ洞



この洞窟は、旧石器人にとって雨風をしのげるだけでなく、目の前を流れる雄樋川でモクズガニを捕獲できることが魅力だった。その証拠として、たくさんのカニの殻が遺跡から発見されており、近隣遺跡ではイノシシやシカ化石が見つかるのに、サキタリ洞ではイノシシやシカは少ししか見つからないため、旧石器人はカニやカワニナなど川の動物を好んで捕食していたと推測できる。秋の夜、旬を迎えたモクズガニは、海で繁殖するため一斉に川を下る。それを、明かりを片手に待ち受けるか、かご罠で捕まえるのが現代の一般的なモクズガニ漁だ。紙面の都合で詳細は省くが、この遺跡は秋に限定して利用されたことが判明しているため、現代と同様に旧石器人も旬を迎えたモクズガニを好んでいたらしい。夜行性のモクズガニとともに、同じく夜行性のオオウナギの骨も見つかったので、川でのカニ、ウナギ漁は夜間に行われていたのだろう。

では、昼間は何をしていたのかといえば、貝殻で多様な道具や装飾品をつくっていた。発掘された沢山のカニの殻や魚の骨に混ざって発見された、木材加工に用いる貝製の削り具、魚を釣るための貝製釣り針、小さな二枚貝や巻き貝に孔を開けたビーズなどは、いずれも旧石器人がつくり、使い、あるいは、その身を飾ったものである。材料となる貝殻は、もちろん海辺で集めたのだろう。雄樋川に沿って5~6kmほど下ったあたりに、当時の海岸線があったと推測されている。彼らはそこで貝殻を集め、食用とすべく魚を獲り、それらをサキタリ洞に持ち帰って加工していたのである。

出土した遺物のなかには、つくりかけで折れた釣り針や、小さな貝殻の破片もあった。前者はおそらく失敗作で、後者は貝殻を割ったときにできた破片である。これらは、旧石器人が持ち帰った貝殻をこの洞窟で加工していたことを意味する。大量に出土するカニやカワニナに混ざっているから、食事をしたのと同じ場所で貝製品をつくっていたのだろう。こうした遺物が豊富に見つかったのは、雄樋川に面した西側洞口付近の堆積物である。すなわち、川へのアクセスがよい西側洞口の岩陰部分が、貝殻を加工し、調理・食事をする場だったということだ。旧石器人がつくっていたのは、貝製品だけではない。貝製品を顕微鏡で観察すると、いくつかには木材加工に用いた微細な傷が認められた。ということは、これらの貝製品で何かしらの木製品もつくっていたことになる。それに、釣り針やビーズがあるから、釣糸やビーズを通す紐も持っていたはずだ。こうした木材加工や紐を作る行為も、同じ西側洞口で行われたに違いない。具体的にどんな木製品か、紐の素材は何なのか、わからないことも数多くあり、旧石器時代の生活を完全に再現することは難しい。しかし、発掘調査の成果を丁寧に見ていくと、断片的な証拠からも旧石器人の洞窟利用を窺い知ることは十分にできる。

サキタリ洞の旧石器人が作った貝の釣針、削り具、ビーズ、石器
沖縄県立博物館・美術館



彼らは西側の洞口付近を調理・食事の場とし、また貝製品や木製品、それに紐などを製作するアトリエとして活用していた。生活で出た不用品(ゴミ)は、定期的に掃除して洞窟のなかに放り込んだらしい(私たちが発掘したのが、これだ)。目の前を流れる雄樋川はカニやウナギを捕える漁場であり、川を下った海岸は、漁猟や貝殻集めの場として機能していた。サキタリ洞の周囲に広がるこうした領域を、旧石器人は毎年、秋に使っていた。

旧石器時代に狩猟・採集の場となった雄樋川
著者撮影



この洞窟には、もうひとつ役割があった。それは、埋葬の場である。旧石器人が調理場やアトリエとして利用していた西側洞口とは、大きなホールをはさんで反対側、東側洞口の壁際から、その証拠は見つかった。年代不確定ながら1万年前より古い時代の、成人の埋葬墓が発見されたのである★5。楕円形に掘った墓孔に、遺体を仰向けに横たえて土で覆い、その上に墓石を配した。胸の上に、ひときわ目立つように立ち上がった石がひとつ、顔、腕、腹の上に、平たい石をひとつずつ置いていった。その後さらに土を被せたが、遺体の上に配置された全部で4つの石の先端は、おそらく地上に出ていて墓石として機能した。

サキタリ洞は旧石器人にとって、秋に訪れる場所である。冬になるとカニも捕れなくなり、ウナギも姿を見せなくなるため、旧石器人は別の狩猟・生活の場を求めて移動した。移動した先はまだわかっていないが、冬を忍び、春を迎え、夏が過ぎると再び、彼らはサキタリ洞に戻ってきた。旧石器人たちは約3万年前から1万4千年前まで、こうした生活を続けたのである。1年ぶりに洞窟を訪れたとき、墓の上に置いた大きな石は、その下に家族が眠っていることを思い出させてくれたことだろう。これまでの調査で、墓の周囲から生活の痕跡は発見されていない。ということは、サキタリ洞のなかで、普段の生活であまり使わない東側に墓を設けたのかもしれない。西側洞口から洞内にゴミを捨てていたから、その場所を避けたのだろうか。あるいは、朝日のあたる東側にと、亡き家族を思いやった可能性もある。

墓孔に遺体を寝かせ、石で覆った旧石器時代の墓
沖縄県立博物館・美術館



いずれにせよ、旧石器人にとってサキタリ洞とその周辺は、いろいろな側面で重要な場所だった。そこには、雨風をしのげる十分な空間、狩猟・漁猟場所たりえる眼前の川、貝殻や魚を得る海へのアプローチの利便性、埋葬場所を設けられる空間など、必要十分な空間構成が備わっていた。私たちの調査で見えてきたのは、沖縄旧石器人の遊動生活の一部にすぎないが、十分に機能的な空間利用が、そこでは行われていた。そしてまた、秋になるたびにこの場所に来ており、こうした利用が旧石器時代の長い期間にわたって繰り返されたということは、サキタリ洞は旧石器人にとって居心地のよい、安心できる空間であったことも間違いないだろう。

旧石器人によるサキタリ洞と周辺の使い分け
著者作図、イラストは沖縄県立博物館・美術館「サキタリ洞むかしばなし」より



こうした旧石器人の空間利用のなかに、現代的な意味での庭は、旧石器時代には存在しない。しかし、私たちが我が家で家族とともに心穏やかに暮らしているように、旧石器人はサキタリ洞とその周辺領域で暮らしていた。サキタリ洞に限らず、世界中の様々な場所で、旧石器人たちは同じように居心地のよい空間を見つけ、その周辺を利用していたはずである。やがて、そうした空間に有用な動植物を人為的に移動させたり、森林伐採など周辺環境を人為的に改変したりしながら、旧石器時代から新石器時代へと移り変わり、定住的な暮らしを営むようになっていったのだろう。その中で、庭がいつごろから出現するのか、私には十分な知識がない。しかし、自然環境の要素を人為的に身近に配置させたり、一定の区域を占有したり、さまざまな活動を行う一定の空間とその周辺領域を区別したりといった旧石器人の行為は、遠い時間を隔てた現代の暮らしの中にある行為と同じなのかもしれない。



参考文献
★1──Roach N.T. et al., "Pleistocene Footprints Show Intensive Use of Lake Margin Habitats by Homo Erectus Groups" in Scientific Reports 6.1 (2016): 1-9.
★2──Douglass K. et al., "Late Pleistocene/Early Holocene Sites in the Montane Forests of New Guinea Yield Early Record of Cassowary Hunting and Egg Harvesting" Proceedings of the National Academy of Sciences 118.40 (2021).
★3──工藤雄一郎+国立民族博物館編『ここまでわかった! 縄文人の植物利用』(新泉社、2014)
★4──拙著『南の島のよくカニ食う旧石器人』(岩波科学ライブラリー、2018)
★5──山崎真治編「沖縄県南城市サキタリ洞遺跡発掘調査報告書I」(沖縄県立博物館・美術館、2018)



ふじた・まさき
1974年生まれ。2003年に東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。沖縄県立博物館・美術館の人類学担当学芸員を経て、2017年より国立科学博物館人類研究部に研究主幹として勤務。沖縄を中心に旧石器時代遺跡調査を実施している。著書に「南の島のよくカニ食う旧石器人」「ハトはなぜ首を振って歩くのか」(ともに岩波科学ライブラリー)など。

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