生環境構築史

第9号  特集:
No Lime, No Life──石灰岩のない人生なんて No Lime, No Life — Living with Limestone 没有生命,就没有生活:没有石灰石的生命

藤森照信インタビュー:石灰岩による世界構築の歴史とその特徴

藤森照信+伊藤孝+中谷礼仁+松田法子【建築史家、建築家/HBH同人】

Interview: The History and Characteristics of Limestone WorldbuildingTerunobu Fujimori+Takashi Ito+Norihito Nakatani+Noriko Matsuda【Architectural Historian, Architect/HBH editors】

访谈:石灰岩世界构建的历史与特点

As part of the special feature "No Lime, No Life" for the 9th issue of the webzine “Habitat Building History” (HBH), we interviewed architectural historian and architect Terunobu Fujimori. The main theme was the relationship between humanity and limestone.

Dr. Fujimori explained how human spatial awareness and architecture developed through two important processes.

The first process is how Paleolithic people used limestone caves. They did not use caves as one single space. Instead, they clearly separated it into "places for living" and "places for praying." Cave paintings were created specifically in these places for praying. He also pointed out that living alongside hibernating animals in caves might have led to Earth Mother worship. This experience inside the earth eventually developed into the concept of the architectural "interior."

The second process is the shift in awareness that started with agriculture. Farming brought a new focus on the "sun." People's attention moved from the ground to the sun, always looking "upward." This upward focus encouraged the growth of megalithic structures, such as pyramids and obelisks. These tall structures pointing to the sun led to the development of the architectural "exterior."

The "interior" was born from caves held by Mother Earth, while the "exterior" was born from giant stones reaching for the sun. Dr. Fujimori showed how humanity's early relationship with rocks and nature formed the two basic sides of architectural space.


[2026.2.28 UPDATE]




話者:
藤森照信(建築史家、建築家|東京都江戸東京博物館)
-
参加者:
伊藤孝(地質学・鉱床学・地学教育|茨城大学)
中谷礼仁(建築史・歴史工学|早稲田大学)
松田法子(建築史・都市史|京都府立大学)
-
テキスト作成:
贄川雪(編集者)





伊藤──初期の人類にとって石灰岩の洞窟は貴重な住居と考えられています。最初の芸術も、その洞窟の中の石灰岩や大理石に描かれた壁画でした。また、エジプトのピラミッドには花崗岩も使用されていますが、そのほとんどは石灰岩です。その後、ギリシア文明のなかで制作された彫刻の主な素材も、石灰岩が変成作用を受けた大理石でした。また遠い過去だけではなく現在の身近な環境に目を向けてみても、私たちが日常を過ごしている大学の校舎やマンションなど、さまざまな建物を形づくるコンクリートのセメントも、石灰岩から製造されています。

このように、歴史を振り返ると、あらためて人類と石灰岩とは、何万年ものあいだに渡って切り離せないかかわりを持ってきたことがわかります。そこで本日は、「人類と石灰岩」をテーマに、建築史家・建築家の藤森照信さんにお話をうかがいたいと思います。

大理石と漆喰

藤森──昔から、建築で石灰岩がたくさん使用されてきた理由の一つは、材質として軟らかくて加工がしやすかったからでしょう。そしてもう一つは、やはり美しかったからではないでしょうか。ほとんどの岩石や土は黒や茶色ですが、石灰岩はわりと明るい色味をしているため、とても重宝されたと思います。

おそらくピラミッドも、造られた当時は真っ白だったんじゃないかな。きっとそうだろうと私が思ったのは、メキシコの《テオティワカン遺跡》で《太陽のピラミッド》や《月のピラミッド》を見たときでした。マヤ文明が栄えた地域は、石灰岩からなります。またこれらのピラミッドは、エジプトのピラミッドと違って、あらゆる斜面に尖った石が30センチほど突き出している。おそらく、表面に大理石の粉を溶いた漆喰のようなものを厚く塗布していたのが、月日を重ねるうちに溶け落ちてしまった。そしてそれを留めていた尖った石だけが残ったことで、現在のような石がゴツゴツと突出した形状になったのではないかと思います。石灰岩の白というのは、いつの時代においても基本の色です。おそらくピカピカ輝いて、太陽を象徴したのではないでしょうか。



《テオティワカン遺跡》のピラミッド。表面の尖った石は、表面に塗布された漆喰のようなものを留めていたと考えられる
撮影=藤森照信


かつて、漆喰の作り方を調べたことがありました(詳細は、藤森照信『藤森照信、素材の旅』新建築社、2009年)。石灰岩を高温で焼いて生石灰(酸化カルシウム)をつくり、さらに水を加えて消石灰(水酸化カルシウム)をつくります。この消石灰に糊や藁(わら)を加えたものが、一般的な漆喰になります。石灰岩が採掘できない地域では、アサリやハマグリ、カキなどの貝を焼いて作った貝灰が代用されてきました。私のふるさとでは、諏訪湖で採れる馬鹿貝を焼成した貝灰から漆喰をつくっていたようです。他にも、古墳やお墓から得られた人骨や牛の骨を焼いてつくる地域もあったといいます。

また、漆喰といって私が思い出すのは、明治6年(1873年)に完成した《銀座煉瓦街》(赤れんが)の街並みの遺跡を発掘したときのことです。土中の基礎の石の段積みをバールで崩し、その中の石の一つを持ち上げて目地材に何が使われていたのかを調べてみた。当時、銀座の煉瓦街ではセメントが使われたと言われていましたが、実際に砂入りの白い漆喰と、灰色のセメントのどちらが使われていたのか、技術史的な興味があったんですね。

すると、石のあいだに挟まっていた物質は透き通っていて、爪でひっかくとゼリーのようにはげる、なんとも奇妙な代物だった。こんな目地材は見たことも聞いたこともないから、研究室に持ち帰ったんです。翌日、それをもう一度見てみると、透明だった物質はただの白い漆喰に変化していました。なんのことはない、要するに、ただの漆喰が施工されてすぐに土中に埋められて空気を断たれたために、空中の炭酸ガスと反応して硬化するチャンスが失われた。そしてずっと土中に潜むあいだに、おそらく結晶化のような反応が起きて透明になり、それが掘り起こされて空気に触れ、私の机の上で120年ぶりに念願の硬化を果たすことができた、というわけです。漆喰は生きものであると、このときに知りました。

洞窟壁画と地母信仰

藤森──旧石器時代の壁画として有名なスペイン北部の《アルタミラ洞窟》やフランス南部の《ラスコー洞窟》は、ともに石灰岩の洞窟ですね。《ラスコー洞窟》は1940年の発見からしばらくは開放されていましたが、見学者によって炭酸ガスが流入すると壁画が劣化してしまうため、現在は見学ができなくなっている。代わりに、本物からすぐ近くに《ラスコーII》というレプリカが用意されていますが、それもたいへん精緻に再現されており、素晴らしかった。しかし、ラスコーの壁画の実物を見たことがある現地の考古学者に「とても感動した」と話したところ、「本物とは比べものになりませんよ」とはっきり言われた。それはなぜかと尋ねたら「本物は表面が濡れている」というんです。本物は、石灰分を含んだ水が岩の割れ目や気孔から侵入して壁画を覆い、長い年月のうちにそれが凝固して、壁面の上層に光沢のある透明な層を形づくっているといいます。

「洞窟壁画」と言われると、洞窟に住みながら近くの壁に描かれたように思うかもしれませんが、絵の描かれた洞窟空間と人が住んだ洞窟の空間では、まったく条件が違います。同じ洞窟でも、人が住むのは入り口近くで、絵を描くのはずっと奥なんですね。《ラスコー洞窟》と同じヴェゼール渓谷にある《ルフィニャック洞窟》では、小型のトロッコに乗って、地下のかなり奥に描かれた壁画を見学できます。実際に、洞窟の入り口には人類が暮らした痕跡がある。そしてもう少し進んでいくと、ホラアナグマの冬眠痕がたくさん残っています。そしてさらに十数分も奥へと進むと、ようやく壁画がドーンと現れる。光が届くとか届かないというレベルの空間ではなく、何キロも地下に潜ったその先の暗闇の中に、壁画は描かれているんですね。

また、同じフランス南部で1994年に新しく発見された《ショーヴェ・ポンダルク洞窟》は、《ラスコー洞窟》の壁画よりもさらに1万7000年前に描かれたと考えられています。驚いたのは、この《ショーヴェ・ポンダルク洞窟》でも、クマの冬眠の痕が、人の足跡を避けるように点々と残っていたことです。解説者は「もちろん、クマと人間が一緒にいたとは考えられない。どうしてこのようになったのかはわからない」という話だった。

私はそれを聞いて、人類が生命の起源を洞窟の中に求めたのは、クマの冬眠を見ていたからじゃないかと考えたんです。冬に洞窟に入っていったクマは、春先になると産んだ子グマを連れてのこのこと洞窟から出てくる。そこから、生命というものは洞窟の中で死から生へと巡回していると考えたんじゃないか、という気がしたんですね。

生命が土の中から現れるというのは、一種の地母信仰です。洞窟絵画に描かれているもののほとんどが、バイソン(野牛)やウマ、シカ、マンモスといった獲物であることも、彼らにとってこれらの動物が食料として重要だったからですね。動物は、死ぬと穴の中へと魂が戻り、またそこで再生して形をもって蘇り、地上に現れる。それをまた自分たちが獲る。こうした生と死が循環する空間が洞窟だったのだろう、と考えたわけです。

だからこそ、このような祈りのための空間は、住まいとしての洞窟とは離れているし、地上の音や光が完全に届かない場所である必要があったのでしょう。そしてまた、こうした豊穣を祈るための空間の壁に絵が描けたというのは、すごく重要なことだったはずです。とても硬い御影石のような石では、絵を描くことは難しかったでしょう。かたや石灰岩はすぐに削れるし、白っぽい明るさがある。そのため、自然の中で採集した赤土や木炭を血や樹液で溶かしてつくった、黒や赤、褐色などの顔料を使って着色も可能だった。

日本人にも、地母信仰の感覚がありますね。実際に日本神話でも、地の底が諸物を生み出す特別な場所であるように描写されています。それがおそらく、旧石器時代の信仰の自然なあり方だったのでしょう。

藤森照信先生へのインタビューの様子。タンポポハウスにて

建築の発生 インテリアとファサードの起源

藤森──このように、旧石器時代の地母信仰において洞窟は祈りの場所だったわけですが、それは基本的に建築化されていないんですね。自然の洞窟をそのまま利用しているし、外から眺めると何か特別なつくりがなされているわけでもありません。入ってようやく、そこが特別な空間だとわかる。壁画によって彩られた「内部空間(インテリア)」のみが、そこが聖なる場所だと示していたわけです。つまりインテリアの起源は、旧石器時代の洞窟なんじゃないかと思うわけです。

しかしその後、新石器時代になって人間は農業を始めます。すると、農産物が太陽の光の力によって生まれ育つと知るようになり、地母信仰の上に太陽信仰が重なっていった。そして、太陽に向けて巨石を立てたり積み上げて信仰を示すようになるわけです。いわゆる巨石文化ですね。それらは当然、洞窟のような自然発生的なものではなく、王の号令の下で人々の手によって作られた。それがイギリスの《ストーンヘンジ》やフランスの《カルナック列石》といったスタンディング・ストーンだった。

要するに、ここで造形物に「高さ」が生まれたわけです。太陽への信仰だから、やはり祈りのための太陽に向けての高さが必要なんですね。でも高さがあるだけでは、まだ建築とは呼べない。それに、ただ石柱を立てるだけでは不安定だし、得られる高さにも限界がある。そうすると、今度は石を積むことで高さを獲得するようになる。こうして横幅が備わったことで、ようやく「外観(ファサード)」が生まれたのではないか、と考えた。

中谷──いったんここまでのお話をまとめると、まず建築の内部(インテリア)と外観(エクステリア)は別々に生まれてきた。そしてインテリアの方が古く、旧石器時代の洞窟の空間がインテリアの起源であり、それは洞窟が石灰岩でできたものだったことが大きく寄与したのではないか、ということですよね。それは非常に重要な指摘だと思います。

私は、2013年にサバティカルでプレート境界を旅した際に(詳細は、『動く大地、住まいのかたち プレート境界を旅する』岩波書店、2017年)、インドネシアの南スラウェシ島にある《リアン・リアン先史時代洞窟跡》(Leang Leang Archaeology park)に行きました。石灰岩のカルストの中にスポンジのように横穴が縦横に空いていました。その遺跡で私が驚いたのが、子宮にいた頃の中の記憶なんて当然あるわけないのですが、空間からまさにそんな印象を受けたことでした。自然の造形によって、地中に丸い空間ができている。これはやはり、石灰岩のカルスト台地の中に生まれた鍾乳洞のような空洞だからこそのものでしょう。玄武岩などのマグマ由来の岩石では、おそらくこんなふうには形成し得ない。

《リアン・リアン先史時代洞窟跡》の横穴住居の子宮様のインテリア
撮影=中谷礼仁

《リアン・リアン先史時代洞窟跡》の横穴住居内の絵画
撮影=中谷礼仁

《リアン・リアン先史時代洞窟跡》付近のマロス集落の風景。多数の石灰の奇山群
撮影=中谷礼仁


また、《アルタミラ洞窟》や《ラスコー洞窟》も、やはり人間が掘ったのではなく、自然の穴なんですよね。こうした自然の穴にはなにか人間を惹きつけるような魅力があります。それが外部には関係ない自立した祈りの世界を人間に与え、そこからインテリアが誕生したというわけですね。

藤森──インテリアについては、そうでしょう。また建築の外観については、先ほど少しお話ししたように、まず純粋な「高さ」があって、それが石を積むようになり、次第に横に広がることで立面(エレベーション)が発生します。だから外観の起源は、おそらくピラミッドにあるでしょう。しかしこの段階では、エレベーション以外の要素、例えば構造やインテリアや平面といったものはまだできていません。ピラミッドに構造がないわけではありませんが、とはいえ石を積み上げただけですから。それにインテリアは、おそらく地母信仰から発生しているので、太陽信仰のピラミッドにはまだなかったでしょう。いずれにしても、ピラミッドにおいて「外観」は成立したと考えられる。そして、こんなふうに、建築には構造、インテリア、平面、外観、高さなどさまざまな要素があるけれど、それらは人類史上まったく別々に発生した、そしてそれらがあるとき統合された。このようにして、人類は〈建築〉を手に入れたのではないか、というのが私の考えなんですね(詳細は、藤森照信『人類と建築の歴史』筑摩書房、2005年)。

中谷──インテリアとエクステリアは成立が違っていたというのは、藤森先生のたくさんの歴史の説の中でも、とても重大な仮説だと思います。

伊藤──そこに石灰岩の性質が大きく関与しているのではないか、というのも非常に興味深いですね。

中谷──ところで、スタンディング・ストーンは石灰岩とは限らないのでしょうか。

藤森──どうだろう。スタンディング・ストーンは世界中をまわって山ほど見てきましたが、はっきりそうとは言えないかもしれない。そもそも、石は専門家は見るだけで判別できるものなんですか。

伊藤──地質学者でも、得手不得手がありますが、肉眼鑑定がやたらに得意な人はいますね。しかしやはり、遺跡の岩石観察はとても難しいです。表現が風化していたり、苔むしていたりと。そもそもなんで地質学者がハンマーをもって調査にいくかというと、そういう部分をハンマーで叩いて割って、風化していない部分を露出させるためです。それでやっと岩石の特徴を把握できる状態になる。貴重な遺跡では当然それができないので。

中谷──エジプトのルクソールの遺跡群は、おそらくほぼルクソールの石灰岩でつくられていると思われます。しかし面白いのがラムセス2世で、ラムセス2世の出身はナイルデルタ東部の「ペル・ラムセス(またはピ・ラムセス)」周辺が有力な出身地と考えられている。そしてその地方は、花崗岩の産地なんですね。それで、ラムセス2世はそこからわざわざ持ってきた花崗岩のオベリスクをルクソールに建てています。それがやはり当時の権力の象徴だったわけですよね。「お前たちにはできないだろう」と。そんなことからも、オベリスクのようなものは、やはり石灰岩よりは花崗岩や黒曜石などの硬い岩石が良いとされたのかもしれません。

ラムセス2世による花崗岩製のオベリスク(ルクソール神殿)
撮影=中谷礼仁


感覚的ですが、石灰岩というのは、旧石器時代の地母信仰で女性的なイメージだった。しかしそれが新石器時代になって農耕社会に変わると、花崗岩のような、なんだか硬い男性的な世界へと移ろっていく。そういうイメージは確かにしっくりくるところがあります。

これからの建築と石灰

松田──近代以降の石灰岩と建築の関係についても、お尋ねしたいと思います。世界では、石灰岩は積んだり貼ったりして表立って使われてきましたが、近代以降は粉状にして、ガラスやセメントに混ぜ込まれて使用されるようになりますよね。日本では、漆喰のように元々粉末状にして仕上げとして塗布していたのがエジプトやヨーロッパとは違う歴史ですが、やはり近代以降には世界的な建築の変化と相まって、ガラスやセメントの原料として、建築の中身に使われていくようになる。つまり近現代建築では石灰岩は表立っては見えづらいものになっていくように思うのですが、では近代以降、建材としての石灰岩や石灰は他にどのように利用されていったと考えられますか。

藤森──おっしゃるように、近代以降はもう圧倒的にセメントですね。日本では、江戸時代は漆喰を多用していましたが、近代になると、産業としてセメントが定着していった。石灰とコンクリートでは強度があまりに違うこともあり、基本的にはコンクリートになっていきました。だから石灰は、建材としてあまり表出せず、材料の一部として混ぜ込まれていく。ただヨーロッパでは、近代的なコンクリート建築をつくった建築家たちも、最初は仕上げに漆喰系塗料を塗って白くしていました。ル・コルビュジエも、最初はそうしていたんですね。コルビュジエ以上に白さを徹底的に追求したのが、ヴァルター・グロピウスでした。多くの建物で、鉄筋コンクリートや煉瓦の壁の上に、真っ白な漆喰を塗っていますね。

松田──答えるのがやや難しい質問かもしれませんが、今日お聞きしたような人類と石灰岩の長い関係を踏まえたうえで、今後の建築と石灰岩の関係、あるいは人間が何かをつくることと石灰岩との関係はどんなふうになっていくと思われますか。もし何かお考えがあれば、お聞かせください。

藤森──現代において、我々が日常的に手に入れられる建材で、「表面を粗くする」ことができるのは石灰だけだと思います。コテが、手の動きをそのまま反映する。日本ではまだ左官の技術が辛うじて生きているし、最近また左官が重視されてきていますね。それは石山修武の功績だと思います(笑)。彼が《伊豆の長八美術館》で採用した左官技術の仕上げは本当に印象的なものだったし、私もやってみようと思わされた。こうした表現という点においては、まだまだ可能性はいろいろあるでしょうね。

中谷──今日は、石灰岩が原始においてはインテリアに深く関わるものだったということを確認でき、とても良かったと思います。そして現代では、石灰岩や石灰は表層を塗るものになっていて、そういうものの中に辛うじてそのスピリットが残っているように思います。たしかに、漆喰のこの白さは、どこか心地良さを感じられるものですね。

藤森──漆喰の白さはギラギラしていないし、光を鏡のように直接的に反射もしない。それでいて光を吸収しながら柔らかく発光してくれるような、ものすごく目に優しい白さを持っている。表面の粗さやざらつきが関係しているのだと思います。

中谷──おっしゃる通り、漆喰の白さは純白ではなく、オフホワイトなところがまたいいんですよね。やはり骨などに関係している気がします。

藤森──我々の内にある白、なんでしょうね。


藤森照信先生



[2025年11月6日、タンポポハウス+オンラインにて収録]



ふじもり・てるのぶ 1946年長野県生まれ。建築史家、建築家。東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。1983年『明治の東京計画』(岩波書店)で毎日出版文化賞受賞。1986年、赤瀬川原平、南伸坊らと路上観察学会を発足。1991年〈神長官守矢史料館〉で建築家デビュー。1997年〈ニラハウス〉で日本芸術大賞、2001年〈熊本県立農業大学校学生寮〉で日本建築学会作品賞を受賞。著書に『日本の近代建築』(岩波新書)、『フジモリ式建築入門』(ちくまプリマー新書)、『藤森照信建築』(TOTO出版)など多数。2016年7月より東京都江戸東京博物館館長。
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協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)、石灰石鉱業協会(第9号)