第4号 特集:構築4の庭へ Imagining the Gardens of Building Mode 4 走向构筑4之庭
極小の庭──盆栽
依田徹【遠山記念館学芸課長】
Bonsai as Minuscule GardenToru Yoda【Toyama Memorial Museum】
极小之庭——盆栽
Bonsai is a culture in which a potted plant is cultivated to remain small, requiring a lot of time and effort to shape. At minimum, bonsai needs care, such as watering, every day, and it also needs pruning, wiring, and sometimes removing bark with a tool. It is a process of creating a living landscape with a small tree in a shallow pot. Therefore, bonsai can be considered a garden. With limited living space in urban areas, we sometimes see people enjoying and treating bonsai as their garden in places such as the balcony of an apartment.
A style called bonsan preceded bonsai in the Kamakura era (1185-1333). It was a kind of miniature garden composed of trees and stones that let people enjoy the view and experience the garden as if they were on the same scale. Bonsan were usually placed on designated shelves in the gardens at houses of the nobility. They were treated like matryoshka dolls, being a small garden inside a bigger garden. The popularity of bonsan gradually diminished, but one of today’s bonsai styles, ishizuke bonsai or growing-in-a-rock, can be seen as a descendant of bonsan. There was another potted tree style very similar to present-day bonsai called Hachi-no-ki, in which a single dwarf tree was cared for over a long period of time. Tsurezuregusa (The Harvest of Leisure, written by Kenko Yoshida) suggests that people twisted trees for aesthetic reasons in the end of the Kamakura era, and preferred this eccentric style. The preference was promoted in the Edo era (1603 - 1868), and extremely twisted trees were created. This style is called tako-zukuri or magemono-zukuri, and it started disappearing after the Meiji era (1868 -1912).
The unique philosophy of bonsai in the present day was established between the end of the Meiji era and the Showa era (1926 - 1989). The bonsai world began aiming to mimic nature and follow the rules of nature. This was distinctive from tako-zukuri, which was directed towards an artificial and formative art. Such emphasis on nature was probably influenced by naturalism in Western literature. The modern bonsai world practices collecting trees that grow up into complex forms in the wilerness, which is called yamadori, and values the natural aspects of the bonsai that are beyond what humans can create. A characteristic of bonsai is that it cannot be classified as either “nature” or “art.” Perhaps the contemporary meaning and potential of bonsai is latent within the aspects of it that extend beyond that modern framework.
[2022.5.6 UPDATE]
盆栽は庭園か?
「盆栽」とは、鉢に植え付けた樹木を小さな状態で管理し、時間と手間をかけて整姿していく文化である。毎日の水遣りを基本とし、ハサミによる剪定や針金かけ、時には機械工具を使って樹皮を削るような作業まで含まれる。それは限定された鉢上の空間に樹木を用いて景観をつくりだす営みであり、「盆栽」をひとつの庭園であると見ることができるだろう。実際に居住スペースの限定される都市部などであっても、マンションのベランダの盆栽を、庭いじりのように楽しむケースを見かける。また盆栽の特徴は、職人的技術で小さくつくりこまれている点にある。そのような盆栽への驚嘆は、明治期の外国人の旅行記などに見られ、現在も諸外国からは今なお残る「東洋の神秘」として見られているようである。しばしば盆栽について用いられるキーワードの「禅」などは、言ってみればロジカルに説明できない部分をブラックボックス化して残す役割を担っているのだろう。
盆栽を縮小された庭園と見る視点は、歴史的に見ても妥当性を持っている。拙著『盆栽の誕生』(大修館書店、2014)において、盆栽とは幕末から明治期にかけての中国文化愛好から誕生したものと跡付けた。実際の中国を見ていない日本人たちが、輸入製品などを集めるなかで、憧れの中国を再現しようとして形づくられたのが「文人画(南画)」「煎茶」「盆栽」といった一連の中国趣味であった。
ただし盆栽の前史として、鎌倉時代には先行する「盆山(ぼんさん)」という様式が成立している。これも樹木と石を組み合わせて作る一種の箱庭であり、室町時代の相国寺僧の日記『蔭涼軒日録』などを見ると、鑑賞者は小さくなってその景観に迷い込むかのような鑑賞を行っている。ただしこの種の盆山は、貴人の邸宅の庭で、縁側の高さに合わせた棚に置かれていた。すなわち庭のなかに小さな庭があるのであり、マトリョーショカのような入れ子構造があったという点も特徴だろうか。
このような「盆山」は、江戸時代の大名庭園においても生き残っていたことは、紀州徳川家の庭園(現赤坂御用地)を描いた《赤坂御庭図画帖》(和歌山市立博物館)などから確認できる。近代には次第に下火になっていったが、現在も見られる「石付盆栽」をその後裔として捉えることもできる。その意味では、江戸時代に流行した「箱庭」などは、その亜種と見てもよいだろう。
なおもうひとつ、「鉢木(はちのき)」と呼ばれた鉢植えがある。これは一本の樹木を時間をかけて手を入れていくもので、現在の盆栽に近い。ただし鎌倉時代の末期には、わざとねじれた樹をつくっていたことが『徒然草』の記述から推察され、むしろ変わった樹の形を楽しむような要素が強かったように見える。
このようなねじれた樹木を好む態度は江戸時代にさらに推し進められ、極端に歪んだ姿の樹木が生み出された。しばしば「蛸作り(曲物作り)」などと呼ばれるこの様式は、しかし明治時代以降には改作され、姿を消していった。それは当初、先述した中国趣味の影響からであったが、やがて後述する西洋由来の価値観「自然」の影響が大きくなっていく。
「趣味」としての盆栽
ただし、盆栽は庭園とは異なる要素も内包している。そのひとつは、日々の水遣りをはじめとする手入れを楽しむ、実践型の趣味という要素である。時としては枝などの部分が枯死するといったさまざまなトラブルが発生し、枝ぶりを改作するなどの変更が必要になってくる。この思い通りにならない生き物を相手とする不自由に対し、気長に付き合っていくことを楽しむ態度、そこにこそ「盆栽」の重要な本質があると言える。もうひとつには、コレクションとして盆栽を蒐集する楽しみである。先述した大名庭園の絵図のみならず、浮世絵に描かれる庶民層の庭にも「鉢木」が並んでいる姿を見ることができる。多彩な品種を蒐集し、その樹に合う鉢を模索していくことは、日本人の蒐集癖に合致した部分がある。
明治期から昭和期にかけては、特に政界の要人の間で盆栽が流行した。西園寺公望や大隈重信といった元勲の名前が並び、その系譜は戦後の吉田茂や岸信介、近年では河野洋平といった人々につながっていく。盆栽を所持して庭に飾ることは、一種の社会的ステータスだったのであり、各種の盆栽展はその自己顕示の場として機能していた。
しかし他方では、木と土と植木鉢があれば誰でも始められるという盆栽は、階級を飛び越えて楽しまれたという特徴を持っている。実際に江戸時代から明治時代にかけて活動した植木屋である内山長太郎は、縁日で富山藩の世子と知りあって成功し、「花屋太閤」と呼ばれるようになった出世譚が知られている。
「藝術」「文化」としての盆栽
この趣味としての盆栽に比べると、「藝術(美術)」という視点からその造形性を論じることには困難がともなう。生きて成長を続ける盆栽には、まず完成がないという特徴がある。さらに樹木の寿命は人間よりも長いため、人から人へと譲渡され、世代を超えて受け継がれていくことになる。新しい持ち主が大規模な改作を行うこともあり、盆栽は一様の造形美を保ちえないのである。それは季節ごとに変化を見せる、落葉樹の盆栽(盆栽界では「雑木」と分類する)を見れば一目瞭然だろう。盆栽関係者には、盆栽を「藝術」と呼びたがる方も見かける。枯死した枝を白く残して造型性を強調した「ジン」「シャリ」などを、現代藝術に通じるものとして強調するような向きも見受けられる。しかしそもそも“Art(藝術)”の語源であるラテン語の“Ars”は、「自然にないものをつくりだす技術」を意味しており、西洋美学では人間の手が加わらない「自然美」と人間が生み出した「藝術」を対置している。このため大学で美術史を専攻した筆者にとって、日々変化する樹木の姿を「藝術」と呼ぶことには、ある種の抵抗感がある。
例えばさいたま市大宮盆栽美術館が所蔵する「花梨」は、昭和初頭に根津嘉一郎が所持していた時の姿が写真で残されている。当時はほっそりとした姿であったが、その後に佐藤栄作の所有となり、岸信介を経て現在ではさいたま市の所有となっている。この間に約100年の時間が経過したが、現在は幹が太くたくましく成長し、隆起した根が土をつかんでいる。この樹木そのものの成長が作り出す造形は、人間の営みとしての「藝術」に該当するように思われない。
また先述したように、盆栽とは近代に即席でつくられた文化であり、歴史的な蓄積が浅い。とりわけ江戸時代の「鉢木」を改作して「盆栽」に仕立ててきた歴史から、古典的名作を持たないという構造がある。文化の成熟を、古典様式の確立とそこからの脱却、さらなる様式への変化という課程から捉えた場合、盆栽は文化的な成熟ができなかった、未熟児のように見える時がある。
しばしば盆栽の精神的なバックボーンを「禅宗」であると主張したり、「茶道」などで用いられる「わび」「さび」と言った言葉から説明しようとしたりする態度も散見するが、これらはこの未熟さを隠す行為だろう。盆栽が誕生した幕末期から昭和、平成を経ていく間、盆栽界は「盆栽とは何か」と論じる内省を怠り、盆栽に関心のない人間にも通じる盆栽論を構築してこなかった。それは茶道の世界が、茶道具を美術作品として位置づけようと試み、「わび」というキーワードを用いて理論化を果たした歴史と、対照的である。
自然と人工の狭間
ただし盆栽の理念を形づくっている特徴として、明治期から昭和期にかけて、盆栽界が「自然」をひとつの規範とし、その再現を目指してきたという歴史がある。これは歴史的に見れば、人工的な造形美を目指してきた江戸時代の「蛸作り(曲物作り)」と好対照をなしている。このような「自然」の強調は、西洋文学に由来する「自然主義」の影響を受けた部分があるだろう。近代の盆栽界では、自然界で複雑な姿形に育った樹を採取(これを「山採り」と呼ぶ)し、人間の創意の及ばない部分を尊ぶといった手法をとってきた。いわば非人間的な要素を、自然界から取り込んでいるのである。さらに盆栽において、むしろ「自然」とはやや異なる位相で、樹木の生命力を感じることがある。例えばさいたま市大宮盆栽美術館が所蔵する「五葉松 銘輝」は、当初盆栽として仕立てられた姿から、枝の枯死で形が崩れてしまっている。しかしその後、樹木の成長で幹が複雑に隆起し、人間の意図を越えた破格の造形美を獲得したのである。
このような、人間の制御が効かないという点は、庭園における植栽とも共通する。ただし盆栽は、樹木を植木鉢というステージと融合させることで、その特徴をより明確に浮かび上がらせている。その特徴とは、「自然」と「藝術」のいずれにも分類しえない要素と言い換えることが出来るだろう。このような近代的な枠組みからはみ出た部分にこそ、盆栽が持つ現代的な意味と可能性が潜在しているのではないだろうか。
よだ・とおる
1977年生、遠山記念館学芸課長。
著書に『盆栽の誕生』(大修館書店、2014)、『近代茶人の肖像』(淡交社、2015)、『皇室と茶の湯』(淡交社、2019)、論文に「文琳茶入について―遠山記念館蔵「玉垣文琳」を中心に―」(『東洋陶磁』46、2017)、「江戸豪商仙波家と仙波宗意について」(『茶の湯文化学』27、2017)など。『近代日本「美術」と茶の湯-言葉と人とモノー』(思文閣出版、2013)により、茶の湯文化学術奨励賞(財団法人三徳庵)を受賞。
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