生環境構築史

編集後記EDITORIAL POSTSCRIPT

平倉圭+青井哲人+日埜直彦+松田法子+マシュー・ムレーン【特集担当】

Kei HIrakura+Akihito Aoi+Naohiko Hino+Noriko Matsuda+Matthew Mullane【HBH editors】

「庭」を異種と関わり合う作業場として捉えることが本号の狙いだった。それは美的というより実践的で、日々の営みと政治に密接に結びつきつつ、人間的スケールの外へとたえず野放図に広がっていくものだ。そこに巻き込まれたい。そういう空間として世界を発見し、制作していきたいという思いが特集には響いている。当初、庭を表象的・象徴的にではなく具体的・技術的に見ることを目標としたが、結果的に、具体の技を通して見えてくるのは、庭を取り巻く時代や環境が小宇宙的に凝縮された姿でもあった。旧石器時代から「更新世再野生化」まで、本号が「庭」と呼ぶ領域は通常の庭概念を大きくはみ出している。読む人にとってそれが、何らかの新たな世界制作を導くものになっていればうれしい。編集主幹として、特にこの1年間の議論の紆余曲折は大変だった。専門領域を超えて議論を重ね、すばらしい著者と出会うことができたことを幸運に思う。今号で私はHBH同人から離脱するが、ここからさまざまなアイディアが草のように生え広がることを祈っている。この場を借りて、お世話になった方々に心から感謝したい。
(本特集担当・平倉圭)



今号は生環境構築史の観点から庭を扱う特集であった。担当者の議論と編集会議を通じて、そして執筆をお願いした著者らとの意見交換や記事を通じてわかったことがいろいろある。
 第1に、構築0・1・2・3・4という方法的枠組みが、人類史のなかの庭をきれいに分類してくれること。これはそもそも庭が構築様式の方法的モデルであったという歴史的事実を証していると思われる。現実的に制作・維持できる何らかの小閉域を定めて、他の生き物を選び出し運び込んで営むものが庭であり、それゆえに一定の理念化を介して地球とヒトとの関係のありようが凝縮されるのが庭なのだろうから。
 第2に、私たちがふつう庭という場合に思い浮かべるのは、構築2(都市=国家文明以後)および構築3(産業革命以後)のものであること。構築1(即地的な素材収集・組立)の場合、定住集落ならば菜園や祈りの庭などが思い浮かぶが、遊動的な狩猟採集民の場合が問題となる。定住なしに庭はありそうもないからだ。そこで、「旧石器人の庭、あるいは庭以前」というテーマが浮上した。これは庭の臨界にふれる意味で優れた問題だと思った。他の記事も、それぞれに庭の際(きわ)を指し示すように編集方針をつくった。このことを念頭に各記事を読んでいただきたい。つまり、構築2・3の多種多様な庭はすべて、これら4つの際から位置づけ直されるのではないかというのが特集の構図である。その有効性は同人座談会である程度は示唆されていると思うが、しかし具体的な検証作業は大きな余白として読者に委ねられるかたちになった。
 第3に、構築1というモードの概念規定が曖昧であったということ。生環境構築史の枠組みは、その素材の採集と集積のありかたに力点を置いて提起したものである。そのなかで、構築1は生活圏の近傍から素材を採集し、身体の素朴な延長といえる技術で組み立てる段階と位置づけているが、この規定では遊動的段階を正しく扱えない。同じ構築1でも、定住集落は構築2の都市のまわりにあり、構築2と多かれ少なかれ補完的な関係にあるとも考えられるが、遊動生活における生環境の構築は、広域を移動・巡回するために、自然の回復力を組み込んだ、より柔軟な、複合的なありかたを示唆すると考えられる。そこに「プロト庭」といえるような様式が見いだされる。プロト庭は、ポスト庭、ひいては構築4を考えるヒントにもなろう。これが旧石器考古学の藤田祐樹がHBHに与えてくれた問題提起であると思う。
(本特集担当・青井哲人)


人間と世界のあいだに庭があり、つまり人間と世界のあいだの一種のインターフェイスとして庭を考えられるのではないか、それが特集企画時点で想像していたことだった。その想像は間違ってはいないかもしれないが、しかし貧しく抽象的であった。庭はそんな抽象的なものではなかった。歴史的であり、実践的であり、生々しく美しいものだった。その奥行きを総覧することなどおそらくできはせず、ただありうべき庭を展望することができるのみだろう。本特集を読めば構築4の庭をいまさらユートピア的なものとして夢想することはできないはずだ。
(本特集担当・日埜直彦)


庭園史や庭園論、造園の手法などについてはすぐれた本がいくつも出版されている(個人的に好みなのは、安西信一『イギリス風景式庭園の美学──〈開かれた庭〉のパラドックス』[東京大学出版会、2000年]などだ)。そうした成果にも学びながら、しかし生環境構築史の特集号としては、“人が土地を生きられる場所にすること”、つまり生環境(ヒトが生きるために構築する環境)のセッティングという行為において「庭」に注目した。
だからこの特集号で考える庭の起点は、日本語のニワや漢字の庭や園やgardenなどの語源的意味を参照しつつも、“切れ目なく広がる地球から人がどのようにして生環境ユニットを囲い取り、手入れして維持するか”という技法と態度に潜行した。 その活動は過去のものではなく、今もたえまなく起こり続けているのだ。

生環境構築様式からみると、構築様式2と3の庭は無数にある。「庭園」と聞いてすぐ頭に浮かぶような、世界各地の美的、精神的、儀礼的な庭は、構築様式2(生環境構築素材の交換)の段階で登場する。座談会で指摘されたように、そこでは水を集約的に扱う力の発生も鍵となった。世界初の国際博覧会・第1回ロンドン万博(1851年)で鉄とガラスの巨大建築クリスタル・パレスが登場したときのハイドパーク(と、数年後にクリスタル・パレスが拡張再建された鉄道駅直結のシデナム・ヒル)は、構築様式3(徴発的な生環境の構築、生環境の収奪・支配・拡張)時代の庭空間の幕開けにして、その代表例だといえるだろう。
また名庭とは構築様式2的な庭におそらくかなり集中し、なおかつじつは構築0(自己構築している地球)の局地的あり方(地質、地形、気候)との関係に形をとった文化が凝縮された場に違いない。
そんなふうに考えたうえで、この特集号では庭を通じて来るべき「構築様式4」の条件を探ることに集中した。そして今回わずか4つに限定したプロットが、「庭以前」、「集約的な技術/人の生涯を超える時間」、「抵抗」、「非-人間の庭」だった。月に約1回の担当編集同人会議で、ここまでに約1年をかけた(かかった)。
詳しくは座談や各記事に展開されている内容をご覧頂きたいが、あえて少し表現を添えて振り返る。「庭以前」では、旧石器時代の人たちによる、生きるための土地の領域付けと使い分けを確認した。つまり構築様式1の発生あたりを問題にした。「集約的な技術/人の生涯を超える時間」では、地面から切り離され、持ち運びできる鉢の中の木=鉢木・盆栽に注がれた、前近代・近代の自然観とその形を具現化する手仕事技術、そして手入れする者の生涯時間を超えて存命していく植物存在をみた。「抵抗」では、構築様式3に覆われた世界でいかに生環境を再獲得するかを扱った。そうした運動の現場に構築様式4への萌芽があると考えられるからだ。そして「非-人間の庭」では、人間の(人工の)土地が意図的に動植物にゆだねられ、人為をきっかけとして人間外の存在が進行させる土地の変化「再野生化」に注目した。
庭から生環境構築史のこれまでを見通すことは、構築4への条件をつかみとる確実なステップになるのだと思う。
構築4グラフィックでは工作的な楽しい提案も行われた。連載「鏡の日本列島」4も、構築0寄りの庭論といったあたりに絶妙にリンクしている。お読み下されば幸いです。
(本特集担当・松田法子)

Through working on this special issue, I came to understand the garden as both more and less than an assemblage of plants. For example, in the words of Kristin Reynolds, urban farms in American cities go “beyond the kale” by providing a space for communities of color to incubate social change. However, a garden is also defined by something far simpler: the human capacity to imagine boundaries between the environment and human collectivity. Kosaka Jun’s project materializes this rudimentary conceptual process of demarcation with colorful circular tarps that plainly separate an “inside” space of human gathering and an “outside” space that is just waiting to be drawn on. Kosaka shows that a garden can be anywhere so long as there is a community inside it.
A garden then is, at base, a boundary. Boundaries in the contemporary world are often weighted with negativity; we are reminded of borders like the wall violently splitting the USA and Mexico, the DMZ halving the Korean peninsula, or the contested oceanic borders between Japan, China, and Russia. There is also of course an ultimate boundary, the so-called “planetary boundaries” that mark the limits of the Earth’s ability to support human life. This is a term first coined by John Rocktröm and Will Steffen in 2009 to define a limit to the planet’s ability to process manmade changes to the atmosphere, oceans, soil, and so forth, while also hosting human life. Once these boundaries are passed, the likelihood of irreversible climate disaster is imminent and our future on the planet uncertain. The scale and complexity of planetary boundaries are far beyond our capacity to successfully quantify, or even imagine. So, what do gardens have to offer? Today, looking at the threshold between “Mode 3” and “Mode 4,” the true potential of gardens lies in their ability to model this ultimate boundary so that we respect it and learn to live safely within the colorful circle we have made for ourselves over millions of years.
(本特集担当・Matthew Mullane/マシュー・ムレーン)


[2022.5.6 UPDATE]

庭以前──旧石器人たちの暮らしと空間利用
Before the Garden: The life and the space utilization of Paleolithic people
/在庭院以前——旧石器时代人类的起居与空间利用
藤田祐樹/Masaki Fujita
極小の庭──盆栽
Bonsai as Minuscule Garden
/极小之庭——盆栽
依田徹/Toru Yoda
アヴァン・エディブル・ガーデニング──クリスティン・レイノルズと話す、米国における都市農園の政治
Avant Edible Gardening: Speaking with Kristin Reynolds on the Politics of Urban Farmingin the United States
/可食用的先锋园艺──对话克里斯汀・雷诺兹,美国都市中的农场政治
マシュー・ムレーン/Matthew Mullane
人でなしの庭──更新世再野生化の試み
The Garden of the Inhuman: An Attempt at Pleistocene Rewilding
/非人之庭——在更新世尝试进行再野生化
松田法子/Noriko Matsuda
座談:構築様式のモデルとしての庭
The Roundtable Discussion
/座谈:庭院作为构筑样式的模型
平倉圭+青井哲人+日埜直彦+松田法子+Matthew Mullane+藤井一至+藤原辰史/Kei Hirakura+Akihito Aoi+Naohiko Hino+Noriko Matsuda+Matthew Mullane+Kazumichi Fuji+Tstsushi Fujihara

協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)