生環境構築史

第5号  特集:
エコロジー諸思想のはじまりといま───生環境構築史から捉え直す Development of Ecological Thought: Reconstructing from the Viewpoint of Habitat Building History 生态学诸思想的发展:以生态学的视角重构

ブックガイド1:「エコモダニズム」と生環境構築史

日埜直彦【HBH同人】

Review on Ecomodernism and Habitat Building HistoryNaohiko Hino【HBH Editor】

述要1:“生态现代主义”与生环境构筑史

Ecomodernism, or the current movement to maintain ecology on a global scale with science and technology, has its roots in the so-called Scientific Revolution. Religious worldviews were overturned by scientific worldviews, and human beings developed tremendous power to reform the world with science and technology in the modern era. The negative side of the power appeared as environmental pollution and contamination, which finally led to global environmental changes. Ecomodernism is a challenge by science to overcome the negative side. Following the progress from Scientific Revolution to Ecomodernism, we notice that there are certain implicit assumptions in eco-modernism, and these assumptions define the limits of Ecomodernism. For example, one can see a rigid conservative vision of the world and human beings as its premise. Such limitations of Ecomodernism can perhaps lead us to understand Ecomodernism as a short-term hypothetical problem setting in a long-term dynamic equilibrium of an unknowable future. Determining the true nature of Ecomodernism is a step for the development of ecological thinking.


[2022.11.4 UPDATE]

エコモダニズムとここで呼んでいるのは、大掴みにいえば、地球スケールのエコロジーの保全に対して科学と技術をもってアプローチする、現在主流を占める「エコ」な動きのことだ。IPCC(気候変動・地球温暖化に関する政府間パネル)のような国際的政策イニシアティブを背景として、地球規模のマクロの環境変化を科学的に把握し、それを根拠として地球環境の異変を抑制あるいは制御しようとする動きがその典型となる。

地球温暖化、海面上昇、気候災害の激甚化といった気候変動の原因を大気の温室効果に見定めて、とりわけ二酸化炭素の排出量削減のために化石燃料エネルギーから再生可能エネルギーへの移行が推進されている。そこでは、現代の人間の活動が消費する莫大な資源とエネルギーが環境変化の原因であり、その消費のありかたを変容させることで環境変化を抑止できるはずだ、という基本的前提が存在する。その視野の周辺からは、何らかの手段により積極的に地球の気候メカニズムに介入することで地球環境を人間の力で調整しようとする、地球工学と呼ぶことができるような考え方も生まれている。

本特集はエコロジー思想の端緒と現在をまず見ることを通じて、その多様性を俯瞰しようとしている。そしてエコモダニズムの源流を辿っていけばいわゆる科学革命に行き着く。まずその意味を確認しつつ、エコモダニズムの歴史を概観することから本論を始めたい。

科学革命の革命性

科学革命を古典的世界観から近代的世界観への転換点として捉えることができるだろう。古典的世界観には多くの場合宗教的な性格があった。宗教の聖典がこの世界の成り立ちを示し、信仰がそれを各々に世界観として内面化させた。意識しないと忘れてしまうことだが、ほんの数百年前まで国を問わず人間は宗教的な世界を生きていた。キリスト教世界にはキリスト教の世界観があり、儒教世界には儒教の世界観があり、人間の生きる意味さえもそうした古典的世界観により充填されていた。

多くの宗教において世界は神の創造物であった。世界がなぜこのようにあるのか?というきわめて根源的な問いに宗教は創造神話で答えていた。英語でいう生物=creatureは文字通り「作られたもの」を意味する。ことほどさように神の創造物として世界を捉える信念は古典的世界観に深く根ざしていた。

古典的世界観の時代において、人間は世界が与えるリソースに依存しながら、生存のためのニッチを生環境として組み立てた。原始共同体から国家が生まれ、より大きなスケールの領域をカバーする社会が形成されていくなかで、生環境を構築する素材はその人間が生きる現場の制約から離れて選択肢を増やし、ローカルな条件付けから離脱していった。所与の素材や気候を巧みに組み合わせて生環境を構築する知恵が蓄積された。

世界の所与に依存していたという意味において、近代以前の生環境の構築は受動的だった。神の創造物として世界をイメージする古典的世界観は、人間が世界に対して受動的であらざるをえず、したがって主動的ではない、この条件を反映していたのだろう。そこで主導的な位置に神がいて、人間は神に従属していた。

科学革命は16世紀のコペルニクス、17世紀のケプラー、ガリレイ、ニュートンら、天文学者から始まる。天道説から地動説へと世界観を更新した彼らは、よく知られるように天動説を正統とするカソリック教会との鋭い緊張関係を乗り越え、客観的で単純な法則により世界の成り立ちを説明し、宗教的世界観とは根本的に異なる世界観を提示した。そこから以後、神は世界観の中心から滑り落ちていく。世界がこのようにあることの原因を神に求めるのではなく、なぜ世界がこのようにあるかを科学が解き明かす営みが加速した。

科学革命のもう一方の先導者として、同時代を生きた功利主義の思想家フランシス・ベイコンの名がしばしば挙げられる。彼は「知は力なり」と唱え、自然の真理に学び、そのメカニズムを利用する方法を獲得し、自然を人間にとってより良いものへと作り変える方法として、科学を位置づけた。そうしてルネ・デカルトの機械論に代表される、自然を分析的に捉えて脱神秘化する思想がこれに続いた。思想面においても古典的世界観からの離脱が進み、近代啓蒙主義が普及した。人間は理性の力で世界を知り得るし、その知識を応用して神に代わり人間は世界を支配する。神を主導的な位置に置くのではなく、むしろ人間こそが主導的であると意識されるようになった。科学革命は古典的世界観から近代的世界観への転換を先導し、近代の黎明を切り拓く転機だった。

エコロジーという着眼と科学革命

しかし科学革命がcreatureの学、エコロジーの本丸であるところの生物学にまで波及するには、19世紀の生物学者チャールズ・ダーウィンの進化論(『種の起源』1859)を待たねばならなかった。ダーウィンは神に依存せず、生物種の多様性とその変化を客観的な法則性により合理的に説明する科学的論理を提示した。一部の科学者・思想家を除いた当時の人々において、神の創造物として生物を捉える古典的世界観はまだまだ強固だったが、生物学においてダーウィンの進化論はまさに革命的な役割を果たし、生物がおのずと多様な生物種へと進化するメカニズムの把握をバックボーンとして、進化論は生物学の発展を導いた。



ダーウィンに影響を受けつつ、それを独自に咀嚼したのが、生物学者エルンスト・ヘッケル(佐藤恵子『ヘッケルと進化の夢──一元論、エコロジー、系統樹』[工作舎、2015])だった。エコロジーという言葉をはじめて用いたことで、ヘッケルはエコロジーの創始者と呼ばれることになった。科学革命からエコロジーという視点は生まれ、生物と生物の関係、生物と無生物の関係を、エコロジー=生態系として捉えていく視野が開かれた。生物と環境が絡み合って成立している固有の「系」が生態系であり、単に種を見るのではなく、生物と環境の相互作用を営みとして丸ごと捉える視点が生まれた。



そもそもダーウィンの進化論は経済学者トマス・ロバート・マルサスの人口論(『人口の原理』1798)の強い影響を受けて発想されていた。人口は幾何級数的に増加するが、食料は算術級数的にしか増加せず、その差から人口過剰と飢餓が必然的に発生する、といういわゆるマルサスの法則を前提として、生存に有利な形質を獲得した個体が生き残り子孫を残すことで環境に適応した種分化が導かれる、と考えられた。マルサスが提示した環境のキャパシティの有限性をめぐる、淘汰と種分化のメカニズムとして進化論は示されていた。



マルサスの法則は当時実際にヨーロッパ諸国を苦しめていた。ヨーロッパの人口が増加し、それに対して農業生産も上向いてはいたが限界はあり、食料の不足は深刻な問題だった。マルサスの人口論は飢餓が人間には逃れえない宿命であると不吉にも予言するもので、強い説得力を帯びていた。国家は生き残りのためにその領土の拡張を指向した。ドイツを二度の世界大戦に駆り立てたのは生存圏=レーベンス・ラウムの獲得を追求するこの切迫感だったし、日本が大東亜共栄圏と呼んだものも同様の発想からきていた。

算術級数的にしか増加しない食料を、科学により効果的に増加させるため開発されたのが化学肥料だった。ベイコンの「知は力なり」を地で行くように、ドイツの化学者ユストゥス・フォン・リービッヒは植物の成長が土壌に含まれる窒素・カリウム・リンなどの無機塩類に規定されることを見出し、土壌に無機塩類を肥料として添加することで農業の収量を実際に増加させた。環境を科学にもとづき積極的に作り変えるという意味において、エコモダニズムの最初の具体例といえるかもしれない。またリービッヒの『化学の農業および生理学への応用』(1840)にはすでに、植物の光合成と生物の呼吸を通じて大気中の二酸化炭素が物質循環している、という現代的な理解が先駆的に記されており、その意味でもリービッヒは特筆すべき存在だ。



科学革命のもたらした近代的世界観は、近代という時代の基盤となった。神の創造物として世界を見る世界観がまったく棄却されたとはいえず、実際現在においても宗教と信仰は人間の生き方において無視できない意味を持っているが、それでも科学とそれを援用した近代化の威力は有無を言わさぬものがあり、近代をそれ抜きに考えることは不可能だろう。

19世紀初頭に地球人口は10億人だった。それが倍増したのは第二次世界大戦の戦前で、20世紀末には60億人になり、現在はほぼ80億人に到達している。まさに幾何級数的に人口増大が起こり、現にそれだけの人口が生存しえているということだ。もちろん貧困や飢餓がなくなったわけではないが、それでも近代以前とは比べ物にならない物質的な豊かさが実現され、科学がそれを支えている。緑の革命とも呼ばれる多面的な農業技術の革新があってこそ、この人口増大は実現しえた。農業だけのことではもちろんない。産業革命を経てあらゆる産業が近代において爆発的に発展し、巨大な生産を人間は行うようになり、その生産物はグローバルなネットワークを通じて輸送され、われわれはそれを享受している。科学革命と近代化はマルサスの法則を克服した、とすらいえるかもしれない。

生環境構築史の議論の文脈からすれば科学革命以降の近代化を、構築1および2から構築3への転回と捉えることができるだろう。構築1および2がいずれも世界の所与に依存する受動的段階だったとすれば、構築3は人為的かつ積極的に世界を作り変えていくものであり、そうして近代の人間はその力を発展させ、ついに地上を制覇した。フランシス・ベイコンの「知は力なり」という規定は実践された。

近代化と環境問題

科学を産業的に応用することで、近代社会の基礎が築かれた。あらゆる領域で科学の威力は遺憾なく発揮されたが、しかしその反面で近代化の負の側面である公害がしばしば発生していた。

大気汚染や水質汚染など工場などの周辺に現れた局所的な環境問題は、すでに産業革命とほぼ同時に生じて、深刻な社会問題となっていた。そうした場合しばしば工場は汚染の原因であることを否認したが、結局は例えば煙突を高くして排気を拡散させることで影響を緩和し、あるいはフィルターを設置して有害物質の濃度を下げるような、技術的な対応がなされた。

少し遅れて人口密度の高い都市で環境問題が顕在化してきた。ロンドンの悪名高いスモッグは工場による大気汚染というよりは石炭を燃料としたことによる煤煙が原因だったが、その後自動車が普及する時代になると排気ガスによる大気汚染が問題になり、それは世界中の大都市で同様だった。都市内の河川では生活排水が水質汚染を引き起こして、そこに住む生き物を死滅させ、また悪臭の元となった。いわば点的な汚染源を原因とするかつての公害と違って、こうした都市スケールの公害の原因は面的に薄く広く拡がっているため、汚染源への直接的な対処が難しい。このため例えば汚染を低減させる自動車や洗剤の開発が取り組まれ、ゴミや下水の処理を行う公的インフラが整備され、各種の法規制がそれを支えた。こうした多面的な社会的な対応はゆっくりとしか進まなかったが、その結果としてかつてに比べれば都市の環境問題はずいぶん改善した。

環境問題が産業を原因とする公害を焦点としているうちは、対策を事業者に要求すればよかった。環境のダメージの責任が明瞭だから被害の解消と補償が求められていたにすぎず、解決も比較的容易だ。だが社会そのものが公害の原因であるとき、当事者性はより広く問われざるをえない。その当事者性への意識が一般市民の消費者運動を呼び起こした。環境にやさしい商品の選択から、ライフスタイルそのものの反省まで、そこから生じた人びとの反応はさまざまだった。消費者運動の主体となる草の根の意識が確立したのはこの半世紀のことといってよいだろう。それがエコロジー思想がさまざまな方向へと分岐していく背景となり、エコモダニズムとは違った角度から環境とエコロジーへの取り組みが進んだ。

いずれにせよ、公害などの近代化の負の側面に対して科学的な対処が試みられてきた。その過程で多くの被害が生じたことを忘れるわけにはいかないが、問題に対して科学的に対処し再帰的にそれを乗り越えていく、科学革命の方針が維持されてきた。産業革命はそれ以前とは比べものにならないほどに人間の生産力を増大させたが、その発展のプロセスはけっして一直線のものではなく、仔細にみれば試行錯誤の無数のサイクルからなるものだった。近代化の負の側面においてもそうであって、試行錯誤の繰り返しが技術を洗練させた。結局のところ、近代化とはその本性において問題とその解決の繰り返しにより一歩一歩前進する再帰的なプロセスにほかならない。局所的な問題から、広域的な問題へ。汚染源となる産業から、市民の生活へ。直接人間の健康に関わることから、ひろく動植物に与える影響へ。問題解決において考慮すべきスケールは大きくなっていった。

グローバルな環境問題

環境問題のスケールは20世紀末には地球全体の規模に達した。すでに1969年にバックミンスター・フラーが著した『宇宙船地球号操縦マニュアル』では地球全体をマクロ的に捉え制御する意識が打ち出され、1972年のローマ・クラブ『成長の限界』では地球の資源と人間の関係を定量的に捉える試みがあった。しかし地球スケールの環境問題について具体的な対応を実現した例としては、フロンガスを原因物質とするオゾン層破壊と南半球南極付近に発生したオゾン・ホールの問題が最も早い例になるだろう。フロンガスの規制はモントリオール議定書(1987)によって国際的な枠組みに具体化した。人間が地球環境に与える影響を科学的かつ計量的に捉え、国際的な枠組みによって成果を上げた先駆的な実績となった。フロンは空調機などの冷媒として用いられた物質だが、代替物質が開発され、それを用いた新しい空調機が開発され、すでに用いられているフロンは回収され、その流通・保有が厳しく規制された。このような国際的な取り組みが実質的な成果を上げた。現在オゾン・ホールは縮小傾向にあることが確認されている。



気候温暖化を抑制するための二酸化炭素の排出量削減も、フロンガスの場合と同じような取り組みを目指している。ただし代替物質で置き換えることで解決が図られたフロンの場合とは違って、二酸化炭素の排出自体を止めることはできそうもない。近代社会を支えるエネルギー源としての化石燃料は地中に固定されていた炭素を含み、その使用は二酸化炭素を大気中に放出する。二酸化炭素が温室効果により気候を温暖化させる性質があること自体はかなり以前から知られていたことだが、環境問題のなかでこれを焦点化し国際的議論にのせるひとつのきっかけとなったのが、『不都合な真実』(アル・ゴア、2006)だった。世界第二位の二酸化炭素排出国であるアメリカが積極的になることで、国際的な枠組みが成立した(パリ協定、2015)。また科学者の気候問題に関する知見を集約する役割を担うIPCC(気候変動に関する政府間パネル、1988年発足)が、気候温暖化に関する科学的なデータを提供するとともに、将来予測を提示して取り組むべき課題を方向づけた。気候温暖化に関する議論は人間全体を当事者とする課題として共有され、それに向けた取り組みが現在進んでいる。そうした枠組みのもとで、風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギーの開発・普及、あるいはエネルギー効率の向上のための各種の技術開発、そして二酸化炭素を吸収する緑化などの取り組みが進んでいることは、あらためて言うまでもないだろう。こうした要素技術の開発は既にビジネス・ベースで加速し、その普及が展望され、それらが全体としてどのように気候温暖化を抑制する効果があるかチェックする議論も行われている。これに対して国家が、制度的な規制を課すだけでなく、技術開発支援のためのインセンティブの付与など、多様な政策手段を動員しているところだ。



エコモダニズムの範疇と言えるだろうが、より野心的なものとして、伝説の雑誌『ホール・アース・カタログ』の発行人、スチュワート・ブランドの『Whole Earth Discipline(地球の論点)』(2009)がある。『ホール・アース・カタログ』は1960年代後半のアメリカ西海岸で盛り上がりを見せたカウンター・カルチャーを反映する雑誌で、国家や大企業に生活の技術を委ねるのではなく、個人が自らの知恵で技術をハッキングしていく姿勢を示していた。その延長線上でブランドは、個人をベースとしたベンチャー企業が率先して新しい技術を具体化していく現代的な可能性を称揚し、よりプログレッシブに取り組まれるべき分野として「新しい原子力」「遺伝子組み換え作物」「エコシステム工学」を掲げている。かつてのどこかヒッピー的な指向に対して、意外な方向転換ではあった。前二者はおおむね想像がつくとして、ここでエコシステム工学と呼ばれているものは、例えば海洋に鉄塩を散布することで植物プランクトンのバイオマスを増やし、二酸化炭素を有機物として吸収・固定するたぐいの壮大な実験だ。このメカニズム自体は太古の昔に二酸化炭素濃度が高くなった状態から復元する過程で起きたものと同じで、ただそれを人為的に加速させようとしている。どの程度の規模で鉄塩を散布することが地球スケールでどの程度の効果をもたらすのか、あるいはそれが思いもよらぬ波及効果を引き起こしはしないかなど、未知のことは多いが、科学により積極果敢に地球環境を制御する地球工学的指向は、エコモダニズムのひとつの極点と言っていいだろう。



初期の公害問題も、例えば水質汚染と水棲生物の関係など生態系に無関心であったわけではない。だがそれでも公害問題それ自体がエコロジーの問題として捉えられることは稀だった。しかし気候温暖化は地球環境の異変であり、そこで問題は地球のマクロなエコロジーと絡み合っている。人間という生物の生態が、他の生物の生態を脅かし、これまでにないインパクトを環境に及ぼしているということだ。そうして生物学の範疇を超えて、地理学、経済学、人類学、社会学、公衆衛生学、ランドスケープといった多くの領域を結びつける現代的な意味におけるエコロジーの学際的視野がここに展開している。すでに宇宙ステーションが安定的に運用されるようになり、月や火星への移住計画が真剣に立案される時代になった。それと同じようなアプローチが地球に向けられるようになっている。科学革命以来の近代化の試行錯誤のサイクルはついに地球を俯瞰するスケールへと拡張し、その基本的アプローチは揺るぎない。

エコモダニズムの含意

ここまで見てきた科学革命以来のエコモダニズムの歴史をどう理解すべきだろうか。

まずごく普通に捉えれば、人間が自らに都合が良いように世界に手を加えた結果、気候温暖化のような想定外の異変が起きて、対応が求められているということだろう。想定外の異変に対して人間は戸惑いを覚えた。もちろん世界に手を加えるのだからそこでの変化自体は想定内だったに違いないが、その影響がそれ以上に波及するとは考えられていなかった。しかし今や現に人間の生きる環境に変化が迫ってきている。多くの生物の生態にも影響は現われ、その原因は局所的なものではなく、まんべんなく地球上に広がったもので、その責任は人間にあり、人間の人間以外に対する責任、あるいは未来の世代への責任がそこで問われる。環境倫理が問われるのはそうした意味においてだ。

しかしもう一歩踏み込んでみればまた別の意味が見えてくる。つまり、神が主導的であるような世界から人間が主導的である世界への転換が科学革命だとすれば、その線上において人間は世界の巨大な網の目の一端にすぎないという現実を突きつけられた、ということだ。抽象的すぎてわかりにくいかもしれない。天動説から地動説への転換は結局、太陽系自体も宇宙の一部にすぎないという認識を導いたわけだが、そのこととこれはよく似ている。かつて人間は地球を世界の中心として想像していた。しかし世界を科学の目で眺めてみればその想像は現実と整合せず、太陽を中心とする太陽系の世界像がそれに代わり提示された。そしてそのような科学の営みの果てにわれわれは、太陽系もまた世界の中心ではなく宇宙の茫漠とした広がりの片隅にすぎないことを知った。要するにわれわれの生きているここは特別な場所ではなく無数の広がりのなかのひとつにすぎない。そうして主導的・受動的といった世界の捉え方自体が棄却され、どこまでも相互作用的な無数のアクターの絡み合いとして世界がイメージされるようになった。アクター・ネットワーク・セオリー(ブリュノ・ラトゥール『社会的なものを組み直す──アクターネットワーク理論入門』2005)のようなコンセプトが提起されるのは、こうした認識が広く共有される現在を反映しているのだろう。



人間が主導的にふるまうことで、むしろ人間が世界の網の目の一端にすぎない現実があらわになった。もちろん考えてみれば人間はそもそもその誕生の時から世界の網の目の一端であったに違いない。しかし人間の祖先にとって生きる場が無数のうちの変哲もないひとつにすぎないというリアリティはあまりに虚無的であり、その虚無を神と宗教が充填していた。科学革命を転機として、人間は世界の網の目を巧みに利用する能力を身につけ、それを組み替えて人間の能力を増大することに役立てるようになった。神に従属した受動的な世界観は色褪せ、世界の網の目を積極的に自らの力とし、そうしてかつてとは水準の異なる繁栄を人間は勝ちえた。

しかしその網の目は一種の非線形な複雑系であった。かつて人間の活動の規模は比較的小さく、そのインパクトは網の目のなかで緩衝されて世界は不動のものと見えた。しかし人間の活動の規模が爆発的に大きくなると、想定外の波及効果により網の目は広く強く揺さぶられるようになり、網の目自体が動的に変容しはじめた。それが環境変動だ。エコモダニズムが対峙しているのはこのような事態ではないか。

定点としての人間の限界

エコモダニズムはその世界を大局的には揺るぎないものと想定していたわけだが、それと同様に人間もまた変わることなき存在として、いわば定点としてイメージしてきた。人間の能力は圧倒的に拡大したにせよ、変わることなく科学的な理性をつかさどる、どこか神様のように抽象的なイメージが堅持された。

より現実的な水準においても静的な指向は窺える。そもそも二酸化炭素排出量の抑制は、その温室効果により地球が危機に陥る、という危機意識から訴えられている。この論理からすると、仮になんらかの技術(例えば核融合)がブレークスルーとなって一気に人間の二酸化炭素排出量がまったく問題ない水準まで減少した場合、環境問題は解消してしまう。やや意地悪な想定かもしれないが、エコモダニズムの一種の保守的性格をここに見てとることができる。結局のところ、いくつかの点を別としてだいたいにおいて、人間が今までと同様にあることを動機として、エコモダニズムは推進されている。ではそこで想定されている、今までと同様な人間とは具体的にはいったい誰のことだろうか?

アナーキズムからコミュナリズムに転じた異色のエコロジスト、マレイ・ブクチン『エコロジーと社会』(1990)は、こうしたエコロジー思想における人間像の抽象性を強く批判していた。既存のエコロジー思想は環境問題の当事者性を人間一般へと過剰に一般化して塗りつぶしている、という彼の批判は正当なものだろう。そうして例えば南北問題や社会階層の現実を隠蔽することで、本来もっとも責任あるはずの誰かを不問に伏し、免罪してしまうレトリックが機能している。後にパリ協定などの議論の場で、先進国の責任を後進国に押し付けるなという主張がなされたのはまさにその意味だった。近代啓蒙主義の人間像の抽象性と虚構性が批判されて久しいが、それは単に思想の水準において問題であるばかりではない。現実に人間はそれほど一体のものではなく、しばしば非対称な関係にあるさまざまな境遇があり、人間への過剰な一般化はそれを隠蔽するレトリックとなっている。



ここまでの論を敷衍するならば、ブクチンの主張を、人間は世界の網の目の一端であるというよりはむしろ人間そのものもまた網の目である、と言い換えられるだろう。一般化のヴェールを取り除けてみれば、それぞれの個人が世界の網の目と直接的に生々しく絡み合っているのであり、他の生物や環境と取り持つ関係と同様に、権力や経済を介した人間と人間の非対称な関係がそこにある。それを人間の一色で塗りつぶすのは欺瞞的なことだ。この欺瞞の保守性と、今までと同様に人間があるためにエコロジーが問われることの保守性は別のものではなく、表裏一体のものだろう。

人間はひとつの定点ではなく、それ自体がバラバラでありかつ動的なものだ。そう見るならば、エコモダニズムが実際に行っていることの意味を再考することも必要になってくるはずだ。それぞれの人間がもろもろの生物や環境と絡み合う動的な網の目、その全体が世界であると覚悟した時、例えば現在取り組まれている二酸化炭素排出量の削減は、地球環境を危機から守る使命を帯びた倫理的課題というよりは、むしろ人間と世界の適応を調整するあまたあるアドホックな調整のひとつとして見えてくる。

じつのところIPCCの科学的議論の根拠となっている地球規模のマクロの気候予測モデルの客観性については多くの議論があり、また削減目標として提起されている水準の妥当性にも議論がある。その気候予測モデルとは、地球上の空間を多数に分割し、そこでの物質とエネルギーの循環をシミュレーションするものだが、バタフライ・エフェクトの喩えを想起するまでもなく、どこまで細かく分割してシミュレーションすれば十分な予測精度を確保できるのかは本質的に予測し難い。コンピュータのキャパシティが現状を制約しているのが実態だ。いわゆる懐疑論者の主張は傍に置くとしても、科学的議論の根拠が万全というわけでもない(例えばスティーブン・E・クーニン著『気候変動の真実』[2021])。結局のところ、科学にこの巨大な世界の網の目をまるごと扱うことが可能なのか、ということ自体がチャレンジングなテーマなのだ。



だがそれはエコモダニズムにとって問題かもしれないが、人間にとっては必ずしも問題ではない。というのも、人間はそもそもその誕生以来ずっと知力を尽くして世界と対峙し、世界への適応を模索し続けてきたのだから。科学革命以前からそうだったし、今さら問題になることでもない。もちろん個人に可能なことと、多くの産業を巻き込んだ国際的な取り組みに可能なことは、根本的に違うだろう。しかしどのみちエコモダニズムだけにエコロジーの問題の荷を負わせればよいわけでもないのだ。そもそも気候変動だけが環境問題ではない。人間が地球環境に及ぼす影響が二酸化炭素の排出だけであるはずもなく、実際に日々の生活の折々に人間はさまざまなかたちで環境に負荷をかけている。

生環境構築史はむしろそうした広い意味において人間の生環境のあり方を問うている。そもそもギリシャ語のοἶκος(オイコス)=「家」を成立させる理としてヘッケルはエコロジーをそう命名していた。「家」を生環境の謂ととれば、本来、生環境構築史とエコロジーの因縁は最近の動向に左右されるほど浅くはない。世界が揺らぎ人間も揺らぐとき、その絡み合いの全体はもつれ合うようにドリフトしていくのだろう。地球の歴史上、気候の大変動は珍しくもなかったことを科学は教えている。つまりこれまでもドリフトしてきたし、これからもきっとそうであろう。人間はそれに適応するのだ。

われわれが現にしていることの正体を見定めるためには冷静な視野が必要になる。エコモダニズムのような動きもまた適応の模索の一部であり、世界と人間を定点として仮定してその目標をセットすることにも、一種の短期的な近似として相応の意義があるだろう。その意義を矮小化するのでもなく過大に見るのでもなく捉えることは、まだまだ若いエコロジー思想の成熟のために必要なことであるはずだ。



日埜直彦(ひの・なおひこ)
1971年生まれ。建築家。日埜建築設計事務所主宰。芝浦工業大学非常勤講師。作品=《ギャラリー小柳ビューイングルーム》、《F.I.L.》、《ヨコハマトリエンナーレ2014会場構成》など。著書=『日本近現代建築の歴史』(講談社、2021)、共著=『白熱講義──これからの日本に都市計画は必要ですか』(学芸出版社、2014)、『磯崎新インタヴューズ』(LIXIL出版、2014)、『Real Urbanism』(Architectura & Natura、2018)ほか。国際巡回展「Struggling Cities」企画監修。

本特集の見立て:生環境構築史とヒューマンエコロジー
Perspective of the Special Issue: Habitat Building History and Human Ecologies
/本集立意:生环境构筑史与人类生态学
青井哲人/Akihito Aoi
エコロジーのはじまりと広がり
Origin and Extent of Ecology
/生态学的起始与发展
藤井一至/Kazumichi Fujii
ブックガイド1:「エコモダニズム」と生環境構築史
Review on Ecomodernism and Habitat Building History
/述要1:“生态现代主义”与生环境构筑史
日埜直彦/Naohiko Hino
ブックガイド2:再野生化(リワイルディング)について
Review on Ecosystem Re-wilding
/述要2:关于再野生化
松田法子/Noriko Matsuda
ブックガイド3:エコロジー思想の中の「無」
Review on “Emptiness” in Ecological Thought and Practice
/述要3:生态学思想中的“无”
藤原辰史/Tatsushi Fujuhara
ブックガイド4:エコロジー思想におけるオルタナティブを求める動き
Review on Quest for Alternatives in Ecological Thought
/述要4:生态学思想所追求的可选择性
藤井一至/Kazumichi Fujii
インタビュー:生物学者からみたエコロジー
Interview with Masaki Hoso: Ecology from the Biologist Viewpoint
/采访:生物学家细将贵眼中的生态学
細将貴+藤井一至+日埜直彦/Masaki Hoso+Kazumichi Fujii+Naohiko Hino
インタビュー:精神とエコロジーをつなぐ
Interview with Takeshi Matsushima: Connecting Mind and Ecology
/采访:精神和生态学间的联系
松嶋健+藤原辰史+日埜直彦+藤井一至+松田法子/Takeshi Matsushima+Tatsushi Fujihara+Naohiko Hino+Kazumichi Fujii+Noriko Matsuda

協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)