第5号
特集:
エコロジー諸思想のはじまりといま───生環境構築史から捉え直す Development of Ecological Thought: Reconstructing from the Viewpoint of Habitat Building History 生态学诸思想的发展:以生态学的视角重构
ブックガイド3:エコロジー思想の中の「無」
藤原辰史【HBH同人】
Review on “Emptiness” in Ecological Thought and PracticeTatsushi Fujuhara【HBH editor】
述要3:生态学思想中的“无”
This paper deals with the idea that human intelligence and artifice are regarded as vain or empty in ecological thought. Fukuoka Masanobu’s thought is the most important in this regard. After the war, he developed the “natural farming method [Shizen-nōhō]” based on the principle of no tillage, no fertilizers, and no pesticides, and spread it throughout the world. He had studied modern agricultural science before the war, but after suffering a physical breakdown, he came to believe that human beings, no matter how much they learned, could never be as good as nature. On the one hand, the idea of natural farming, which requires minimal work, can be likened to the “Natürlicher Landbau [natural farming]” method based on the principle of no tillage and no fertilizer, which was practiced in Germany from the turn of the century. The idea of denying science and intelligence is also found in the agricultural practices of indigenous peoples, which are seemingly chaotic and the opposite of modern agricultural practices but are nonetheless praised by the anarchistic anthropologist James C. Scott. Therefore, the idea of “emptiness” can be considered close to anarchism.
[2022.11.4 UPDATE]
はじめに
ここで「無の思想」と呼んでいるのは、近代社会で過信した人間の科学技術の力を根幹から否定し、それをもたらした人間の「傲慢」を断罪して、自然の力を最大限生かした暮らしを求める思考様式のことである。あらかじめ断っておけば、西田幾多郎の無の哲学とは直接的な関係を結んでいるわけではない。本稿で取り上げる「無の思想」はむしろ高度に成長した産業社会に対する倦怠や嫌悪という少なからぬ人びとが共有する感情にもとづいて記述されている。人間の成し遂げた文明への徹底した不信と人間の無力さが、この思考様式の中核を占める。「無の思想」は、農の営みという人間の本源的な行為において最も先鋭化する。本誌で藤井一至が整理しているような「有機農法」の思想と重なる部分も少なくないが、それよりは「自然農法」という、「有機農法」が使用する農機具も使用しないような、ラディカルな近代批判的農法と縁が深い。しかも、科学技術だけではなく、人智の過信へと批判が向かっているため、それはしばしばアナキズムとも隣接し、少なくないインパクトを獲得したと言える。
また、エコロジーのなかでは、ノルウェーのエコロジスト、アルネ・ネスが1973年の論文で打ち出し、『ディープ・エコロジーとは何か——エコロジー・共同体・ライフスタイル』で詳しく展開した「ディープ・エコロジー」も、人間の代わりに「生命」を中心におく生物圏平等主義を打ち出し、人間を「生態系に組み込まれた生態的な存在」にすぎないとしており、無の思想と重なる部分が多い★1。あるいは、トルストイ、ガンジー、宮沢賢治の表現と行動の背景にも、人間を脱中心化する、あるいは近代社会や科学を根源から問うような考え方が多分に含まれていたことも、やはり否定できない。
本稿では、時代が前後するが、まず、総力戦の時代にすでに萌芽がみられ、1947年から農法の試みが始まり、経済成長期に多くの支持者を獲得した福岡正信の思想に着目する。彼が確立し、日本のみならず、世界中に多くの支持者を獲得した「自然農法」の思考様式は、ディープ・エコロジーよりもさらに徹底的な無為へと向かう。それから、それより30年早く、19世紀の末ごろから20世紀初頭にかけて自然の一体を目指す生改革運動が活性化した時期にその源が生まれ、20年代に花ひらき、総力戦の時代にナチスと微妙な関係を取り続ける、ドイツの自然農法の試み、そして、2014年に人類学者ジェームズ・C・スコットが執筆した『アナキズムに万歳二唱──自立、尊厳、そして意味ある仕事と遊び』のなかで、彼が着目した自然を生かした非近代農法や、それをめぐる彼の考え方を追ってみたい。
福岡正信の足跡
まず、福岡正信のたどった足跡を、彼の主著『自然農法──わら一本の革命』に即して追ってみたい。1913年2月2日、福岡は、愛媛県の伊予市に生まれた。1931年に、旧姓松山中学、現在の愛媛県立松山東高校を卒業し、1933年に岐阜高農農学科、現代の岐阜大学応用生物科学部を卒業した。翌年、山手公園の隣にあって、横浜港を眺めることができる横浜税関の植物検査課に勤務する。福岡はここで「外国から輸入される植物の検疫をしたり、輸出する植物の病気害虫の検査をするのが主な仕事」だったが、自由に時間が取れる仕事であって、普通は研究室にこもって、植物病理学の実験をしていたという★2。この研究室にはジベレリンを抽出した黒沢栄一がいて、彼から解剖顕微鏡の作り方などを教えてもらった。福岡は、アメリカと日本の柑橘類の幹枝果実を枯らす樹脂病の研究に没頭していた。横浜のナイトライフも存分に楽しんだらしい。南京町のダンスホールに出かけて、淡谷のりこにプロポーズをして一緒に踊ったと豪語している。
福岡の満たされた人生の最も重要な転換は、この税関に奉職中に訪れた。研究に没頭するあまり研究室で卒倒し、急性肺炎を引き起こしたのである。窓のない病室に入院し、今までの安心していた世界が急になくなったようで気分が落ち込んだ、という。退院後も睡眠できず、仕事も手につかない。夜中に港や山を彷徨い歩くことを繰り返していた。ある日、福岡に転機となる出来事が起こった。
「港が明けてくのを、うつらうつらと見るともなく見ておりました。崖の下から吹き上げてくる朝風で、さっと朝もやが晴れてきました。そのとき、ちょうどゴイサギが飛んできて、一声するどく鳴きながら飛び去ったんです。バタバタッと羽音を立てて。
その瞬間、自分の中でモヤモヤしていた、あらゆる混迷の霧というようなものが、吹き飛んでしまったような気がしたんです。私の確信していた一切のよりどころといいますか、平常の頼みとしていた全てのものが、一ぺんに吹っ飛んでしまった。
そして私は、そのとき、たった一つのことがわかったような気がしました。
そのときに、思わず自分の口から出た言葉は、「この世には何もないんじゃないか」ということだったんです。“ない”ということが、わかったような気がしたんです★3。」
翌日に横浜税関に辞表を提出し、福岡は郷里に戻って帰農する。自分の「一切無用論」を実証するため、村長を務めていた父親から譲り受けたミカン山で、ミカンを放任していたら、全て枯れてしまう。これは放任であって、自然とは違うと悟る。その後、高知県の農事試験場に入り、そこで8年間、科学農法と自然農法の実験をする。もちろん、総力戦体制中であり、増産のための科学農法の指導に勤しんだ。敗戦後、彼は愛媛に帰り、再び百姓になるのであった。
ここまでたどってきたように、福岡は、戦前から近代的農業技術の研究と普及の中心的組織であった農業試験場(戦前は農事試験場)で近代農業を学び、その普及者でもあった。そのうえで近代農法の弱点を知り、「何もしない農法」、「自然に仕えてさえおればいい」という究極の「哲学」★4を追求するため、長期間にわたり研究を続けることになる。
「何もしない」農法
ただ、興味深いのは、「自然」ということはすなわち「放任」とは異なる、ということである。自然的ではない育て方をしてきた植物や、そのようにして耕されてきた土壌を放置するのではなく、人間の預かり知らぬ自然の力が発揮できるような環境にはしなければならない。そのための原則は、『わら一本の革命』によると、4つある。第1に、不耕起。「わざわざ人間が機械で耕耘しなくても、植物の根や微生物や地中の動物の働きで、生物的、化学的耕耘」が行われる。
第2に、無肥料。「作物は肥料で作るものだとの[近代農法の]原則を捨て、土で作るもの」だとする。ただ、秋にわらを撒いて、田んぼの上で堆肥化するのを待つ。
第3に、無農薬。「自然は常に完全なバランスをとっていて、人間が農薬を使わねばならないほどの病気とか害虫は発生しない」という考え方ゆえに、虫は殺さない。
第4に、無除草。どうしても草が繁茂するので、米麦のわらを敷いて雑草の生育を抑えることもする。
では、まったく耕していない土の上に、種籾をばらまくだけで、あとは「何もしない」のか。そうではない。籾だけではネズミや鳥が食べてしまう。そこで、粘土団子を作って、それを撒くのである。粘土団子は「粘土に籾をまぜ、水を入れて練り、金網からおしだして半日乾かしてから、一センチ大の団子にするか、水で湿した籾に粘土の粉をふりかけながら、回転させて団子を造る」というものである★5。粘土団子を撒いたあと、乾燥鶏糞を撒く。ここには一定の人間行為が認められている。しかも、暖かい気候を利用し、稲刈りの始まる直前に、緑肥であるクローバー(根に窒素固定細菌が共生するので、土地に窒素が供給される)の種をばらまいておき、そこに麦の籾の粘土団子を蒔き、麦ふみをしながら稲を刈る、という流れになる。
クローバーの種を撒くにせよ、乾燥鶏糞を撒くにせよ、粘土団子をつくるにせよ、自然農法とは、何もしない農法、というよりは、人間ができる最低限のことだけをやって、あとは自然の力に任せる方法、というほうが正しいだろう。ただそれにしても、春先にトラクターで田んぼを荒起こしして、水を入れたあとに代かきを2回行ない、事前に育てておいた苗を等間隔に植え、農薬を撒き、雑草をとり、肥培管理をする、という作業はほとんど省略されることになる。トラクターも、農薬も、化学肥料もすべて用いないので、ほぼ完全に近代を否定した農法であると言えるだろう。
無の思想の先駆者たち?
このような農法の背景にある思想はラディカルである。福岡正信は、自身の哲学をまとめた『無[I] 神の革命』(1985)の中で、次のように述べている。
「人間が知る一切を、人間は知り得ていない。
人間が求める一切の物には価値がない。
人間が成す事は、一切が無用になる。
人間は無知、無為にして、初めて一切の価値あらしめ、一切を知ることができるのだ。★6」
ここにあるのは要するに、知への欲求ならびに人為の否定である。それは超越的なもの、彼に言わせれば「神」を信じることにつながる。福岡は、基本的には先駆的な思想を引用しない人だが、神を無視して、人間の知を過信するすべての先駆的哲学者・思想家をことごとく排除した。
『無[II] 無の哲学』の中で、福岡は、「神に背を向けた」アリストテレス、「神を見た人とはいえない」デカルト、「神の存在を願望するにとどまった」カント、「神の認識論の方向において絶対知が把握されるものではない」ヘーゲル、「自然に背を向けたときから、彼の挫折は始まり、悲劇の転落は必至であった」ニーチェらを、深く検討することはしないにせよ、「神を目指した人」という「群」として批判している★7。また、「科学の基礎を築いた」が「神を無視する方向に向かって進んだ」アリストテレス、「人間の知恵の強力さを強調した」ベーコン、「偶像神の破壊に成功し」たロック、「堂々と人間が動物」だと指摘したが「無神論者であることを誇りとした」フォイエルバッハ、「人間を愛する上では人後に落ちなかった」が「人間を機械の歯車化」する原因となったマルクスらを「神に背を向けた人」として、やはり退けている★8。
これに対して、彼が評価したのは、人間の能力の限界を示した人であった。「人間の無知を知り」「人間以外の神の立場に立ちえた」ソクラテス、この世は最悪の世界であることを見破」ったショーペンハウアー、「悲惨なまでの自己放棄のすえ、真理の何であるかを知った」キェルケゴール、晩年に「森に隠棲して哲人となった」ハイデガーなどは、福岡の考えと近い哲学者としてとらえている★9。
ただ、先駆者というよりは、自分の思想の遠近によって彼らの哲学を推測っているところがあり、福岡の思想形成にあたってはある意味、踏み台程度にすぎないとみるべきだろう。それよりは、世界を純粋に交わることのできる「子ども」の存在を無条件に称揚することのほうが多い。
無のエコロジーの背景
福岡の思想の背景には、これまで紹介したような彼の個人的な体験が存在するのであるが、社会的に見れば、それは多くのエコロジー思想と同様の問題であった。それを福岡は「汚染時代」と呼ぶ★10。水銀による食品公害、化学肥料による海洋汚染、ミカン栽培・出荷における人口甘味剤、防腐剤、着色料の使用などによる食と農の破壊である。ここまではおそらく有機農業運動の担い手やそのほかのエコロジー運動と同じだと言えるだろう。だが、彼は自然農法と有機農法は異なるという。
「結局、有機農法は、聞いた範囲内では、西洋哲学の考えに出発し、科学農法の一部にすぎないのではないか、と。科学農法と次元が同じである、と。もちろん、結果的に見て、実践していることがらそのものが、昔の堆肥農業と変わらないということは、科学的農法の一部と見られやすい。日本の自然農法、私が考えている自然農法というものは、実をいうと、いわゆる科学農法の次元からはなれた東洋哲学の立場、あるいは東洋の思想、宗教というものの立場からみた農法を確立しようとしてるんだ。」★11
福岡は、有機農法の源流に、明治維新以降の農学者たちが研究してきた堆肥重視の農法をみる。それをも、彼は徹底していないと批判するのである。
化学肥料と農薬を用いた農業に従事しているうちに体を壊し、福岡の著作から影響を受け、「自然農」を目指した川口由一もまた、人為を否定し、自然に身を委ねよと説く。
「有形無形に過去の生命たちの営みの歴史が大地に重なり、その歴史の上に次の生命が十全に生きることが約束されております。そこには生きるに必要なすべて自ずから用意されて、肥料は不要、農薬も不要、田畑に生きる小動物、微生物の餌も不要です。」★12
川口の最大原則は「耕さず、持ち込まず、持ち出さない」である。農園の外から化学肥料や農機具を持ってくるのではなく、すべて農園内でまかなえるものだけを使用する、という意味である。
川口のいわば「三無」の考えに魅せられて自然農を始めた人たちの背景も興味深い。たとえば、宮城県で自然農を始めた北村みどりは、こう述べている。
「東京生まれの東京育ち、「田舎」も東京……という私が百姓をめざすようになったのは、1986年のチェルノブイリ原子力発電所の事故がきっかけでした。
そのころの私は、安全な食べ物の共同購入、せっけん運動に忙しい専業主婦でしたが、初めて知った放射能おせんの恐ろしさに衝撃を受け、「いつ終わるかわからない。たった一度の人生。それなら納得のいく最もエコロジカルな自然を自分の生業にしたい」と、考えました。」★13
ただ、川口がまとめた『自然農への道』を読むと、自然農を選んだ人たちの多くは、チェルノブイリのような衝撃的事件というよりは、普段の何気ない近代農業への違和感を川口が言い当てているように感じ、自然農を選んだと述べている。
日本発の無の思想は世界に広がった。『わら一本の革命』は世界二十数カ国に翻訳された。私ごとだが、ハイデルベルク大学で「食と農の日本史」というゼミを受け持ったとき、ハイデルベルクで有機農法家のアルバイトをしているイタリア人学生は、ゼミの後すぐに「日本といえば福岡さんですよね。自分は日本の自然農法や有機農法のエッセイが書きたい」と言ってきたし、インドをフィールドとする人類学者は、私がトラクターの世界史について発表したとき、インドでも有名なのがトラクターを使用しない福岡正信の自然農法だ、とコメントをしてくれた。これほどまでに浸透しているのである。
家畜の拒否──1920年代ドイツの自然農法
ところで、福岡や川口の自然農法が登場するより30年ほど前に、ドイツでは「自然農法Natürlicher Landbau」と呼ばれる方法が登場していることには注意を払いたい。ヴァイマル時代とナチ時代を含む1925年から43年まで刊行された自然農法従事者の雑誌『大地を耕せBebauet die Erde』を分析した御手洗悠紀によると★14、この運動は、世紀転換期に中間階層によって担われた生改革運動Lebensreformbewegungに起源をもつ、という。生改革運動とは、都市化し、工業化された生活空間に対して自然界にフィットした生き方を目指す、いわば総合生活改善運動であった。裸体主義や菜食主義やオルタナティヴ医療などの中で、この自然農法が登場した。これは、人智学者ルードルフ・シュタイナーによって唱えられたバイオダイナミック農業と異なり、施肥そのものも批判する。担い手たちは、自然的な生活を求めて農村へ移住した人びとであって、ドイツ東部地方に多い大規模農業ではなく、小規模の農業を営んだ。
彼らが雑誌の中で展開したドイツの自然農法は、福岡や川口の自然農法と同様に、化学肥料のみならず堆肥使用を批判する。その理由には、日本の自然農法とは異なり、動物を役畜として農業に利用することへの嫌悪、御手洗の言い方を借りれば、現在の動物福祉的な観点がある。代わりに、緑肥(クローバーなどの豆科植物)、「市町村の廃棄物や下水と天然鉱物や木灰を混ぜ合わせ」たものを使う★15。つまり、土壌内の微生物を活性させることを何よりも優先することが重要なのである。御手洗は触れていないが、1922年に刊行された、ウィーン生まれの植物学者のハインリッヒ・フランセが、『耕地の植物』という本で自然農法を説いているが、これも土壌の微生物の分解力と、植物の力を最大限利用するというものであった★16。
また、御手洗によると、日本の自然農法と同様にトラクターとそのアタッチメントを使った土壌の攪拌についても批判的な記事があった。それはやはり土壌内微生物を破壊することにつながることが問題だとされた。代わりに、人間の力で耕すことや、トラクターなどの農業機械を別の目的で使うことはそれほど拒絶されなかった。というのも、機械よりも、舎飼をした家畜を使用することへの嫌悪感が強かったからである。
自然農法の従事者たちも、シュタイナーの農法の従事者たちと同様に、ナチスとは微妙な距離を保った。御手洗は、第二次世界大戦中の記事では、いかに農業機械を導入するか、とか、保存食の作り方など、戦争遂行に役立つ記事も見られたと述べている。
ドイツの自然農法運動は、それゆえに、福岡ほどの徹底さはないにせよ、また、現実にはどこまで実践されたかは別の論点であるにせよ、理念的には、無肥料を実践するなど最低限の人間の介入だけを求め、しかもそれは、福岡にはなかった家畜の解放という「無家畜」の理念にまで到達するものであった。「家畜」は、動物を人間の目的にあわせて改良し、育てるという「作為」の産物であるならば、それは自然の摂理に反する、というのがこの集団の考え方であった。
いずれにせよ、小さな差異は無数にあるとはいえ(しかも少なくとも日本の自然農法の黎明期には直接的なつながりは存在しない)、基本的には「無」のエコロジーに属するものといえよう。
アナキズムの農業論
上記のドイツの入植運動は、アナキズムとも深く関係している。ウーリッヒ・リンゼの『生態平和とアナーキー──ドイツにおけるあるエコロジー運動の歴史』(1986)によれば★17、第一次世界大戦後の入植運動にはアナキストも参加しており、自然への回帰や都市に対する逃避だけではなく、入植地での自給自足を目指した独立したコミュニティ形成もなされたという。また、人類学者ジェームズ・C・スコットもアナキズムの視点から、近代農業を批判している。『アナキズムに万歳二唱——自立、尊厳、そして意味ある仕事と遊び』(2012)の中で★18、19世紀のイギリスの農業普及委員会が西アフリカの農法と指導したときのエピソードを紹介している。
イギリスの農業専門家たちは、さまざまな種類の作物が無秩序に植わっている畑を見て、「耕作者が不注意で無頓着」だと判断した。しかし、いくら秩序立った西欧農業を導入しようとしてもうまくいかない。しかも西欧農法を導入すると収量が落ちるのである。途方に暮れたが、一人だけ西アフリカの現地民の人びとの農業のシステムに気づく。
「同時に行う複数品種の栽培と、収穫前に異なる作物を植えるリレー栽培のおかげで、土壌の浸食を妨げて降雨を土壌に捉える被覆植物が一年中にわたって存在した。ある作物は別の作物に栄養素を提供したり、日陰を与えて日射から守ったりした。盛り土は、雨水による土壌侵食を防いだ。害虫や病気を減らすために、作物はあちこちに分散して植えられた。」★19
このエピソードを、スコットは「資本集約的な巨大農地で、もっぱらハイブリッド種や最大限均質的なクローンを、耕作と機械収穫が容易になるよう、直線上に単作で栽培するのを好んできた」近代の「科学的農業」と対置させて論じている。そして、欧米諸国や(もちろん日本も)効率的だと信じてきた科学的農業が広まり、土着農業を変容させ、画一化させてきた歴史に対し、管理から逃れ自律的に振る舞うアナキストの態度と、自然の摂理に深く根ざしている農業の在り方を理想化しているのである。
福岡正信はみずからのアナキストだとは名乗っていないし、人類学者でもなく(学者的態度を嫌う)、論文も執筆していないが、スコットも実際に農業を営んでいるし、2人とも老子の「無為自然」の世界に親和性があることは強調してよいだろう。スコットも上記のエピソードを紹介するさいに、老子の「大国を治むるは、小鮮を煮るが若し」という『道徳経』の言葉を引いている。以上のように「無」のエコロジーは、大きなものより小さなもの、他律的なものより自律的なもの、人為的なものより自然的なもの、屹立よりは流れ、科学よりはその土地に根ざした知を重視する。
おわりに
以上、福岡正信の自然農法を中心に、川口由一、ドイツの自然農法の従事者、そしてジェームズ・C・スコットのアナキズム農業論を振り返ってみた。ただ、付け加えておかねばならないのは、現在、不耕起農法は、多国籍の化学企業によっても推奨されている、とうことだ。耕さない代わりに農薬で雑草や害虫をコントロールする、という方法である。これは、福岡や川口、スコットのエコロジーとは大きく異なることはいうまでもないが、二酸化炭素排出規制が国際的な合意となる中で、遺伝子組み換え種子や農薬や化学肥料を販売する企業も、このようなかたちで自然農法へアプローチを試みることが増えるかもしれない。自然農法の担い手にとって、なすがままである、という態度を守ることと、政治的に無作為でありつづける、ということの違いは、これまでよりいっそう強く意識されなければならない段階に入っているのかもしれない。本稿は、福岡やスコットの農業観にみられる思考様式を「無の思想」、つまり無に根ざしたエコロジーの流れに位置づけられるとして、整理を試みた。この思考様式は、もちろん、人生の意味を「無」にする反出生主義や、政治的なニヒリズム、シニシズムとは異なる。そのような暗さはほとんどない。あくまで積極的に人間の知的行為の小ささを認め、人知の及ばないところにこそ、この世界の豊かさがあると信じ、むしろその豊かさと積極的に交流しようとし、日々の小さな暮らしを自然に任せて営むことであり、それを人生の喜びとする立場である。科学的な知識に裏付けされた生活に慣れた人間には、それゆえ、「無」のエコロジーの実践は、少なくとも初期段階では厳しいものとなるだろう。この世の計画を一切捨て、集団形成にも無頓着であり、自己との間にすさまじいコンフリクトをもたらし、かつ、自然に翻弄されるような激しさもあることは否定できない。すべては自然の流れるままである、という生活態度は、世界の再野生化を計画する壮大さも存在しない。
すでに述べてきたようにそれぞれの事例には小さな差異がある。ただ、堆肥を与える有機農業でさえ作為的であると考える徹底ぶり、人間以外の生物の力への強い信頼という点では、一致しているといえよう。
注
★1──アルネ・ネス『ディープ・エコロジーとは何か──エコロジー・共同体・ライフスタイル』(斎藤直輔+開龍美訳、文化書房博文社、1997)
★2──福岡正信『自然農法──わら一本の革命』(春秋社、1983)9頁
★3──同上、12〜13頁
★4──同上、133頁
★5──同上、45頁
★6──福岡正信『無[I] 神の革命』(春秋社、1985)107頁
★7──福岡正信『無[II] 無の哲学』(春秋社、1985)308〜309頁
★8──同上、310〜311頁
★9──同上、306〜307頁
★10──福岡『自然農法──わら一本の革命』第3章「汚染時代への回答」を参照。
★11──同上、150頁
★12──川口由一編『自然農への道』(創森社、2005)25〜26頁
★13──同上、30頁
★14──御手洗悠紀「戦間期ドイツ語圏の有機農業──「生改革運動」における「自然農法」に着目して」(『農業史研究』第52号、日本農業史学会、2018)
★15──同上、76頁。
★16──Raoul Heinrich Francé, Das Leben im Ackerboden. Franckh'sche Verlhandlung, Stuttgart 1922.
★17──ウーリッヒ・リンゼ『生態平和とアナーキー──ドイツにおけるエコロジー運動の歴史』(内田俊一+杉村涼子訳、法政大学出版局、1990)
★18──ジェームズ・C・スコット『実践 日々のアナキズム──世界に抗う土着の秩序の作り方』(清水展+日下渉+中溝和弥訳、岩波書店、2017)59〜63頁
★19──同上、59〜60頁
藤原辰史(ふじはら・たつし)
1976年生まれ。食と農の現代史。京都大学人文科学研究所准教授。著書=『ナチスのキッチン──「食べること」の環境史』(水声社、2012)、『トラクターの世界史──人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』(中央公論新社、2017)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル、2017)、『給食の歴史』(岩波新書、2018)、『分解の哲学──腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社、2019)など。編著=『第一次世界大戦を考える』(共和国、2016)など。共訳書=フランク・ユーケッター『ドイツ環境史 エコロジー時代への途上で』(昭和堂、2014)など。
- 本特集の見立て:生環境構築史とヒューマンエコロジー
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Perspective of the Special Issue: Habitat Building History and Human Ecologies
/本集立意:生环境构筑史与人类生态学
青井哲人/Akihito Aoi - エコロジーのはじまりと広がり
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Origin and Extent of Ecology
/生态学的起始与发展
藤井一至/Kazumichi Fujii - ブックガイド1:「エコモダニズム」と生環境構築史
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Review on Ecomodernism and Habitat Building History
/述要1:“生态现代主义”与生环境构筑史
日埜直彦/Naohiko Hino - ブックガイド2:再野生化(リワイルディング)について
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Review on Ecosystem Re-wilding
/述要2:关于再野生化
松田法子/Noriko Matsuda - ブックガイド3:エコロジー思想の中の「無」
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Review on “Emptiness” in Ecological Thought and Practice
/述要3:生态学思想中的“无”
藤原辰史/Tatsushi Fujuhara - ブックガイド4:エコロジー思想におけるオルタナティブを求める動き
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Review on Quest for Alternatives in Ecological Thought
/述要4:生态学思想所追求的可选择性
藤井一至/Kazumichi Fujii - インタビュー:生物学者からみたエコロジー
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Interview with Masaki Hoso: Ecology from the Biologist Viewpoint
/采访:生物学家细将贵眼中的生态学
細将貴+藤井一至+日埜直彦/Masaki Hoso+Kazumichi Fujii+Naohiko Hino - インタビュー:精神とエコロジーをつなぐ
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Interview with Takeshi Matsushima: Connecting Mind and Ecology
/采访:精神和生态学间的联系
松嶋健+藤原辰史+日埜直彦+藤井一至+松田法子/Takeshi Matsushima+Tatsushi Fujihara+Naohiko Hino+Kazumichi Fujii+Noriko Matsuda
協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)