生環境構築史

第5号  特集:
エコロジー諸思想のはじまりといま───生環境構築史から捉え直す Development of Ecological Thought: Reconstructing from the Viewpoint of Habitat Building History 生态学诸思想的发展:以生态学的视角重构

インタビュー:精神とエコロジーをつなぐ

松嶋健+藤原辰史+日埜直彦+藤井一至+松田法子【広島大学大学院人間社会科学研究科/HBH同人】

Interview with Takeshi Matsushima: Connecting Mind and Ecology Takeshi Matsushima+Tatsushi Fujihara+Naohiko Hino+Kazumichi Fujii+Noriko Matsuda【Hiroshima University/HBH editors】

采访:精神和生态学间的联系

Takeshi Matsushima is an anthropologist who studies psychiatry in Italy. In this interview, Matsushima expands not only on the relationship between psychiatry and ecology, but also on the relationship between architecture and the mind, as well as considering the question of the appropriate size of community.
The interview seems to show us new directions in ecological thought in the following three ways:
First, connecting mind, ecology, and society through eating deepens human mental and physical well-being and humans’ relationships with various other worlds. Making these connections also encourages involvement with politics through eating.
Second, enriching the relationships between humans and non-humans enhances the mental and physical health of humans and leads to a fundamental change in human life.
Third, scholarship is also ecology. For example, the anthropologist Jiro Kawakita considers mental pollution and organizational pollution to be problems of pollution.


[2022.11.4 UPDATE]

ゲスト:
松嶋健(文化人類学・医療人類学|広島大学大学院人間社会科学研究科)

司会:
藤原辰史(農業史・環境史|京都大学人文科学研究所)

参加者:
日埜直彦(建築家|日埜建築設計事務所)
藤井一至(森林科学|国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所)
松田法子(建築史、都市史|京都府立大学)

編集:
贄川雪(編集者)


藤原辰史──今日は文化人類学、医療人類学を研究されている松嶋健さんをゲストにお迎えしました。松嶋さんのご著書『プシコ ナウティカ──イタリア精神医療の人類学』(世界思想社、2014)は、精神疾患を抱える人々を隔離し閉じ込めるような従来の精神医療のあり方を見直し、全土の公立精神病院を廃絶したイタリアが舞台となっています。閉鎖的な病院ではなく、開かれた地域コミュニティが精神ケアを担うことで、彼らはどのように居場所を見つけながら回復していくことができるのか──松嶋さんは、彼らと演劇活動を共にし対話を積み重ねながら、フィールドワークを展開します。



また、本書で松嶋さんが、精神医療の実践のみにとどまらず、自然や身体、そして僕の研究テーマでもある食や農業といった、エコロジーを考えるうえで重要なさまざまなテーマにも言及されているのが印象的でした。精神疾患を人間の問題として片づけるのではなく、社会や自然、生態系の一部として捉える視点は、とても重要なものだと思います。松嶋さんを囲み、精神とエコロジーをテーマにお話ししたいと思います。

まず、松嶋さんが、このようにエコロジカルな問題に触れるようになったきっかけから教えてください。

イタリアの精神医療の実践

松嶋健──精神疾患は個人の心あるいは脳にかんする内面的な問題だと考えられがちです。しかし、実際の臨床の現場を見ていくうちに、じつはまったく内部に閉じられた問題ではないと気がつきました。心とは、決して人の内側にあるようなものではなく、環境やさまざまな外的要因と交わったり、内面からはみ出したりするものなのだと実感する局面がたくさんありました。


精神科病棟設計プラン (1884)
写真はすべて提供=松嶋健


精神医療には、大別して2つの方向性があります。ひとつは、あくまで自分たちの理論的な考え方のもとで対処しようとする方法です。もうひとつは、相対している存在や現象に従い、自分たちの考え方や実践のほうを変化させていく方法です。僕がフィールドとしたイタリアの精神医療は、まさに後者の方向性を歩みました。

イタリアの臨床家たちは、苦しんでいる個人の心をどうにかしようとするのではなく、まずはその人たちの声をちゃんと聴くことから始めました。すると、人が日々の生活で必要としているものが見えてきました。それは、例えばベッドサイドの小机と、そこに置く家族の写真といったちょっとしたものだったのです。人々の声にしたがって、精神病院の中の環境を変えていくと、今度はそもそもどうして精神病院のようなものが存在しているのかが問われることになります。そうすると、社会の制度や規範を問題にせざるをえなくなっていく。そこに限界を設けずに向き合うことで、結果的に精神病院の廃絶にまで至ったわけです。

興味深かったのは、食べものから働きかけていくような実践です。これはまさに、藤原さんのご関心ともリンクする部分だと思います。実際、向精神薬を服用している人は、腸内環境が乱れ体調不良をきたしていることが多い。そのため、通常以上に食べもの、例えば有機野菜かどうか、天然の塩や砂糖か、それとも精製されたものかなどが、その人の調子に大きな影響を与えることがあるのです。

イタリアでは、1970年代後半から80年代という同時期に、精神医療改革とスローフード運動が広がりました。日本でのスローフード運動は、コミュニズム的な側面は消され、ロハスのような生活スタイルのひとつとして消費されているきらいがありますが、本来はとても政治的な運動です。“舌の上の日々の投票”とでも言えるでしょうか。私たちが毎日どんな食材を選び、食べるかは、地域の食文化や農業生産、地球の生態系、経済格差までを含む、世界のフードサプライシステム全体に影響を与えています。そして、それが巡りめぐって私たちの心身の健やかさに影響してくるわけです。

心の問題を、個人の内部の問題にとどめず、社会、さらには自然環境も含む広い視野から捉えていく姿勢は、私の研究に大きな影響を与えたと思います。


現精神保健センターから旧精神病院を見下ろす

精神とエコロジー

松嶋──「心のエコロジー」について最初に本格的に取り組んだのは、人類学者のグレゴリー・ベイトソン(Gregory Bateson、1904-1980)です。『精神の生態学』(Steps to an Ecology of Mind)に収録されている統合失調症(当時は精神分裂病)にかんする考察は、「家族療法」の誕生につながりました。そしてイタリアのミラノが、その中心のひとつでした。同じ北イタリアのヴェネツィアで生まれた精神科医フランコ・バザーリア(Franco Basaglia、1924-1980)は、家族療法とは異なるアプローチで精神のエコロジーに取り組んだといえます。また、バザーリアが院長を務めていたトリエステには、フランスの思想家フェリックス・ガタリ(Pierre-Félix Guattari、1930-1992)もしばしば訪れていました。

ガタリは、フランスのラ・ボルド病院で精神科医のジャン・ウリ(Jean Oury、1924-2014)と「制度論的精神療法」を実践していました。フランス南東部にある古城を改修して開設されたラ・ボルド病院は、閉じた空間ではあるものの、その中で開かれと横断性を生み出そうと模索をしていました。病院の外に開いたイタリアとの間で、思想と実践の両方のレベルで密接な交流があったのです。

そのガタリが、1989年に出版したのが『三つのエコロジー』(Les trois écologies)です。そこで提唱されたのが、自然環境、社会環境、精神環境を同時に考えるエコロジー思想と、3つを統合するエコゾフィーという概念でした。まさに、精神医療の臨床現場の経験と理論が融合し、人間あるいはその精神を生態系の構成要素のひとつとして考える視点が生まれたわけです。

じつは同時代に、日本の文化人類学においてもこれと類似した動きがありました。地理学者、文化人類学者の川喜田二郎(かわきた・じろう、1920-2009)は、エコロジーという表現は使用していませんが、社会問題の根本として、環境公害、精神公害、組織公害を「3つの公害」として指摘しました。60~70年代という日本で公害が大きな問題となっていた時代に、環境汚染にとどまらず、人間の精神や、学校や家族をはじめとする社会システムの中の組織の問題に対しても、公害として同等に言及したのです。

また、ガタリとはやや力点が異なりますが、川喜田は学問を重視し、それこそがこの文明における「3つの公害」を治癒し改善する手法だと考えていました。60年代の大学紛争の時代に彼が考案した「移動大学」は、自然の中でフィールドワークを共同で行い研鑽しながら問題を考えていく──まさに「3つの公害」に向き合うための具体的な実践だったのです。イタリアの精神医療改革とは異なるものの、川喜田も場づくりを重視していました。これは、私の研究にも通じるところがあります。外から観察するだけではなく、フィールドでさまざなものに巻き込まれ、そのなかで語ったり、考えたり、書いたりする。そのような文脈において、私自身は学問自体をエコロジーのひとつとして考えています。

藤原──『プシコ ナウティカ』でも、農場での医療回復プログラムのエピソードが紹介されていました(p260-262)。農薬や化学肥料、殺虫剤をなるべく使わないという、生産にのみ特化しない、世界のある種の多様性を受け入れる農業に携わることによって、心を閉ざしていた人たちが次第に自分の精神のエコロジーを回復していくシーンが、とても印象に残りました。食べること以外にも、農業や土に触れること自体にそうしたケアの力があることには、とても勇気づけられます。

また、最後の川喜田二郎の話もとても示唆的です。学問のエコロジー──学問自体が開かれ、現場や対象から相互作用を受ける対象でもあることは、松嶋さんのご研究において非常に大事な要素ですね。私を含め、今日参加している編集同人の皆さんも、それぞれ学問の現場(フィールド)を持っているので、この点はとても共感したのではないかと思います。

科学とエコロジー、そのなかでの人間の立ち位置

藤井一至──素朴な疑問ですが、そもそも松嶋さんはなぜイタリアの精神病院を研究のフィールドとして選ばれたのでしょうか。

松嶋──元々イタリアには、カトリックにおける聖人崇敬の調査で行きました。じつは現地に行くまで、イタリアの精神医療改革のことはまったく知らなかったんです。調査の一環で大学に通いイタリア語を学んだのですが、その校舎が元精神病院の病棟だったんです。それを知ったことがきっかけで、現在のテーマを研究するようになりました。

また、食への関心から始まっている部分も大きいと思います。そもそもイタリアをフィールドに選んだ決定的要因に、食べもののことがあるのです。博士課程の研究以前にもイタリアを訪れたことがあり、そのときに初めて現地でチーズを食べたんです。今では日本でも比較的簡単に手に入りますが、当時は喫茶店で出される粉チーズのパルメザンチーズしかなかった。パルマで本物のパルミジャーノ・レッジャーノを食し、単なる美味しさを超えたその味の奥行きの深さに衝撃を受けたのを覚えています。

食べものを通して、人々がその地域の土や森林や気候、環境に対して、どのように関わりながら生きてきたかを知ることができます。食べものを介して、その土地の歴史の先端部に出会っている感じがするんですね。普段どのようなものを食べているかを知ることで、人々の生活や精神、思想の奥行きにも触れることができるように感じます。

藤井──とても興味深いですね。僕が研究している分野では、食べものはヒトにとってまずカロリーを満たすためのものとして捉えます。1ヘクタールで何トンの食料が生産でき、その栄養価はどれくらいで、何人をどれだけ持続的に養えるかを計算していく。松嶋さんがチーズを食べて感じたことで地域に入っていくようなエコロジーとは、別のエコロジーを考えている。

藤原──そもそもこの座談会は、松嶋さんにお話を聞いてみたいという藤井さんの提案がきっかけで開催されました。普段、藤井さんはスコップを片手に世界中をまわって土を採集し、それらを分析しながら、農業に最適な土について研究をされています。とても理論的な手法で生態学を研究されている藤井さんが、心や人間の営みといった分野を扱う松嶋さんの研究に関心を持ったことは、何かとても重要なことのように思います。藤井さんには、どのような意図があったのでしょうか。

藤井──僕の研究では、気候や地形、土壌の成分といったデータや分析値を通して、土の肥沃度を評価していきます。肥沃度が高い、つまり農作物の品質が高く生産量が多い、あるいは持続的に農業を行えるのがいい土であると、人間の目線で評価をしていくわけです。すると、どうしても研究者としては、こうした肥沃度の高い土をどんな土地においても作り出す方法はないか、その必勝法みたいなものを確立し、各地で実施できれば食料難が解決できるのではないか、と端的に考えてしまう。もちろん、地域によって気候や降雨量、土の成分はまったく違いますが、世界中の土をどこかで同じ条件にできないものか、という野心が芽生えてくるんです。

一方で、自分のなかでは、生態系とはそうではなくあってほしいという願望もある。コンピュータやAIが普及したせいか、何に対しても等しく“最適化”を推進する雰囲気が広がっていますが、違和感も感じます。何が最適なのかは一様には言えないし、ひとつの基準で求めた最適解がいつも最適とは限らない。言い換えると、いくつもエコロジーがあることが、とても大事なことではないかと思うんです。これは生態学の分野に限ったことではなく、同様の感覚が松嶋さんの分野にもあるのではないか、と。それでお話を聞いてみたいと思いました。

松嶋──藤井さんの今のお話は、大事な点に触れていると思います。SDGsやサステイナビリティという言葉を使うとき、そこではもちろんエコロジーが念頭にあるわけですが、結局それらは人間を中心とした議論となっている。つまり、多少の抑制はあれど、現在の地球の人口や、その価値観やライフスタイルを持続させるために、地球環境を破壊しない限界値を“最適化”していくという発想から出てきたエコロジーだと思います。

最近では「プラネタリーヘルス」という言葉があるように、人間を自然や他の生物と同等に扱うエコロジーを考える必要があります。そのとき、人間の都合だけでコントロールすることをやめて、どのように他の生物や水や土とのつながりと循環の中に着地していくのか、あるいはそれができずに絶滅してしまうのか、さらにはその循環の外に飛び出していくのか。ここに、人間を脇においたエコロジーではなく、人間を含むエコロジーを考えねばならない必然性があると思います。


旧精神病院の薬棚

人間の営みと環境の共存

日埜直彦──僕は心療内科のクリニックを設計したことがあり、その時に考えたこともあって『プシコ ナウティカ』を興味深く読みました。とりわけ精神医療施設の変遷、トリエステから始まった精神医療改革の動きにとても共感しました。医師と議論しながら設計するわけですが、日本の精神医療施設においては、クリニックの設備はまず医療制度と対応しているのであって、患者の治療そのものと必ずしも対応していないところがある。つまり、保険点数や施設設置基準が設計を決めてしまい、その枠内で設計する必要があるということです。患者の尊厳をリスペクトするイタリアの精神医療のあり方と、日本の精神医療の実際のあり方には、大きなへだたりがあると思います。

実際のところ、精神的な病のある部分を生み出しているのは近代社会です。藤井さんと松嶋さんのお話にもありましたが、現在考えられているエコロジーは、見方によっては、現代の人間の生き方を尺度として、その範囲を超える行為をしないよう、人間の型を固定しようとしているものとも言える。“まともな人間”というものを制度的に規定したうえで、それに沿うことができない心の病がある人を、例外としてその世界に再組み込みするための制度として、クリニックという空間は存在している。それを私たちはどう受け止めるべきなのか。また、医学の目から見た症状は典型化して分類されるわけですが、一人ひとりの生きる尊厳を個別に捉えることはできないものか。こうした問題を『プシコ ナウティカ』を読んで考えました。

松嶋──心療内科の内装をされた際に、どのような制限を感じられましたか。

日埜──その医師は現代アートのわりと有名なコレクターで、今の社会に対する人間の反応として、アートも精神疾患もを、等しく捉えていました。だから現代アートをクリニック内のあちこちに置いて、患者がアートに触れることで、なにかを引き出せるのではないかと考えておられたんです。しかし、例えば絵をかける壁を作ろうとしても、設置基準がそれを阻むといったことがあるわけです。本当ならゼロから患者のための空間を作れるはずなのに、制度が足枷になり10からしか始められないようになっている。これは精神医療のクリニックに限ったことではありませんが、そんな不自由さを感じた経験でした。

松嶋──すでに作られた制度や、人間のこと以外にも、重力や物質的な限界も含めて考えていかなければならない、というのは、特に建築に固有な営みだと思います。“構築”という言葉からも、いろいろなものを組み合わせたり組み換えたりして作るイメージがあります。

広島大学の大学院の院生が、広島・江田島の古い洋館の保存について研究や活動をしています。その学生から文化財保存の歴史について聞いていて感じるのは、建築物を保存するという発想と、自然を保護するという発想が、先ほど挙げた人間本位のエコロジー的なSDGsと同じフレームから出てきているのではないか、ということです。その根本にある世界観自体を含めて捉え直さないと、どうしようもないところまで来ているんじゃないかと感じます。そういう問題については、建築の分野ではどのように考えられていますか。

日埜──結論からいうと、文化財保護の制度の枠組みで建築を保存していくことには無理があると、僕は考えています。そもそも文化財保護の制度は、明治時代に古社寺を保存するために作られたものです。つまり、日本建築の伝統のエディフィスとしてそれらを残すということです。そんなわけで、文化財はその時代の生活と遠く離れたところに存在するものとして考えられていて、そのなかで人間が実際に生きている建築の保存は、文化財制度とは相性が良くないわけです。

それに対して、古社寺ではなく、今も生き生きと使われている建築を残すための論理はどうあるべきなのか。我々は、今のところその答えを持っていない。例えば、建築を建て替えることは自体がエネルギーの浪費であり環境に良くないから、建築を出来るだけ長く使いましょうといっても、さほど説得力はない。そんなわけで、いきおい既存の制度に頼りたくなるわけですが、今ひとつうまくいかない。そうこうしているうちに、結局壊そうという意見が勝ってしまう……そんな現状ですね。こんな見事な建築なんだから残そうよ、という主張が説得力を持つための根拠を、今とは違ったかたちで持たなければならないのでしょう。

では、古い建物がよく残っているヨーロッパではどうなっているかというと、市民の民主的な声がそれを後押ししている。持ち主の私有財産というだけでない、市民が生きている街をどうするんだという議論のアリーナのようなものが、保存を支える根拠として説得力を持っているわけです。文化財のような硬直的な制度を超えて、さまざまに使い変えられるものとして建築を捉えることも、そうして可能になります。もちろん日本でもいろいろな動きがあるわけですが、そういう議論を真正面からやって育てていかなければならないし、その洋館の保存のための活動もそういう一歩として考えていくべきなんでしょう。

住まうこと、都市やコミュニティとその規模

松嶋──イギリスの人類学者ティム・インゴルド(Tim Ingold、1948-)は、著作(The Perception of the Environment: Essays in Livelihood, Dwelling and Skill)の中で、建てること(building)と住まう(棲まう)こと(dwelling)を明確に区別しています。環境との相互関係のなかで人間以外の生きものの巣やニッチ、テリトリーが生成するのと全く同じように、インゴルドは人間の住まいを、環境との相互関係のなかで住まうプロセスを通じて生成していくものとして捉えています。こうした建てることと住まうこと、あるいは都市化や集まって住まうことに対しては、どのように考えられていますか。

日埜──まず前提として、人間が同時にこんなに増えてしまったときに、産業的に建築を作らなければならなかった必然性があります。世界人口は、19世紀初頭には10億人でしたが、現在では80億人に迫る勢いで、増加の一途を辿ってきました。そんな状況下では、自然に依存した建築の作り方では、皆のための住まいを量的に確保できない。住まいの確保は、生存において重要課題であり、歴史上、住む家がないことで社会不安や紛争が起きることは珍しいことではなかったわけです。だから単純に、自然回帰的な方向は解決策とはなりにくい。

また都市化も同様で、近代に都市化が急速に進行し、それが近代社会を作ってきた。そこには一定の否定し難い必然性がある。そこは引き受けたうえで、懐古主義に流されないことは必要でしょう。かつて成立していたことが今成立しないのはおかしく、ただ過去のあり方に戻ればいいということではなく、そこに21世紀なりの模索があるべきだ、と思います。イタリアのチーズだって、今と昔では生産量が比べものにならないはずだし、衛生などの基準から作り方もいろいろ違うでしょう。そこで守られたものがあったのは間違いないでしょうが、変わったこともある。都市においても、都市化自体が悪いというよりは、本当はなにが大事なのかを模索し足掻くことが重要ではないかと思うんですね。我々の都市も、まさにそんな足掻きの最中にあるように思います。

松嶋──人口の話がありましたが、集住の規模の問題についてはどのように考えられているのでしょうか。おそらくこれは、精神と社会のエコロジーにとって、とても大きな問題です。精神的な問題を抱えている人たちにとっては、狭いコミュニティも大きすぎるコミュニティも不適切なんですよね。お互いが存在を認知しつつも、匿名性やオープンさがあるサイズというのがあるような感じがします。

日埜──都市といっても、中央集権的なものであったり、分散的で低密度であったり、あるいは衛星都市の集合体であったり、実態的な組織のあり方に違いがあるので、単純に人口で一括りにはできません。巨大都市であっても、じつは小都市の集まりとして捉えたほうがいいこともある。いずれにしても、現代都市は、それぞれみな実験のようなものだと思います。例えば、東京は人口から見て最大の都市なんですが、それはいわば巨大化した都市をうまく機能させる実験の最先端なんじゃないか。100万人の都市は、東京と同じようにはなり得ません。もちろん相応に問題も抱えてもいるでしょう。そんなアドホックな試みが現状なのではないかと思います。

また、自分の居場所を安心して感じられるようなコミュニティはほどほどの規模が望ましいと言われるけど、他人が自分に無関心でいてもらえるような規模の大きさが救いになることもまたあるでしょう。コミュニティというのも重層的で、それをひとは局面によって使い分けているんじゃないか。それを単純化して考えると、大切なことを見失うようにも思います。大きさと小ささの両面あるなかで漸進的にトライし、問題が出たらその都度立ち止まって考えるというプロセスがあるものなのだ、という達観もいいんじゃないでしょうか。

松田法子──神代雄一郎(こうじろ・ゆういちろう、1922-2000)という建築史家は、『日本のコミュニティ』という雑誌特集のなかで、200戸1,000人という単位を理想的なサイズだと言っていました。彼は紀伊半島の菅島という漁村でそれを発見したといわれています。ここ数年、私は紀伊半島の漁村でフィールドワークをしていて、100ほどの集落を回りましたが、実際に約200戸ほどずつに集落が分かれて機能していることを感じます。例えば、三重県の九鬼という漁村は400戸ほどの規模ですが、集落内に2つの沢が流れていて、それぞれに沿うように200戸ずつに分かれた社会単位が形成されていました。祭礼や、定置網に船を出す組織が、この200戸ずつの地域社会集団を母体にするのです。これはコミュニティを長期的に持続可能にする運営スケールなのかもしれないと感じられることがありました。これが単純に現在の都市に適用できるかは別ですが、地域社会集団の持続可能スケールとしては参考になるかもしれません。

またコミュニティの形成についても、本来さまざまな方法があるはずなんですよね。去年、東京の湧水を歩くフィールドワークをやりました。東京の皇居から西側は台地に鹿の角のような複雑な谷地がたくさん入り組んだ地形になっていますが、起伏の多いこのような東京の山手の地形が形成されているのは、谷地の先端の一つひとつにそもそも湧水があったからです。湧水が台地を削って地形を作ったんですね。谷頭型といわれるこうした湧水の一群があり、加えて多摩川や荒川など河川が削った崖線沿いに崖線型といわれるもう一群の湧水が分布します。調べてみると、これら湧水地の真上の台地上には高確率で縄文時代の集落跡があり、同じ場所から旧石器時代の遺跡もよく発掘されます。広い台地の中でも住み着きやすい場所の条件というものはあって、特に水は死活問題ですから、まずは湧水の近くに定住地がひらかれる。生活は本来、文字通りの意味で土地に即したものです。巨大な人口を抱える現代都市において、土地から離れた立体的な居住は避けがたい一方で、しかし足元の土地との対応をはかる意味ある分節や土地との結びつきを、都市でもイマジナブルに取り戻してもいいんじゃないか。最近はそんなことを考えています。

現在、同じ土地に暮らす人口は何十倍、何百倍になってしまっているので、それを200戸で区切っていくことはできません。しかし、そこにいる数人やいくつかの家族でもいいので、その足元にある谷地や元湧水地に対して、何かをしていくということはできると思うんです。現在は被覆されているかもしれないけど、コンクリートやアスファルトを剥がして土の面にしてみれば、植物や昆虫がすぐに集まってくる可能性がある。残されている湧水地を小さなビオトープのように拡張しているところも既にある。そういう場所を少しずつでも都市に発生させ、生態系の中に暮らしを紐づけていくことなら個人のレベルでも可能だし、大地との関わりを取り戻そうとする試みができるような気がします。

松嶋──自然や環境との接触を、大雑把に都市の内/外で区切るのではなく、都市の中にいながらそこにある別の層につながっていこうというのは、エネルギーから食にまでわたる政治につながる具体的な実践ですね。私自身、パンデミックの中家で過ごしながら、できるだけ都市の外につながる要素を家の内やまわりに見つけ、それらとの結びを強めるということに多くの時間を費やしていました。

日埜──近代の都市計画には「近隣住区」という概念が出てきます。人口にしてざっと5,000~6,000人を想定した地域の単位になります。日本の都市計画でも、団地などを計画する際に基礎的なまとまりとして考えられ、小学校の校区などもそれと関係があります。都市計画では、そういうアプローチをとり、実際制度もそれと連動してるわけですが、皆がそれを意識しているわけではない。近代にはそうしたものが出てきたけど、つまりそれに限らず結局のところコミュニティの単位はいろいろとあり得るということですね。


社会協同組合の仕立屋

物質、心身、代謝とエコロジー

松田──個人的なことですが、私は水道水や食べもののいくつかにアレルギーがあって、体がその物質を受け入れられないということがあります。また、以前とある治療で初めてステロイドの点滴を受けた際の反応がとても強烈だった。脳の中で、何十年も前の記憶の断片が次々にフラッシュバックしながら再生される、という経験をしました。また、そうした治療の前後では、必ずしも同じ自分ではないのではないか、とも感じました。もうひとついうと、健康だと感じている時と不具合を抱えている時と、どちらの自分が本当なのか、ということは割とよくわからないのではないかとも感じているんです。旺盛で行動力に満ちている状態とは何かの物質の一時的な過剰分泌のせいであり、じつの性格はその人の本来ではなかった、なんてこともあり得るんじゃないかと。

そこから、ある種の物質を投与されたことに対する脳や身体の反応について考えるようになりました。生物学者の福岡伸一(ふくおか・しんいち、1959-)さんが、代謝の面から考えれば人間は常に更新されているので、普通に生きていたとしても数カ月前の自分は物質的には大いに他人であるといったことを書かれていますが、体内の物質のちょっとした添加や増減が精神や心にずいぶん影響する面があるのだろうということは実感できました。

松嶋──それはきわめて重要な指摘だと思います。代謝を通して自身がかたち作られていくことに対して、敏感な人と鈍感な人がいると思います。鈍感だと、自分は不変であり、同一のアイデンティティを持つというような感覚が強固に形成されてしまう。そうした感覚は、いつか自分が死ぬことを頭でわかってはいても、普段の生活では、まるで自分が不死であるかのような行動を取り続けることにつながりうる。生きているうちに使いきれないような富を得ようとするのも、一種の不死の妄想と関わっていると思います。

しかし、身体の中にもエコロジカルな流れがあって、それは誰にも無視することはできません。最近の人類学の議論でも、今まで人間は意識があるものという前提でさまざまな知を形成してきたけれど、代謝の中にある存在として捉え直すことで、別の知や科学が作り出せるんじゃないか、という議論が出てきています。松田さんの話はそういう考え方にも結びつくように思いました。

松田──この生環境構築史では、人間が生きるための環境をどんな時代にどんな環境のセットと共に構築してきたのか、そのモードの変遷がどんな導因によっておきてきたかを理解しながら、これから構築するべき生環境の第4の様式を模索しています。構築様式4では、心の生環境というテーマも加えて考えていけるといっそう明確だと思いました。そこで松嶋さんにお聞きしたいのは、イタリアの臨床現場では、生活の構築というのはどのように意識化されているのか、ということです。修道院が治療の現場となっていた事例もありましたが、そのような宗教的な下地をもつ受け入れ場所が先にあって、そこでやっていくとうまくいくという話なのでしょうか。

松嶋──イタリアでは、精神病院を全廃し、治療の場を地域へ移行するなかで、「精神診療」から「地域精神保健」という言い方に変わりました。その地域精神保健の仕事の中心は、まさに生活の構築なんです。心の病を持つ人々の周りに、どうやって彼らが生活可能になるようなテリトリーを構築するか。病院では医療の論理が全面化していますが、その医療を単に病院の外でやるということではありません。言い換えれば、医療によって彼らを治すのではなく、生活をサポートする要素のひとつとして医療も存在する、という位置づけに変わり、主題がまさに個々の生環境の構築になりました。

とはいえ、そこにひとつのやり方があるわけではなく、人に応じて、さまざまな専門家がサポートをします。病院から地域へ出た医師や看護師やソーシャルワーカーたちの最も重要な仕事のひとつは、地域に出た患者をサポートできる人やリソースがどこにあって、それらをどうつないでいくか、ということです。それが、医師や看護師としての専門性以外に重要なメタ専門性となっている。地域精神保健とは、そのような実践です。そして、より良い環境を追求すると、いろいろな制度ともぶつかってきます。そうした際に、もっと大きなところで制度を変える必要も出てきます。そこで交渉したり闘ったりしながら、人間以外の存在とともに「生きている」環境を作り続けていくことが、人間にとってのエコゾフィー的実践となるのです。


社会協同組合の木工所

おわりに

藤原──物質と代謝や精神のお話に加えて、都市や人間の住まうという営みにまで、とても面白く議論が展開したように思います。松嶋さんは『プシコ ナウティカ』に「人間は、生物学的に人間であるからといって、社会的にも当り前に人間だというわけにはいかないのである。人間は、「人間(human beings)」であるというより、「人間になる(human becoming)」のであり、もっと言えば、「人間する(human doing)のである」と書かれています(p394)。この言葉には、松嶋さんの思想の根幹が表れているように思います。human beingsという言葉が、存在の所与性を感じさせてしまうのに対して、human doingという言葉からは、まさに代謝を含む人間の営みに対する眼差しが感じられます。これは人間に限られるものではなく、例えば都市cityにもbeingではなくdoingという見方をすれば、そのなかで人と人とが集い、生きながら構築されているものであるという視点を得ることもできるでしょう。今日のお話でも、私たちにさまざまな視点を示唆していただいたように思いました。

最後に、この生環境構築史という研究に対して、ひとことお願いします。

松嶋──人間にも人間以外の存在に対しても、こうした見方で見てみることは、とても大切だと思います。長期的に、人間が地球にどれほど壊滅的なダメージを与えたとしても、あるいは人間がいなくなったとしても、自然はそこから回復するレジリエンスを持っているものとしてあるでしょう。そこでは、自然も人間も同じく共にbecomingしているわけですが、そのなかで人間がなすこと、できること、できないことの範囲についていっそう考える必要がある。そこから近代とは違った世界観や知が生み出されるのだと思います。

その結果として、人間がどのように変化していくかはわからないし、それをコントロールすることはできません。しかしそれでも、例えば松田さんのように東京を湧水地から見たり、藤井さんが土から地球を見たり、日埜さんが設計から精神ケアの空間を見たりするというそれぞれの行為において、人間以外のものの視点を体得し取り入れていけるということが、human doingの醍醐味でもあるのではないかと考えています。

[2022年8月4日、オンラインにて収録]



松嶋健(まつしま・たけし)
文化人類学、医療人類学。広島大学大学院人間社会科学研究科准教授。著書=『プシコ ナウティカ──イタリア精神医療の人類学』(世界思想社、2014)。共著=『文化人類学の思考法』(世界思想社、2019)、『アートの根っこ──想像・妄想・創造・捏造を社会へ放つ』(晃洋書房、2022)など。共編著=『トラウマを生きる──トラウマ研究1』(京都大学学術出版会、2018)、『トラウマを共有する──トラウマ研究2』(京都大学学術出版会、2019)など。

藤原辰史(ふじはら・たつし)
1976年生まれ。食と農の現代史。京都大学人文科学研究所准教授。著書=『ナチスのキッチン──「食べること」の環境史』(水声社、2012)、『トラクターの世界史──人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』(中央公論新社、2017)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル、2017)、『給食の歴史』(岩波新書、2018)、『分解の哲学──腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社、2019)など。編著=『第一次世界大戦を考える』(共和国、2016)など。共訳書=フランク・ユーケッター『ドイツ環境史 エコロジー時代への途上で』(昭和堂、2014)など。

日埜直彦(ひの・なおひこ)
1971年生まれ。建築家。日埜建築設計事務所主宰。芝浦工業大学非常勤講師。作品=《ギャラリー小柳ビューイングルーム》、《F.I.L.》、《ヨコハマトリエンナーレ2014会場構成》など。共著=『白熱講義──これからの日本に都市計画は必要ですか』(学芸出版社、2014)、『磯崎新インタヴューズ』(LIXIL出版、2014)、『Real Urbanism』(Architectura & Natura、2018)ほか。国際巡回展「Struggling Cities」企画監修。

藤井一至(ふじい・かずみち)
1981年生まれ。森林科学。国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所主任研究員。著書=『大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち』(山と溪谷社、2015)、『土 地球最後のナゾ──100億人を養う土壌を求めて』(光文社新書、2018)など。

松田法子(まつだ・のりこ)
1978年生まれ。建築史、都市史。京都府立大学生命環境学部環境デザイン学科准教授。著書=『絵はがきの別府』(左右社、2012)、共編著=『危機と都市──Along the Water; Urban natural crises between Italy and Japan』(左右社、2017)など。共著=『変容する都市のゆくえ──複眼の都市論』(文遊社、2020)など。

本特集の見立て:生環境構築史とヒューマンエコロジー
Perspective of the Special Issue: Habitat Building History and Human Ecologies
/本集立意:生环境构筑史与人类生态学
青井哲人/Akihito Aoi
エコロジーのはじまりと広がり
Origin and Extent of Ecology
/生态学的起始与发展
藤井一至/Kazumichi Fujii
ブックガイド1:「エコモダニズム」と生環境構築史
Review on Ecomodernism and Habitat Building History
/述要1:“生态现代主义”与生环境构筑史
日埜直彦/Naohiko Hino
ブックガイド2:再野生化(リワイルディング)について
Review on Ecosystem Re-wilding
/述要2:关于再野生化
松田法子/Noriko Matsuda
ブックガイド3:エコロジー思想の中の「無」
Review on “Emptiness” in Ecological Thought and Practice
/述要3:生态学思想中的“无”
藤原辰史/Tatsushi Fujuhara
ブックガイド4:エコロジー思想におけるオルタナティブを求める動き
Review on Quest for Alternatives in Ecological Thought
/述要4:生态学思想所追求的可选择性
藤井一至/Kazumichi Fujii
インタビュー:生物学者からみたエコロジー
Interview with Masaki Hoso: Ecology from the Biologist Viewpoint
/采访:生物学家细将贵眼中的生态学
細将貴+藤井一至+日埜直彦/Masaki Hoso+Kazumichi Fujii+Naohiko Hino
インタビュー:精神とエコロジーをつなぐ
Interview with Takeshi Matsushima: Connecting Mind and Ecology
/采访:精神和生态学间的联系
松嶋健+藤原辰史+日埜直彦+藤井一至+松田法子/Takeshi Matsushima+Tatsushi Fujihara+Naohiko Hino+Kazumichi Fujii+Noriko Matsuda

協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)