生環境構築史

連載

鏡の日本列島 2:日本列島のかたち──なぜそこに陸地があるのか

伊藤孝【編集同人】

Mirrored Japan 02: The Shape of the Japanese Archipelago -- How nature shaped its current formTakashi Ito【HBH Editor】

鏡中的日本列島 2:日本列島的形狀──為何那裡會有陸地?

The size and shape of the Japanese archipelago is the first thing you look into when thinking about how to develop “Mirrored Japan.” The topography of the islands widely differs from the east and the west side. On the east side, trenches closely stretch along the archipelago, fringing from 4,000 to 8,000 meters depth. Take for example Mt. Fuji, the highest mountain in Japan which is 3,776 meters high at its summit; the structure below sea level is more massive than the land we see above the water. So, the Japanese archipelago peeking out from the surface of the sea is just the upper end of the gigantic structure.

Looking at the trends of numerous climatic shifts between glacial and interglacial periods in the past 2.5 million years, the amplitude of cycles have been increasing as they get closer to our present time. During glacial periods, the snowfall over high-latitude regions became compacted into large masses of ice and eventually created massive ice sheets several kilometers thick. Because these ice sheets hardly melt back to the ocean, the proportion of the water volume on land and in the sea changed dramatically on Earth. On a macro scale, the dropping sea level is indicative of the amount of water loss in the oceans. For instance, compared to today’s global sea level, it was 125 meters lower at the Last Glacial Maximum—the time period when the ice sheets reached their maximum total mass during the most recent ice age— which happened twenty thousand years ago. Even the landmass of the Japanese archipelago increased prominently and was able to nearly bridge the gap between Japan and the Eurasian continent. Once the sea lever rose again, the land got narrower as expected.

Since these sea level fluctuations do not occur on a scale of a person’s lifetime, it is hard to recognize the changes of the Japanese archipelago in its size and shape. However, it is clearer by looking through the two hundred thousand years of Homo sapiens history, especially the last thirty-eight thousand years where they started leaving traces of their daily life on the Japanese archipelago. On the other hand, the sea level has not dramatically changed for the last seven thousand years, which is particularly unusual. Such immediate sea level rise would negatively affect human communities such hunter-gatherers and farmers, and its impact would have definitely hurt human civilizations. That being said, it is just fortunate that we had been able to naively play on the coasts with the fixed sea level for the past seven thousand years.


[2021.3.4 UPDATE]

はじめに

かれこれ10年以上前、羽田から北海道の女満別に飛んだときだと思うが、窓側の席に陣取った私は空からの景色を楽しんでいた。幸い雲ひとつない晴天。当たり前だが、地図とまったく同じかたちに見える海岸線。もし、伊能忠敬がこの状況にあれば、彼は興奮を抑えきれず額と頬を窓ガラスに押し付けて眺めたはずだ。そして、自分の作った地図の正しさに満足感を覚えたに違いない。

そんな日本地図様の地形を見ながら、北へ北へ飛行は順調に続いた。さて、トイレで席を立ったときだろうか、ふと気づくと、左手にも海が見えたのだ。

「あれっ、戻っているの?」と思って右側も見たらそちらにも海がある。全く予想していなかったのだが、太平洋と日本海が見えてしまったのだ。今乗っているのは、普通の飛行機だ。高度10kmの水平飛行の状態で、気象条件さえ整えば列島を挟む両方の海が見えることを想像していなかった。南北に細長いのは知識として知っていたが、これほど細かったのか。

7〜8世紀の行基★1、18世紀の長久保赤水、19世紀初頭の伊能忠敬に間宮林蔵と、地図作りのパイオニアたちの手を経て、この国の全体像は徐々に鮮明になっていった[fig. 1]。明治以降は国家主導の組織的な全国測量により日本列島像の解像度は飛躍的に上がり、今では、外資系のサービスも含めてスマホからさまざまな縮尺の地図にアクセスでき、かつGPSで自分がその地図のどこにいるのか即座にわかる時代となった。



fig. 1──「この国のかたち」の変遷
上は一般に「行基図」と呼ばれ、菩薩と呼ばれる行基が作成したという伝承がある。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/行基図#/media/ファイル:Gyokizu.jpg)
下は長久保赤水が編纂した『改正日本輿地路程全図』。初版は安永8(1779)年。伊能忠敬が第1次測量に旅立つ21年前のことである。このように、伊能以前においても、本州、四国、九州に関してはかなりの情報が集積していたことがわかる。ちなみに、赤水は忠敬のように現地測量をしたわけではなく、当時明らかになっていた地図情報を収集・編集・統合してこのような地図を作成した。
(https://ja.wikipedia.org/wiki/長久保赤水#/media/ファイル:(Nihon_yochi_rotei_zenzu._LOC_77694708.jpg)
なお、伊能忠敬の日本圖は、国立国会図書館のアーカイブから閲覧できる。
(https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000007430868-00)


この連載のテーマ、「まっさらな日本列島の使い方」を考えるうえでまず基本になるのは、その様子であろう。今回は日本列島のかたちと広さについて考えてみたい。

現在の日本列島のかたちと広さ

ここではまず、よそから日本がどう見えているかという意味で、wikipedia.comでJapanを検索してみよう。それをGoogle翻訳にかけると「日本は、377,975平方キロメートル(145,937平方マイル)をカバーする6,852の島々からなる群島で構成されています。 北から南にかけて、北海道、本州、四国、九州、沖縄の5つの主要な島があります」となった★2。これはまさにfig. 2左の姿であろう。海の上に並ぶ大小7,000弱の島々。しかし、意味ありげな、このかたちや連なり方は何によっているのだろう。



fig. 2── 地質図Navi上で表示した日本列島のかたち
背景地図を左はGoogle地形、右はGoogle航空写真を選択。日本列島は4つの島と無数の小さな島からなっている。北北西―南南東方向に伸びかつ、東に凸の弧を描いていることがわかる。(https://gbank.gsj.jp/geonavi/)


地学の用語では、日本列島はプレート収束域で作られた「島弧」である★3。その名のとおり、東から南東側に凸のゆるい弧を描いているのだが、fig. 2左のように、海面から顔を出している部分だけを見ても、そのかたちの意味が伝わりにくい。では海水を取り去った状態で宇宙から眺めてみる。fig. 2右のように、日本列島の東と西では地形は大きく異なり、東にはぴったりと寄り添うように海溝と呼ばれる溝が分布している。この海溝の深さはそれを埋める堆積物の量によって変わるが、日本列島周辺では深さ4kmから8kmで、それが列島の東を縁取っている。ご存知のように富士山でさえ頂上の高さが3,776m。海面より下にはわれわれが目にしている列島よりも巨大な構造物があったのだ。海面から顔を出した日本列島はその巨大な構造の上端にすぎず、先に示した東から南東へのゆるい凸も、まさに海溝の連なりから始まる大構造のかたちを反映したものである。

そして、皆ご存知のように、この海溝こそ大洋側から陸側へとプレートが沈み込む境界であり、地震の巣でもある。

地球に陸があるということ

小学校で「地球の表面積の70%が海、30%が陸」と習ったときの印象は記憶にない。別段驚かなかったのだろう。大学に入り、「海の平均の深さは4,000m、陸の平均の高さは800m」と教わったときは少しばかり驚いた。海は広くて深い、陸は狭くて低い、なにかこう足元が心もとない感覚にならないだろうか。

今、海に行ってみると人工物で守られていない海岸を見つけるのは難しい。港はコンクリートで覆われ、テトラポッドが置かれていない砂浜は貴重な存在となってしまった。これらはわれわれが遊びにいけるような状況ではない大荒れの天候のときに陸が削られることを防いでくれている。また、川に目を転じても、台風が直撃し暴風雨に見舞われれば、普段の清流も濁流となる。これは陸の一部をかたちづくっていた土壌や岩石が削られ、水の営力で川に運ばれ、海に運搬されていることにほかならない。

このように、われわれは陸が削られる作用や結果をよく目にすることができる。しかし、そのような働きが何十億年も延々と続いてきたのに、いまだに陸が30%もあるのはなぜだろう。むしろ陸地が残っていることに驚愕すべきではないのか? すべて削られて「陸のない地球」、映画やUSJのWater World★4になってもおかしくないはずだ。

この問題の不思議さは、fig. 3を見るとさらに増す。これは地球全体を対象として標高・水深ごとの面積を表現したものだ。この図を見ると「陸の危うさ・はかなさ」がより鮮明になる。しかし、一体なぜ陸が残っているのか? それは雨や風による侵食作用に均衡するように、「陸を作る作用」が働いているからである。プレートの沈み込みに伴って、プレートに載って運ばれてきた堆積物や海溝に流れ込んだ砂などが、海溝の陸側にくっついて押し上げていく(付加作用:fig. 4図中の□部分)。そして、沈み込んだプレートが吐き出した水によりマントルの一部が溶け、そのマグマによって密度の小さい地殻ができたり、もしくは地表に溶岩や火砕物を吹き出す(火山の噴火:fig. 4)。さらに、地殻が横方向から圧縮されると盛り上がる。以上が、陸を作る代表的な作用として挙げられる。そして極端に高い山の存在は、大陸地殻どうしの衝突によるものだ。現在もインドとユーラシア大陸は押し合っており、その結果、険しいヒマラヤ山脈は山脈として存在している。



fig. 3──地球全体を対象とした標高・水深ごとの累積面積
引用出典=中西正男+沖野郷子『海洋底地球科学』(東京大学出版会、2016)




fig. 4──島弧―海洋系の模式図
山崎晴雄『富士山はどうしてそこにあるのか──地形から見る日本列島史』(NHK出版新書、2019)より引用し一部改変



また、陸は地球全体で考えると密度が小さく、マントルに浮いている存在である。仮に陸の表面が削られ少々薄くなったとしても、マントルとの新たな均衡を保つように陸が浮き上がる。そのようなわけで、雨風がせっせと陸を削ろうとも★5、現在でも陸は残っているというわけだ。

その土地の地質を見てみれば、上に挙げたどの作用により陸になっているか、知る手がかりになる。ここでは、四国と中国を例として、地質図Naviの親サイトであるシームレス地質図で示してみた。これによると四国の南半分はきれいに東西に伸びる付加体の縞でできていることがわかる[fig. 5上]。海溝の陸側にくっついた付加作用でできたものだ。南に行くほど岩石の年代が若くなることから、のちの時代にくっついたものとわかる。一方、中国はがらっと変わり、付加体の分布は限られ、昔のマグマ溜まり[fig. 5中]やマグマ溜まりから噴出した火山岩[fig. 5下]からなっており、主にマグマの働きによりできた陸であることがわかる。このようにわれわれが生活の舞台とし日々踏みしめている大地は、でき方やできた時代が場所によって大きく異なる。



fig. 5──列島を作る岩石
産総研シームレス地質図により示す。上が付加体、中が深成岩類、下が火山岩類の分布を示す。ここでの色の違いは岩石が形成された時代による区分である。


7,000年間の幸運──海面の上昇と下降

現在、われわれが実感を伴って、海面が上がったり下がったりするのを目の当たりにできるのは、干潮と満潮であろう。日本最大の干満差を誇る有明海では、6mを越えることがある★6。6mというとおよそ2階建ての住宅の軒の高さだ。この干満を生み出す力は潮汐力と呼ばれ、主に月や太陽の引力によって起こる。これはいわば、海水が月や太陽に引っ張られて右往左往させられているのを見ているわけで、海水そのものが増減した結果ではない。

ここで時間の軸を1日から数千年〜数百万年に伸ばしてやると、まったく別の景色が見えてくる。海水の量そのものが変化し、海面の高さが大きく変動するのだ。



fig. 6──過去550万年間の庭生有孔虫の炭酸塩殻酸素同位体組成の変動
出典=https://en.wikipedia.org/wiki/Marine_isotope_stage
元データはLisiecki, L. E., & Raymo, M. E. (2005). A Pliocene‐Pleistocene stack of 57 globally distributed benthic δ18O records. Paleoceanography, 20(1).


fig. 6を見てほしい。この図の横軸は年代で過去550万年間、縦軸は海底に住む微生物の炭酸カルシウム殻の酸素同位体を示している。これについての詳しい解説は他書★7に譲るが、この値が上に行った場合は温暖な間氷期、下に行った場合は寒冷な氷期である。今現在はこの分類でいうと、温暖な間氷期。私と同世代もしくは上の世代で、高校で地学を勉強した皆さんは、ギュンツ−ミンデル−リス−ヴルムという過去4回の氷期について習ったかもしれない。しかし、氷期はその4回だけではなかったのだ。特に、250万年前以降は、無数の氷期−間氷期が繰り返され、現在に近づくほど気候の振幅は大きくなっている。氷期には地球の高緯度の陸域に降った雪は根雪となり、やがて氷の塊に変化し、海に戻らない。それが厚さ数kmの巨大な氷床を作った。そのため、地球全体で考えれば、海と陸の水のバランスが変わり相対的に海水の量が減る。海面が下がる理由だ。fig. 7からは、直近の氷期である2万年前には、現在と比較して海面が125mも下がっていたことがわかる。



fig. 7──過去2万年間の海水準の変動
出典=https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=479979


もし、海と陸の境界の地形が垂直に切り立っていれば、海面が上下しようと陸の広さは変化しない。しかし、実際にはそんな地形はありえず、一般にはもっとなだらかである[fig. 8]。そのため、海面が上がれば陸は狭くなり、逆に海面が下がれば陸は広くなる。



fig. 8──日本列島を横切る地形断面図の例(垂直方向に50倍拡大したもの)
ここでは上越と水戸を通る断面を示した。最近では、このような断面図を一瞬で作れるようになってしまった。びっくりである。ここでは国土地理院の地理院地図の「ツール」→「断面図」の機能を利用。


サピエンスが日本列島に生活の痕跡を残すようになった3.8万年前以降について考えよう。彼らはまだ定住しておらず、狩猟採取生活を送っていた。一世代が短く、歴史を伝える文字も持っていなかったので、気付いていたかどうかわからないが、肌寒さは増し、海はどんどん遠くなっていった。今回の視点、列島の広さという意味で言えば、列島はみるみる広くなる。そして、縄文時代が始まる少し前、約2万年前の最終氷期の最寒期には、海面は現在よりもついに約マイナス125mに達した[fig. 7]。北海道、樺太は大陸の続きとなり、本州、四国、九州もひとつの陸となる★8。現在の対馬海峡、津軽海峡は浅くて狭い水路になっていた。そして、2万年前を越えると、海面はぐんぐん上昇し、約7,000年前に現在と同じ高さになり、そのあとはほとんど一定である。

このように、海水準(波や潮の干満などによる変化を平均化した海水面)が大規模に変動すると、日本列島のかたち・広さは変化する。日本国憲法の前文には、「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保」★9とあるが、海面が上がったり下がったりすることで、「自由のもたらす恵沢」が確保される範囲も大きく増減する。

ためしに前回紹介した地質図Naviでその様子を見てみよう。「データ表示」の「地形」にある「海面上昇シミュレーション」を開いてみて欲しい。ここでは少し極端に、地球上のすべての氷床の氷が溶けたときの海面上昇とされる約+70m★10、また先ほど紹介した2万年前の最終氷期の最寒期の海面低下の様子を示してみた[fig. 9]。先程、海の平均の深さは4000mと書いた。そのおよそ5%(消費税の半分!)、たかだか200m海面を上下させるだけで、日本列島のかたち・広さには、これほど大きな違いが生ずることになる。



fig. 9──海面を上下させたときの日本列島のかたち
地質図Naviの「海面上昇シミュレーション」により海面を上下させた。左は123m海面を下げたとき、右は71m海面を上げたとき。背景地図は無地、地質図は非表示とした。現在の地形をもとに簡易的に示したもの。実際の海進海退時には、堆積・浸食の作用が働き地形も変化するがここではそれを無視している。


普段われわれが馴染んでいる「何年」「何十年」という時間軸を離れ、地質学的なスケールで眺めると、海面は100mの単位で上下し、それに伴い日本列島のかたちも広さも大きく変化してきたことが理解できるだろう。貝塚に残された遺物から、われわれの先祖は海の恵みを堪能しながら生きてきたことがわかっている。またわれわれも臨海開発し、水際に巨大な構造物を作ってきたが、この約7,000年間は海面が大きく上がりも下がりもしなかった極めて特殊な状況下にあったということは理解しておきたい。

おわりに

足早に日本列島のかたちと広さを見てきた。人間の一生という時間スケールでは、日本列島のかたち・広さはほとんど変わらない。しかし、サピエンスの歴史20万年、もしくはサピエンスが日本列島に生活の痕跡を明確に、多量に残すようになった過去3.8万年間でみたら、大きく変化してきていることがわかる。

そして過去7,000年間、かなり例外的に海水準がほぼ一定を保っていたことは、いくら強調してもしすぎることはない。海水準の素早い変化は、狩猟採集民や農民、またわれわれとどんな生業をしている者にとっても影響を及ぼすが、土地の利用が高密化・高度化した後世になるほどその財産目録へのダメージは大きい。この約7,000年間はそんな心配をすることなく、「固定された海」の水際ではしゃぐことができたわけだ。

謝辞

本稿執筆に当たり、JSPS科研費17H02008の一部を使用した。記して、謝意を表する。


★1──近年は、行基が国境を定め「行基図」を作成した、ということは伝説であると考えられているようである(小嶋博巳(2016)国を分ける行基──『日本回国六十六部縁起』 の一節に関する覚書、清心語文, (18), 29-43)。
★2──それにしても、便利な世の中になってしまいました。自分が今中学1年生で英語を習いはじめたところであれば、いろいろと御託を並べて、英語の勉強を拒否する気がする。さて、この翻訳の原文は、以下の通り。
Japan comprises an archipelago of 6,852 islands covering 377,975 square kilometers (145,937 sq mi); the country's five main islands, from north to south, are Hokkaido, Honshu, Shikoku, Kyushu, and Okinawa. https://en.wikipedia.org/wiki/Japan
★3──ユーラシア大陸の一部であった日本列島が、割れて開いて、現在の位置まで移動してきた過程については、高橋雅紀(2017)「東西日本の地質学的境界 (第6話) 日本海の拡大」(『GSJ 地質ニュース』6(4), 113-120)『GSJ 地質ニュース』6(4), 113-120を参照のこと。
★4──https://twitter.com/IWKRterter/status/1307240975215943680https://ja.wikipedia.org/wiki/ウォーターワールド
★5──宮沢賢治の『楢ノ木大学士の野宿』「野宿第一夜」では、この陸を削る水や空気を批評する火山四兄弟の姿が描かれている。そこでの長兄の印象通り、陸の火山から見たら「あいつらは(…中略…)溝を掘るやら、濠をこさへるやら」、水や空気は自分たちを削る、本当に忌々しい存在なのかもしれない。
★6──http://www.npo-ariake.jp/ariakekai/about/
★7──大河内直彦『チェンジング・ブルー』(岩波書店、2008)、多田隆治『気候変動を理学する』(みすず書房、2013)、中川毅『人類と気候の10万年史 過去に何が起きたのか、これから何が起こるのか』(講談社ブルーバックス、2017)。
★8──イザナギとイザナミは、最初の共同作業として、手に手をとって矛を海に浸けて回し、それを引き上げ大八島国(淡路島、四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡、本州)を生んだとされているが、間氷期の時期に行われたに違いない。
★9──http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/dl-constitution.htm
★10──https://www.nationalgeographic.com/magazine/2013/09/rising-seas-ice-melt-new-shoreline-maps/


いとう・たかし
地質学、鉱床学、地学教育。茨城大学教育学部教授。NHK高校講座「地学」講師(2005〜12)。主な共著=『地球全史スーパー年表』(岩波書店、2014)、『海底マンガン鉱床の地球科学』(東大出版会、2015)など。主な論文=「自然災害に対する危機意識と実際の行動──フィリピン・ヴィサヤ地域の場合」(単著、2017)、「青森県深浦地域の新第三系マンガン鉱床から産出した放散虫化石とその意義」(共著、2019)など。


Takashi Ito
Geology, Ore Geology, Earth Science Education
Professor of Education at Ibaraki University





【Issue vol.1】
鏡の日本列島 1:「真新しい日本列島」の使い方を考えるために/Mirrored Japan 01: Towards the Development of “Mirrored Japan”/镜中的日本列岛 1:思考“全新的日本列岛”之使用方法


【Issue vol.2】
鏡の日本列島 2:日本列島のかたち──なぜそこに陸地があるのか/Mirrored Japan 02: The Shape of the Japanese Archipelago -- How nature shaped its current form/鏡中的日本列島 2:日本列島的形狀──為何那裡會有陸地?


【Issue vol.3】
鏡の日本列島 3:鉄なき列島/Mirrored Japan 03: Archipelago without Iron/镜中的日本列岛-3:无铁之岛


鏡の日本列島 2:日本列島のかたち──なぜそこに陸地があるのか
Mirrored Japan 02: The Shape of the Japanese Archipelago -- How nature shaped its current form
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伊藤孝/Takashi Ito

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