生環境構築史

フィールド編 第1回

島根県海士町Ama-cho Shimane

フィールド・ノート

「ないものはない」という思想
──海士町思考道場

藤原辰史(京都大学人文科学研究所)



[2023.10.9 UPDATE]

なくてもいい

はじめて、隠岐諸島の島前にある中ノ島の海士町に訪れた。レンタカーの店は港にないという。車は知人友人が港に置いたものを使っていいことになっている。ガソリン満タンにしておくことが最低限のルールだ。


すべて筆者撮影


近くの島々と橋がかかっていない。西ノ島と橋でつながる計画はあったらしいが、計画だけで終わった。いまも船で移動する。いわゆる「平成の大合併」とそれに付随する補助金を蹴ったこの島は、自分たちのアイディアだけを頼りにゼロから再出発した。国の意図に反して、今では全国から視察にくるような先駆的な自治体になっている。中央政府による地方政府の効率化はなんだったのか、と考えたくなる。

もちろん、スターバックスもマクドナルドもイオンモールもない。小さなスーパーはあるが、地元の農家は誰かの親戚であり、どこからか食べものはやってくる。知人友人と話がしたければ、家でのお茶に誘えばいいし、海を眺めながらビールを飲んでもいい。晴れた日の鏡ヶ浦の風景があれば、チェーン店の小綺麗な内装など必要ない。

都会の駅の近くにひしめくような塾がない。隠岐國学習センターという公立の塾があって、そこで高校生たちが学ぶことができる。島前の西ノ島町、海士町、知夫村がお金を出し合ってつくられた公立の塾は、有名大学進学者の人数で自尊心を満たしてしまうようなケチくさい感覚がない。グローカル人材の創出というとてつもない目標を掲げていて、島前高校と連携をしている。島前高校の自治寮も学びの場である。島外からの「留学生」が多いが、彼らや彼女らはいつか海士町に戻ってきたいという。自治寮では、いろいろなイベントが企画され、地元の人との交流も盛んである。全国の国立大学がことごとく自治寮を廃寮してきた結果と正反対の方向をいくこの流れは、現時点では子どもたちを、都会の高偏差値の学生よりも社会と深く繋がり、社会に対して一定の責任を果たそうとする子どもを育てることに成功しているようだ。

大きな書店もない。が、至るところに図書館の出張所のような本棚があって、そこから借りることができる。役場近くの図書館にはレベルの高い人文書も並んでいて驚く。また、出版社がある。「海士の風」という出版社はアリス・ウォータースの『スローフード宣言』を出版している。

大きな娯楽施設もない。シネコンも遊園地もパチンコ屋もない。だが、飲み会で3時間ずっと笑わせてくれる公務員がいる。
公務員なのに、堅苦しい話がほとんどない。ただ、話して、笑い続ける。すべての過ごした時間のうち1%だけ、小さな声で本音が漏らされる。これで十分だ。私たちは、飲み会を仕事の場にしすぎていることを反省させられる。

あるものから始める

「ないものはない」。町長室に訪れて渡された名刺にもポスターにも、このスローガンが書いてある。しばしば「自虐ネタ」として紹介されるが、そんな紹介の仕方はやめたほうがいい。独特のユーモアが染み込んだ「ないものはない」という思想は、そんなレベルのものではない。



「あるもの」に対する自信こそが、この言葉を生み出している。一度、財政破綻寸前まできた海士町は、町長たちの給与削減で集めたお金で、いったい自分たちが何をすべきかを一から考えた。役場の人間が、朝、お年寄りの栽培した野菜を直売所に出荷するために車を出した。役場の人がやることか、という批判もあったが、じつは、早朝にお年寄りの様子を見に行く絶好の機会となった。

日本の多くの自治体のように、中央からお金を取ってきてから、計画を立てるのではない。地域をつくりあげていくプランがしっかりとあるから、それに必要な分を中央から引っ張ってくる。つまり、どんな島にしていくかという哲学がある。ハコモノ行政とはここは無縁だ。

「後鳥羽様は日本で最初のIターン」というユーモアにもあるように、流刑の島でもあったこの島には、北前船が立ち寄る場所としても多くの文化が流れ着いていた。後鳥羽上皇は、その監視役だった村上氏の家に通ってお茶を飲んでいた。じつは、この村上氏の旧家(村上家資料館)の一角を借りて、出版社「海士の風」が運営されているのも面白い。つまり、ここには、歴史がある。歴史があるだけではなく、歴史があることへの意識がある。ちなみに、お隣の西ノ島の焼火(たくひ)神社のお社は、大坂の大工によって作られたものらしい。宮本常一など、民俗学者たちもここに訪れたという。



私たちは工夫を忘れてはならない、ということを、滞在中に繰り返し思った。なければ、まずそれがほしいか考えればいい。
どうしてもほしければ、作ればいい。ほしくなければ必要ない。ほしくないのにたくさん購入を迫られる都市生活に疲れた人たちが、ここに移住してくる気持ちがわかる。そんなラディカルに未来的な思考形態を、島のあちこちで感じる。そんな滞在だった。



ふじはら・たつし
1976年生まれ。食と農の現代史。京都大学人文科学研究所准教授。著書=『ナチスのキッチン──「食べること」の環境史』(水声社、2012)、『トラクターの世界史──人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』(中央公論新社、2017)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル、2017)、『給食の歴史』(岩波新書、2018)、『分解の哲学──腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社、2019)など。編著=『第一次世界大戦を考える』(共和国、2016)など。共訳書=フランク・ユーケッター『ドイツ環境史 エコロジー時代への途上で』(昭和堂、2014)など。

協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)