生環境構築史

フィールド編 第1回

島根県海士町Ama-cho Shimane

フィールド・ノート

都市に抗うのではないもうひとつの行きかた

日埜直彦(日埜建築設計事務所)



[2023.10.9 UPDATE]

「ない」と「ある」

ひとは都市に引き寄せられる。都市への人口移動は近代社会に深く埋め込まれた普遍的傾向である。これは地球規模で起きている現象であり、人類人口全体に対する都市人口の比率は既に50%を超え、2050年には70%に達すると予測されている。都市にひとが引き寄せられることは、ミクロ的にはともかくマクロ的には、いかんともしがたい現実だ。
都市に高密度に住み、生産性が向上した。都市を中心として第二次産業・第三次産業が発達し、相対的にシェアを減らす第一次産業の場である地方から人口は流出した。都市にひとを惹き寄せる魅力的な事物が集積し、さらにひとは都市に吸引された。こうして引き起こされた都市化の負荷は都市だけでなくより広域に、結局は地球全体にひろがり、環境問題を引き起こした。非常に粗っぽく言えば、これが現在だ。

海士町の自然、とりわけ海の豊かさにはほとんど驚愕の念を覚えた。島を訪れた当日はバタバタとせわしなく過ごしたが、早寝して目覚めた早朝、散歩でもと思い港に歩き出し、そして魅了された。もちろんきれいな海は日本各地のあちらこちらにある。だが海士町のあまりに透明度の高い海水は、おそらく10m近い海底にまで光を届け、見下ろせば稚魚から成魚まで、種類もさまざまな魚の濃い魚影を見通すことができた。瞠目した。とりわけ太平洋岸に育ってネズミ色の海を見慣れた私に、それは目を見張る楽しさだった。時間が許す限り飽くことなく港の岸壁から海を見つづけていた。


筆者撮影


どうしてこんなに海がきれいなのか説明することは簡単だ。海士町を含む隠岐諸島の西半分、島前は火山活動のあとに残されたカルデラの外輪山で、その地質は火山性。そこを流れる川はごく短くまばらで、おそらく雨水のほとんどは地下へ浸透している。だから海に濁りをもたらす泥の流出は少ない。加えて本州から60kmほど離れ、対馬海流のまっただなかにあり、よそからもたらされる汚染も少ない。早朝の清涼な空気のなか私が覗き込んでいた湾は、カルデラの外輪山に囲まれ波静かで、かつて当地を訪れたラフカディオ・ハーンが鏡浦と呼んだのもなるほどと得心がいった。

2時間ほど海を眺めてすごし、もうこれはこれで良いんじゃないか、そんな気分になった。東京から遠征して生環境構築史の視点からお話をするために海士町に来たわけだが、つべこべ言うまでもなく、これで良い人はここに住むし、これを捨てる人は出て行くだろう。いろいろ考え方はある。よそ者の言葉に刺激を受ける人もいるかもしれないが、大きなお世話かもしれない。そしてこの自然はたしかに素晴らしく、それを愛し、そこで生きることに自足する人は自らそうするはずだ。「ないものはない」は海士町のキャッチフレーズだが、ダブルミーニングにも聞こえるその言葉のてらいを退けて、その海は「これがある」とストレートに満ち足りて見えた。

革新的サスティナビリティを模索して

そういう見方そのものが、いかにも都会で生活する人の視点なのだという紋切り型も成り立つかもしれない。たしかにそこで生きる不自由の実際は生活しないと実感できないと言われればそうだ。メディアを通して見る海士町にないものに惹かれ島を出る心情も想像し難くはない。まさにそうした引力が、近代社会において都市への人口移動を駆動してきたのだ。地方の人口減少の趨勢をひっくりかえすことがどれほど難しいことか、誰もが知ることだ。
海士町のひとびとと話してみると、ことはもう一巡りしていることもわかった。つまり彼らは、近代社会と都市化、そのあとに残された場所としての海士町の位置にきわめて意識的で、そのうえで海士町のあるべき姿を、幻想なく、ちょっと過激に、模索していた。とりわけ今回の訪問を段取りしてくれた町役場の皆さんは、自分たちの役割をはっきり自覚していた。つまり現状維持ではこの島の行く末は暗く、新しい生業が芽吹くことがどうしても必要だが、その生業を見出すのは自分たちというよりは島に新しく入ってくる転入者を含めたそれぞれの人々だということだ。したがって主体はそれぞれの人々であり、彼らの使命は公務員としてその可能性を可能なかぎりサポートすることになる。成否の不確かなチャレンジだから失敗もするだろうが、離島ゆえに国の補助金を得る方途はそれなりにあり、それをその可能性に繋いで、保守的にではなく革新的に海士町のサスティナビリティを模索する。その視野は現代的で、そこらの町役場とはもう面構えからして違っていた。

ひとを都市に引き寄せる引力の一方で、斥力もあるだろう。都市がバラ色の場所ではないことは皆知っている。実際に都市から離れて地方に移り住む人々が少なくないことも知っている。海に見惚れるのは一時の気の迷いにすぎないとしても、そんなふうにそれぞれが「これはこれで良い」と自足するきっかけを掴み、一歩踏み出すことが結局はその斥力を現実に繋げることになる。それは近代以前への回帰ではない。まさに現代的な模索であり、近代の先へと踏み出すことだろう。海士町はかなり特異な自治体ではあるが、その現場のひとつであった。



ひの・なおひこと
1971年生まれ。建築家。日埜建築設計事務所主宰。芝浦工業大学非常勤講師。作品=《ギャラリー小柳ビューイングルーム》、《F.I.L.》、《ヨコハマトリエンナーレ2014会場構成》など。共著=『白熱講義──これからの日本に都市計画は必要ですか』(学芸出版社、2014)、『磯崎新インタヴューズ』(LIXIL出版、2014)、『Real Urbanism』(Architectura & Natura、2018)、『日本近現代建築の歴史 明治維新から現代まで』(講談社選書メチエ、2021)ほか。国際巡回展「Struggling Cities」企画監修。

協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)