フィールド編 第1回
島根県海士町Ama-cho Shimane
フィールド・ノート
「ないものはない」からそこにあるものが見えてくる
松嶋健(広島大学)
[2023.10.9 UPDATE]
「ないものはない」島へ
廃校の危機だったところからさまざまなアイデアによって再生した隠岐島前高校のことは以前から耳にしており、とりわけ「島留学」については面白い試みだと思っていた。というのも、いわゆる「海外留学」という言葉には、明治期の“Boys, be ambitious”の時代から、国家に有意な人材や、あるいは 昨今の「グローバル人材」のような、あるシステムのなかで「役に立つ」人的資源に自らすすんでなることを勧める響きがあるのに対し、「島留学」には逆に、そうしたシステムの外に出るために、自分たちが今まで受けてきた教育をunlearnする契機にしようという響きを感じるからである。そこには、海士町が掲げるモットー「ないものはない」とも通じるスピリットを感じるのだが、このようなスピリットは一体どのような環境と制度によって可能になるのだろうか。これが隠岐を訪ねる前の主たる関心であった。
雨のなか境港の波止場を出たフェリーは、美保関の灯台を過ぎて雲が垂れ込む暗い日本海を進む。前方に島影ひとつ見えず、かつて隠岐に流された後鳥羽上皇や後醍醐天皇もさぞかし心細かったにちがいない。雨があがり夕暮れが迫る頃、予想していたよりもずっと大きな島影が近づいてきた。灯台と風力発電のタービンが目に入る。2つの島のあいだの内海に入ると、海は穏やかになる。西ノ島の別府港で島前の島々を行き来する内航船に乗り換え、内海をさらに進んで、中ノ島の菱浦港に着いた。ここが海士町の入り口である。
中ノ島、西ノ島、知夫里島はおよそ600万年前に噴火した火山であり、内海はそのカルデラに海水が流れ込んでできたものである。それが独自の地形を生み出しているわけだが、菱浦港は内海のなかでも最も奥に位置している。それゆえにであろう、かつて隠岐が北前船の寄港地だったときも、乗ってきた人たちをさらに奥の菱浦港まで呼び込むにはいろいろな工夫や手管が必要だったという。島ごとに島民の気質はかなり異なるそうだが、そのなかでも海士町の人たちには、外の世界や人間に対する独特の開かれが受け継がれているのかもしれない。
視点をひっくり返すことで見えてくるもの
島前高校でしたのは、「離島」というものが、「中央」と「地方」、さらにそこから離れた「離島」という具合に、中心から同心円上に広がる国家のまなざしに基づくものだという話である。日本地図の上下をひっくり返して見ると、大陸と朝鮮半島、樺太と北海道、本州に囲まれた地中海としての日本海の縁に隠岐諸島は位置しており、ちょうど対馬海流の上にあることがわかる。陸の領土ではなく、海の道から見ることで、ものの見方は大きく転換するが、それは地理的な話にとどまらない。私たちは、知らず知らずのうちに国家のまなざしを内面化しており、それに基づいてさまざまなことを価値判断していることに気づくのが大事なのだ。 地方の町や村に行くと、地元の人はよく「うちにはなにもない」と言う。おそらくこれには2つの含意があって、ひとつは「特別なものはなにもない」という意味であり、もうひとつは「都市にあるようなものはなにもない」である。両者は絡み合っているわけだが、前者はあくまで日常生活の当たり前をもとにした地元目線の発話であるのに対し、後者は都市からの、あるいは国家からのまなざしを伏在させている。それは、日常の当たり前の風景を、「欠損」や「欠如」として捉える視線である。だが、「なにもない」と言われる島に実際に足を運んでみると、そこには驚くべき光景が広がっていた。 600万年前の火山の噴火をまるで時間旅行したかのように目の当たりにすることができる知夫里島の赤壁。その上の急斜面では牛たちが草を喰んでいる。赤ハゲ山に登れば、巨大な島前火山のカルデラを実感することができる。斜面には空積みの石垣があり、そのまわりで牛が放牧されている。名垣と呼ばれるこの石垣は、かつて放牧と、粟・稗、大豆・小豆、麦の畑作を輪作していた牧畑と呼ばれる農法の名残である。西ノ島でも至るところで牛と馬が放牧されている。それに対して中ノ島では、島ではあまり見ることがない水田風景が広がっている。豊富な湧水のおかげだという。もちろん漁業も盛んで、隠岐の鮑や海鼠は古くから知られており、最近では岩牡蠣の養殖もしている。隠岐ではこのように、地球の歴史と、漁労・牧畜・農耕という人類の生業の歴史を一度に目撃し、体感することができるのだ。それはまさに、生環境構築史の観点からもじつに興味深いサイトである。こうした環境と歴史のおかげで今や食料自給率140%を超えているこの島では、今度はエネルギーの自給をめざしている。いざとなれば自分たちだけで生きていけるという状態にしておくことが、生きものとしての人間にとってどれほど大事なことなのか、あらためて考えさせられる旅であった。
まつしま・たけし
文化人類学、医療人類学。広島大学大学院人間社会科学研究科准教授。著書=『プシコ ナウティカ──イタリア精神医療の人類学』(世界思想社、2014)。共著=『文化人類学の思考法』(世界思想社、2019)、『アートの根っこ──想像・妄想・創造・捏造を社会へ放つ』(晃洋書房、2022)など。共編著=『トラウマを生きる──トラウマ研究1』(京都大学学術出版会、2018)、『トラウマを共有する──トラウマ研究2』(京都大学学術出版会、2019)など。
協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)