生環境構築史

第1号  特集:SF生環境構築史大全 A Sci-Fi Guide to Habitat Building History 科幻生環境構築史大全

エイリアンのアヴァンガーデニング

永田希【文筆家】

Alien PotatoesNozomi Nagata【Book Critic】

外星先锋园艺

In the 2015 movie The Martian, Matt Damon’s astronaut character is left behind on Mars to endure desperate conditions while growing potatoes. After surviving almost two years alone, he is rescued and successfully leaves Mars, but due to the planet’s cold climate, the potatoes are totally eradicated. Imagine if the potatoes were to survive like the astronaut and they kept breeding and growing. Then, what would happen? On a planet like Mars without an ecosystem, where the concept of native species doesn’t apply, potatoes will be considered an alien species. In other words, a potato grown on Mars is an alien. We can also look into the other meaning of “alien” in immigration terms, like how foreign residents without citizenship are defined as “alien. ” The astronaut is considered an alien on Mars, and it could be said that he is “avant-gardening” by cultivating potatoes without permission.
Let’s look to another famous alien, somewhat related to gardening, a plant shaped alien named Groot from the Marvel universe. Groot arrived on Earth to capture humans, but what if he attempted to root himself into the earth to instead coexist with humans, just like the astronaut in The Martian who tried avant-gardening to root the potatoes on Mars? Although science fiction authors often depict futures shaped by advanced technology, science fiction can also include organic matter like vegetation. We should remember that science is also concerned with the organic world and science fiction can help us analyze the ways that we cohabitate with it.
(Translation by Mimu Sakuma, Matthew Mullane)


[2020.11.1 UPDATE]

グルートという外来種

植物を扱ったSF作品はブライアン・W・オールディス『地球の長い午後』(伊藤典夫訳、ハヤカワ文庫、1977/原著=1961)、ジョン・ウィンダム『トリフィド時代』(中村融訳、創元SF文庫、2018/原著=1951)、トマス・M・ディッシュ『人類皆殺し』(深町眞理子訳、ハヤカワ文庫SF、1976/原著=1965)などいくつか思い当たります。最近の作品では、石油が枯渇した近未来を舞台にしたパオロ・バチガルピ『ねじまき少女』(田中一江+金子浩訳、ハヤカワ文庫SF、2011/原著=2009)とその世界観を共有する作品群があります。

石油に代わるエネルギー源は「ねじまき」になり、そのねじまきを巻く遺伝子操作された象の食糧とされる大量のトウモロコシを技術的に独占している企業が登場します。遺伝子操作技術と植物を扱った藤井太洋の作品で『ジーンマッパー』(ハヤカワ文庫JA、2013)というものもあります。また1992年生まれの津久井五月『コルヌトピア』(早川書房、2017)は、森林をコンピューターとして活用する技術が描かれた意欲作です。

しかしまず本稿でわたしが取り上げるのは、映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』(2014)シリーズで活躍する植物型異星人グルートです。『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』は、『アベンジャーズ』に代表されるマーベル映画シリーズのなかに登場するチームと、その活躍を中心に描くシリーズ。地球人と宇宙人との間に生まれたリーダー「スターロード」と、宇宙で生まれたさまざまな事情を持つメンバーが集まったのがチーム「ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー」です。彼らが戦うのは、最終的に『アベンジャーズ』で地球のヒーローたちの敵としても登場するサノス。サノスは「宇宙全体の持続可能性のために宇宙の全ての知的生命体を半減させる」という目的を実現させようとしています。

そんな映画『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』に登場するグルートの初出は、厳密にはいわゆるアメリカンヒーローコミックではありません。グルートはコミック誌『テイルズ・トゥ・アストニッシユ』に掲載されたSFホラー作品「グルート 惑星Xから来た怪物」に1960年に登場しました(邦訳は『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:プレリュード』[2014]収録)。

映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でのグルートは、タイトル通り宇宙の平和を守るチームの一員であるロケット・ラクーンの相棒として活躍します。「私はグルート」という言葉しか話せないグルートですが、相棒のロケットとは意思疎通がある程度できるようです。しかし1960年の初出時のグルートは「私に挑戦する愚か者は誰だ??」などとかなり闊達に人語を発しています。地球に自生している木々を操り、人類を町ごと母星に誘拐し実験動物にしようというグルートの企みを阻止しようと人間たちは奮闘しますが、グルートの硬い体には火器が効きません。万事休すと思われたその時、グルートは苦しみ始め倒れます。主人公が研究室からシロアリを調達してグルートの体内に送り込んだのでした。

人間社会を脅かす「巨大怪獣」タイプの植物系キャラクターとしては1989年の映画『ゴジラVSビオランテ』に登場する、遺伝子工学によって人間と薔薇とゴジラを融合させて創造された植物型生命体ビオランテもいます。しかし本稿でグルートに注目したいのは、グルートが何より「外来種」として描かれていることです。

脅威としての外来種

外来種は英語では「alien species」と呼ばれます。アメリカザリガニやブラックバスなどが日本では有名です。対義語は在来種。原産国にもともと存在していた種と異なり、人為的もしくは偶然に原産地ではない地域に持ち込まれた生物種が外来種、原産地に自生したちた種が在来種と呼ばれます。地球外から飛来したグルートは、シロアリによって退治されましたが、地球の在来種ではないという意味では外来種ということになります。

海外から日本に持ち込まれた外来種としてアメリカザリガニやブラックバスの例を挙げましたが、日本から海外に「輸出」されて問題になっている種もあります。その代表的な例はクズでしょう。葛湯や葛餅で有名な、あの「クズ」です。

1876年に日本からアメリカに動物飼料や園芸種として紹介され、のちに国土の緑化のために政府主導で積極的に植え付けが行われました。アメリカ南東部の気候や風土と相性の良かったクズは、飼料用としても園芸や緑化などの目的を大きく逸脱して繁茂を続け、現在ではアメリカ南部を「喰らう」ツタと呼ばれるまでになってしまいました。大きな葉でほかの植物に当たる陽を遮るため、クズの侵略性はきわめて高く、もともと豊かな生物多様性を誇っていたアメリカ南東部の脅威となっています。

「自然」という幻想

ジャーナリストのエマ・マリスによる『「自然」という幻想──多自然ガーデニングによる新しい自然保護』(岸由二+小宮繁訳、草思社、2018/原著=2013)は、この「外来種/在来種」という二項対立について興味深い示唆を与えてくれます。たとえばハワイでは、太平洋のほぼ真ん中にあり、大陸から隔絶されているために豊かで独特な生態系が形成されていたと考えられていました。しかしそこに、さまざまな「外来種(『「自然」という幻想』の表現では「移入種」)」が入り込み、長年にわたって生態系が「破壊」されてきたのです。そこで現在、在来種を保護するために実験区域が設けられ、移入種を排除した在来種だけの環境を「再現」しようという試みが進められています。

『「自然」という幻想』の著者は、しかしこのような「手付かずの自然」を「取り戻す」ために行われているきわめて「不自然」な努力を批判的に記述しています。「外来種」が運び込まれるより前の、かつてあった「自然」がもう失われているため、外来種を排除してもかつての「自然」を取り戻すことは不可能だからです。

何年、何世紀も遡る場合、地球という惑星がハワイを含む各地に提供している気象条件は、現在とは異なったものになっています。人為的に特定の地域だけを過去の環境に戻そうとしても、気温、降水量、大気の組成の段階からすでに変化しており、もとに戻すことは困難なのです。

気象条件を復元できないだけではなく、外来種を排除したとしても、すでに失われている種が戻ってくるとは限りません。雑多な生物種によって形成されていた生態系のうち、現在失われている種を特定するのは難しい問題です。外来種を排除したところで、何が失われているのかがわからないのに、それを「取り戻す」ことははたして可能なのでしょうか。

しかも、ある地域の環境を「再現」しようとするときに、いつの時代に遡るのかという問題もあります。地球の環境は、生物が誕生してから絶え間なく変化を続けています。その変化の特定の一時期を特定し、そこを基準に「再現」が試みられることになるのですが、その時代を基準にする理由はどうしても恣意的にならざるをえません。

1890年に発表されたウィリアム・モリスの小説『ユートピアだより』や、1895年に発表されたH・G・ウェルズの小説『タイムマシン』では、それぞれ主人公が未来に赴き、その世界がどうなっているかを描写しています。『ユートピアだより』では理想的で牧歌的な未来が描かれ、『タイムマシン』では文明後とも言えるある意味で荒廃した世界が描かれます。紀元802701年という途方もない未来に「旅行」した『タイムマシン』の主人公は、この未来の植生を報告するのですが、シャクナゲのように現代にもある種のほかに、見たこともないいくつもの果物を食べたとも書いています。この時代までに人類は「自然」を征服しつくし、「未来の全土は庭園と化したも同然だ」とまで思わされると書いています。しかしこれらの新しい植物が未来の大気に与えている影響には言及がありません。植物が大気の組成に関わっていることを考えれば、タイムスリップで移動した先の時代の大気の組成は、ほかの惑星というほどは違わないかもしれませんが、現代とはまったく違ったものになっている可能性があります。

言語学者として著名なフェルディナン・ド・ソシュールは高名な研究者を多数輩出していている名家の出身ですが、そのソシュール家の数代前の世代の研究者にニコラ=テオドール・ド・ソシュールという人物がいます。彼は大気中の二酸化炭素と植物などのあいだの循環についての研究を進めており、19世紀を通して大気と植物環境に対する理解は進んでいました。『ユートピアだより』や『タイムマシン』が執筆された時代は、この環境学的な研究が発達しつつある時代でもあったのです。

環境学的な世界観がSFと結びついたものとしてひとつ傑作を挙げるとすれば、宮崎駿によるアニメ映画化もされた『風の谷のナウシカ』が挙げられるでしょう。1982年から1994年にかけて発表された漫画版『風の谷のナウシカ』(以下『風の谷の~』)は、『「自然」という幻想』を読む副読本として最適です。

それを吸い込んだ者の命を奪う猛毒の「瘴気」を放つ「腐海」と呼ばれる森林と共存する未来人たちと、腐海の地下にある「浄化」された世界の二層構造をもつ物語です。計画的に導入されたにもかかわらず、人間の生活の脅威になっているという点で、腐海はクズに似ているかもしれません。腐海は、かつて存在していた高度な科学文明を生きた人々が再び繁栄するために世界の環境を浄化する「装置」として仕組まれていたのです。

『風の谷の~』の主人公であるナウシカは、腐海の植物が大気を浄化する機能を持つことに気づき、自分だけの植物園のような場所を設け、そこで腐海の植物を栽培していました。世界を浄化するために腐海を生み出した人々の再来を拒み、ナウシカは彼女の同時代人たちによるサバイバルを継続させていくことを選択するというのが『風の谷の~』の結末です。これは人類が破壊した生態系を「復元」するのではなく、現状をどう運営していくのかを考えようとする『「自然」という幻想』の著者による自然幻想批判と同じものだと言えるのではないでしょうか。

自然な環境は自ずと均衡し、安定的にバランスしているという信念は広く共有されており、人間の介入によってそれが損なわれていると語られがちです。そして自然が辛うじて保っているように見えるバランスが人為的に破壊されることもたびたび起こってはいるのですが、それでもなお、自然そのものが変化してきていること(そしてやがて自壊しうること)を忘れるべきではありません。失われた過去を取り戻すのではなく(なぜならそれは不可能だから)、現状をどう改善し、どのような未来を求めているのかを考えるべきなのです。なお『「自然」という幻想』では、この「どのようにしたいのか」という問いは「ガーデニング」のメタファーで語られています。

『動いている庭』とアヴァンガーデニング

地球の環境は全体としてみても刻一刻と変化を続けています。当然、それぞれの地域でも徐々に、時には劇的に変化します。たとえば日本の東北地方、白神山地には有名な「ブナの原生林」があります。ブナという樹種が誕生したのは今から約150万年前。それから地球は何度か氷河期を経験しています。気候の変動に合わせて、ブナの森林は地表の上を北へ南へと「移動」してきました。

大地に根を張り、動物のようには動き回らない植物は一般的には「動かない」物として「動」物とは区別される生物種ですが、世代を超えて長い時間スパンで見れば全体としてはけっして「じっとしている」わけではないのです。

植物の「動き」に注目した興味深い試みとしては、庭師のジル・クレマンの提唱する「動いている庭」があります。クレマンは、鳥などが運んだと思われる種子によって発芽する植物を積極的に庭に取り入れ、極力手を入れないことによって、庭に動きを与える試みを続けています。クレマンの庭では、毎年、季節ごとに植物たちはそれぞれに最適な場所を求めて「動き」、その様子を観察することができます。

クレマンは「庭」のなかで植物に「動き」を与えることを提唱しています。これに対して、都市のなかに「庭」をつくりだそうというのがアヴァンガーデニング(avant-gardening)です。もともと左翼的な反体制組織の「前衛avant-garde」を意味する語からとられ、文学や絵画などの芸術に使われていたアヴァンギャルドをもじってつけられたアヴァンガーデニングという言葉は、『T.A.Z.一時的自律ゾーン』(箕輪裕訳、インパクト出版会、1997)などの著作で知られるアナキスト、ハキム・ベイが別名義で提唱している概念です。

都市計画によって整備され、各区域の目的が規制されている都市のなかに「勝手に庭をつくる」というのがアヴァンガーデニングの基本的な考え方です。街路樹や河川敷など、行政の目を掻い潜って種子を撒き、苗を植え、自分たちのための景観を造成してしまおうという、文字通りの草の根運動だと言えるでしょう。

クレマンの「動いている庭」が植物を自然に動かす考え方であるとすれば、アヴァンガーデニングは都市を植物によって過剰に自然化する考え方なのです。アヴァンガーデニングは都市行政による区画整備に植物の力を用いて対抗する手段であり、都市の美化を目指す行政に抗って壁や列車にスプレーを吹き付けるストリートアートのガーデニング版とも呼べる運動です。

破壊的アヴァンガーデニング

政府を否定する無政府主義(アナキズム)が、行政に抗って自分たちの景観を造成しようとするのは、ある意味で当然のことです。しかし、植物はすでに触れたクズのように過剰に繁茂することによって植えられた場所をはじめとして生態系や建造物を破壊する威力を持つことがあります。

植物の持つ破壊的な機能は、たとえば離島や外国から植物を飛行機で運ぼうとする際に適用される植物防疫法が顕著に象徴しています。ある種の植物は、不用意に持ち込まれた場合、移入先の生態系に壊滅的な被害をもたらす可能性があり、植物防疫法はこの危険を回避するために定められているのです。アヴァンガーデニングの思想は、よりラディカルには植物防疫法が定める、植物の管理運用体制に対する抵抗と攻撃だと言えるでしょう。密輸した植物種を都市で無計画に栽培することで、管理運用を離れた、新しい野蛮状態を生み出すことも可能なのです。

もっともこのような破壊的なアヴァンガーデニングですら、都市に人間が種子や苗を植えるという意味できわめて人為的な営みです。これに対して、転居や死去によって人が住まなくなった住居から伸びた植物が勝手に繁茂する現象は、より徹底的にアナーキーだと言えるでしょう。植物は、人間が住むための住居や道路、橋や電柱、電線などの建造物の機能や安全性に配慮しません。放置してもどんどん繁茂できるクズなどの植物は、人間が所有し、管理しようとする区画に無頓着に広がっていきます。

植物が人間の意図的な管理に無頓着に繁茂することを、現在の人類は新型コロナウィルスへの脅威によって、かつてなく身近に想像できるようになったのかもしれません。突然変異を繰り返しながら静かに保菌者の体内で増殖し、人々の移動に伴って感染範囲を広げていくウィルスは、音もなく根を張り、茎を伸ばし、葉を広げ、花粉を飛ばす植物のメタファーとして最適のものです。

かつて「生物種」の概念を得たばかりの人類は、人間にも「種」の概念を適用し、人種という概念をつくりだしました。それはレイシズムへと発展し、人間の生殖を管理する制度を生み出しました。異国の地から移入する者に対する抵抗感は、現在はコロナウィルスの流入に対する恐怖として現れていますが、かつては自国の秩序を乱す異人種の流入と増殖に対する恐怖として語られていました。人間を管理の対象として看做す思考にとって、別の思考を持って流入してくる移民や観光客とは恐怖の対象であり排除するべき他者なのです。

エイリアンのアヴァンガーデニング

2015年に公開された映画『オデッセイ』では、マット・デイモンが演じる主人公がたったひとりで火星に取り残され、絶望的な状況下でジャガイモを栽培しながら生き延びる姿が描かれました。『オデッセイ』の主人公は孤独なサバイバルののち、無事に救助され火星を去ります。主人公が育てていたジャガイモは火星の冷たい大気によって全滅していました。

しかしもし火星でジャガイモもまた生き延び、『オデッセイ』の主人公が去った後の火星で繁茂していたとしたらどうでしょうか。いわゆる火星人も火星の植生もないため、火星には生態系はありません。「在来種」のない世界で、ジャガイモは純粋な「外来種」となるでしょう。いや、主人公が育てていたあいだもすでにジャガイモは火星で「外来種」だったのではないでしょうか。

先述のとおり、外来種は英語でalien speciesと書きます。火星で育てられていたジャガイモは、火星からすればエイリアンだったのです。

ところでエイリアンalienには、法律用語で在留外国人のことも意味しています。とりわけ、ある国に住んでいながら、その国の市民権を得られていない存在がこう呼ばれます。火星に置き去りにされた『オデッセイ』の主人公は火星にとってはエイリアンであり、勝手に持ち込んだジャガイモを栽培することでアヴァンガーデニングをおこなっていたとも言えるでしょう。

1960年の『テイルズ・トゥ・アストニッシユ』に登場したグルートは侵略的な外来種でした。文字通りのエイリアンです。しかしもし、このグルートが人間を攻撃せず共存を試みていたらどうなっていたでしょうか。『オデッセイ』の主人公がジャガイモで火星にアヴァンガーデニングを試みたように、地球に対してグルートが自らを「根付かせる」ことを試みていたら。

科学小説(サイエンス・フィクション)を出自とするSFは、いわゆる工業製品の開発によって可能になる「未来」をもっぱら描いてきました。しかし科学は自然を分析し、どのように付き合っていくのかについても知見を与えてくれるものです。その意味で今後、植物をテーマしたSF作品がもっと増え、SF的な想像力のなかに植物の居場所が広がっていくのかもしれません。



ながた・のぞみ
1979年生まれ。書評サイト『Book News』主宰。『週刊金曜日』書評委員。『週刊読書人』『図書新聞』『HONZ』『このマンガがすごい!』『現代詩手帖』『はじめての人のためのバンド・デシネ徹底ガイド』(玄光社、2013)で執筆。主な著書=『積読こそが完全な読書術である』(イースト・プレス、2020)など。
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Nozomi Nagata
Book Critic
Founder of BOOK NEWS

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