第3号 特集:鉄の惑星・地球 Earth, the Iron Planet 铁之星球——地球
鋼の構築様式
中谷礼仁(文)+松田法子(図)【特集担当】
Steel and the Origin of Building Mode 3Norihito Nakatani+Noriko Matsuda【HBH Editors】
钢铁的构筑方式
──酸化鉄として20億年以上おとなしくしてきた鉄鉱石は、近代の夜明けと共につぎつぎと鋼に姿を変え始めた。大量生産が可能で、頑強でありつつも曲がり、ひっぱりにも強い鉄鋼の登場は、人々の暮らしのすべてを変化させた。地表はもとより地下から宇宙まで、描ける夢の範囲も格段に広がった。そして、その夢のいくつかは、すでに現実になっている。ここでは、魔法のような素材を手に入れた人間が、産業・資本・鉄の三位一体のうねりのなかで実際に具現化した、また心に思い描いた事物・事象を見てみよう。 (特集担当:伊藤孝)
[2021.10.4 UPDATE]
1. 構築様式3の生環境像
構築様式3の本格的到来を強烈に示す建築構想図がある。ドイツ人建築家ミース・ファン・デル・ローエ(1886〜1969)が1921年に発表した「フリードリヒ通りのスカイスクレーパー」プロジェクトである。ガラスのカーテンウォールと鉄骨構造で構想されたこのプロジェクトは、デカルト座標空間をそのまま出現させたかのような、いわゆるユニバーサル・スペースの初めての具現化として歴史にその名を刻まれている。古ぼけた街並みのスカイラインを切り裂くそのスクレーパーは、瞬く間に世界中へ広がり定着するほどの力を持っていた。構築様式3と産業革命は大いに関係している。そしてモダニズム建築は、後述することになるが、産業革命による生産素材特有の性質に建築表現を合致させていこうとする美学として、産業革命以降の構築世界を強く表現している。それは近代兵器が大地に多くの傷跡を残した第一次世界大戦後より本格化した。その黎明期にもはやその最終完成形が彼によって提出されてしまったのだった。
彼の提案は、主要構造を支える中心部のエレベーターコア、鋼床と考えられるフラットなスラブ(床)、ガラスの壁(カーテンウォール)によって無柱空間を生み出し、それを敷地の形状に合わせて自由にアレンジし、上空に向かって反復しただけである。つまりこの方法のみで社会空間──生環境──はどこでも構築可能だというマニフェストでもあった。しかしこのプロジェクトには人間的事象としての「革命」を超えた不気味さがつきまとっている。それは普段あまり登場しないこのプロジェクトの立面図に表れている。その図面には産業革命後に登場した鉄鋼とガラスの素材特性だけがきわめて即物的に表されていた。よく見ると隅に蟻のように描かれた人物に対して、このプロジェクトでは従来の建築にこめられてきた装飾的細部(土台、ボディ、屋根など)が完全に捨象されていた。このガラスと鉄によって構成された異質のスケールを持つ即物は、人間を仲介して現れ、最終的に人間の位置付けを変更しようとする構築3世界の本質的啓示となったのであった[fig.1]。
革命なった旧ソビエト連邦で、その6年後の1927年に若い建築家の卵、イワン・レオニドフ(1902〜59)が《レーニン研究所》と名付けた卒業設計を発表した。そのイメージは当時の雑誌に大々的に掲載され、破格の扱いを受けた。それはミースとは違った、鉄による生環境構築の姿を鮮烈に描いていた。同プロジェクトでは内部を水平・垂直にベルトコンベヤーが移動するロケットのようなプロポーションの図書館やガラスで構成された球体の大教室が計画された。宇宙的モチーフが込められたかのような、それら建築群は空中に浮遊するかのように上空で固定されていた。その固定は、ワイヤーを用いた引張力を緻密に相互作用させるものだった[fig.2]。レオニドフの鉄の使い方は、これまで積むという圧縮力によって建築空間を作ってきた人類一般に対し、まるで帆船のような引っ張りによる空間構築を大胆に提案したのだった。彼のほかの作品にも、ひいては彼が属した芸術運動であるロシア構成主義にも、そこには宇宙に飛び立とうとするかのようなデザインの意志がある。1957年、宇宙開発の最初の一歩となった人工衛星スプートニク1号の造形は、レオニドフによる同案の球形教室に酷似している。
三角形のメタルフレームの立体格子によって構成するジオデシック・ドーム★1を発明したのがアメリカの発明家・建築家・文明論者であったバックミンスター・フラー(1895〜1983)であった。地球の有限性を認め世界資源の再配置を提唱した『宇宙船地球号』の著者でもあった彼は、1961年、《ニューヨーク計画》を発表した。これは膜のように超軽量化されたドームを用いてニューヨークの半分弱を人工環境化し閉じたエコロジーを構築しようとするものであった。またその延長線上に、半マイルの直径を持つ空中浮遊物体の可能性が提示された[fig.3]。この完全に閉じた環境のエコロジーを目指した空間はその後の宇宙的計画や実験★2の強烈なアイコンとして存在している。
これらはみな、鋼鉄以来の高性能な鉄を構築の前提として構想されたものである。産業革命後の鉄生産が持った、伸長し、再生産し、複製し、軽量化された独自の構築上の性質が20世紀のヴィジョナリーの感覚を刺激し続けてきたのであった。さて、私たちはここまでどのようにして辿り着いたのだろう? 本論は特に鋼鉄による構築様式3の成立の経緯、そしてその世界像を素描しようとするものである。
2. 構築様式とは何か
筆者は2013年の1年をかけてユーラシアのプレート境界をインドネシアからモロッコに至るまで、インド、イラン、地中海などを含めて歩いた。2011年に日本で発生した東日本大震災を日本固有の問題とせず、プレート境界周辺の地球的な出来事として考え直したかったからである。その旅程を決める地図を書いていた際、著名な古代文明のほとんどがその境界付近に発生していることに気づいた[fig.4]。大地の運動によってかたちづくられた地形やその組成が文明を駆動したように思えたのだ(基本的なことで言えば、水を運ぶ川は大地に高低差がないとそもそも発生しない)。そのためその紀行は、各地の災害報告ではなく、人々の生活の発生と大地の関係そのものを再検討する契機となった★3。各地の建設行為を見ながら、その活動は人々が自分たちにとってより好ましい生存環境を、地球の大地を基礎として人工的に作り上げようとすること──生環境構築──であったとまとめるに至ったが、ひとつ大きな謎が生まれた。それは生環境素材としての鉄材の出自の謎である。訪れた伝統的集落の構築素材はあくまでも土(レンガ)、石、木が主体だった。しかし現代都市の高層稠密を支える生環境構築は鉄素材が主である★4。コンクリートすらその内部に鉄筋を含んでいる。鉄筋コンクリートは鉄筋によって圧縮のみならず引張力にも対応し、古代ローマ帝国の頃の無筋コンクリートとはその性能を大きく違えている。この伝統的集落と現代的都市との構築素材のギャップはどこから発生したのか。
このギャップの発生──以前なかったものが、以降発生する──こそが、生環境が歴史的なものであることを示している。物理法則は歴史を超えて普遍であり、構築素材には物理法則に基づくそれぞれ特有の構法が付属している。また素材を作り上げるためには燃料等の他材料との連関もあり、それらもまた物理的連関によって説明されうる。しかしながら生環境構築の発生は物理のみによって語り尽くされるわけではない。そこには「発見」という人間活動に起因する出来事、事件、ハプニングが必ず含まれる★5。
ここで構築様式の基本的構成要素を大きく3つに分けてみたい。第1に、①構築様式とは人間による環境形成に関わる生産様式(マルクス)である。つまりその様式は物理法則に基づくが、同時に人類の各時代における発見的契機によって歴史的事象として形成される。つまり、第2に②構築様式にはそれに応じた人間実践の過程が含まれている。そして第3に、③生環境の構築にかかわる物理と実践の融合の影に必ず構築0──すなわち地球活動自体──と人間社会の関係の再組織化(新様式)が生じている。それに応じて、同社会ひいては人間の位置付けも不可避的に変更される。
これらが各構築様式成立に至るための条件として、筆者が抱いている仮説である。まず本稿は鉄、とりわけ構造部材として大規模生産化した鉄鋼による空間構築に、生環境の人工的自立を目指す構築様式3発生の契機を見ようとしている。鉄鋼が建築素材として本格的に使われ始めたのは産業革命以降、炉を回転させ効率的に鉄から不純物を取り除くベッセマー法(1855)確立後の、19世紀後半の北米都市部からである。鉄鋼は橋梁、高層建築、鉄道、ラインパイプといった大規模インフラから、自動車、冷蔵庫等の耐久消費材、さらにはスプーン、包丁、釘など日常の隅々までに浸透し、さらに宇宙へ向けての飛行体の基盤材料でもある。合金元素や組織を調整することによってその性質を変化させることができるからだ。
この鉄鋼による環境世界の急激な専一化を歴史的に語るためには、産業革命時のその構築プロセスにおいて大地の活動──構築0──がどのように新たに関係づけられたのかを検討する必要がある。鉄は地球の核を構成する主要要素であり、地球上に最も多く存在する物質でありながら、産業革命前の人類はそれを日常的な建築材として重宝するまでには獲得できていなかったからだ(現在でも鉄材は社会的生産物であり、個人自ら作り出すことは困難である)。何が鋼鉄を社会に大量に出現させ、構築様式3を作り出したのか。その影にはそれ以前の人類史の基準では語りえなかった飛躍が内に含まれているのではないか。
鋼鉄による構築様式3への飛躍、それを本稿では鋼の構築様式と呼んでみたい。以降その構築様式を先の3つの要素①②③からまとめる。第1にその発端(歴史の始まり)、第2にその空間的広がり(社会的実践)、第3にその時間的広がり(構築0と人間社会との再組織化)である。
3. 鋼の構築様式1──産業・資本・鉄の三位一体化
一般に鉄製造は、アナトリアでの発明当初より生産性の高い道具や競争力を必要とする武具、戦車に用途が限定されていたと言われる。その技術が他地域に伝播し、その後中国由来の高炉法がヨーロッパで確立された14世紀を経て、19世紀後半に鋼鉄の大量生産が始まる。地表からのみではなく地下に埋蔵されていた鉄鉱床を採掘し、そこから直接鉄を精錬する技術はヨーロッパ中世にすでに存在していた。しかしながら、地下採掘の本格化は産業革命と密接な関連がある。それは鉱業の生産様式への蒸気機関の介入である。
オランダの技術史家であるR・J・フォーブスは古典『技術の歴史』(1950)で、産業革命の中心を冶金と蒸気機関に置いている。製鉄には鉄鉱石の取得とそれを精錬するための大量の燃料(木炭・石炭・コークス)が必要である。蒸気機関も、同燃料と機関自体を実現する鉄材を必要とする。これらの素材を得るための深部採掘は蒸気機関による地下からの揚水によって実現化された。需要に応じて蒸気機関の安定化と増産が続けられた。このプロセスのなかで鉄は次第に「生産物」=消費財となった。鉄資源を採掘場所から需要地に運搬するために、従来からの船舶のみならず蒸気機関による鉄道利用が誕生した。鉄生産は鉄消費とインフラ構築によるさらなる鉄生産を前提として駆動した。それらをさらに加速化させるには巨大な資本運動が不可欠であった。つまり産業革命は技術開発・資源化された地球・大資本の三位一体化をもたらした。これらはお互いに連動し、資本を介して、まるで鉄自身が鉄を必要とし、その需要を生み出すという自律的な活動回路を形成したとも言える。高炉の火を消すのは高炉がその使命を終えるとき以外にない。技術が人のためにあると言いうるのは、その技術連関の最終目的が人類の生存である必要がある。しかし、この回路にそれは必ずしも当たらない。鉄生産は鉄自らの増殖のために資本を介して循環的に行われる。人はその回路内でその仲介を担当して利鞘を得る物理法則的「運び屋」になる。稠密高層都市の建設は以上のような産業革命様式の中心的位置を占めている。そして、その風景は構築様式3の地球上の風景の小結でもある。その構築の結末に対して、人が人の生存のために用いた利鞘(りざや)は相当にわずかなものではあるまいか。
4. 鋼の構築様式2──その空間的拡大
より具体的に、それら鋼の構築様式が生んだ場所の立地特性を見てみたい。稠密高層都市・アメリカ、ニューヨーク州マンハッタンやイリノイ州シカゴの立地が古代文明と異なるのは、古代文明圏が強く関係していたプレート境界とはまったく関係がないことである(fig. 4参照)。つまり稠密高層都市の成立は構築2までが持っていた構築0との関係とは別種の要素が働いているのではないかという仮説が成立する。この仮説を、全世界をベースに検討するために、世界各地の稠密高層都市の位置をまず一瞥することから始めたい。ここで役立つのは「INTERACTIVE Skyscraper Maps」(https://skyscraperpage.com/cities/maps/)というウェブサイトである。同サイトは地球上で新しく高層ビルができるたびにその位置をプロットしている。プロットされたGoogleマップを拡大するとその立地の傾向の大勢を掴むことができる。
このサイトを見る限りスカイスクレーパー群はその大部分が海際に立地している。内陸に建つ場合は付近に必ず河川が流れている。これは建築鋼材の主要な運搬方法が船舶輸送によっていることを証明している。さらにごくわずかな非沿岸部での立地の場合、そこには必ず大きな幹線道路やハイウエイが敷設されている★6。
19世紀後半の北米・ニューヨークやシカゴの稠密高層建築物出現の経緯を分析対象とする場合、特に象徴的な2つの建造物がある。ひとつは初めての鋼鉄製吊り橋で、全長約1,800mを誇るニューヨークのブルックリン・ブリッジ[fig.5]が1883年に開通したことである。そしてその翌84年にはシカゴで初めて鋼鉄を用いた10階建ての高層建築Home Insurance Building[fig.6]が誕生したことである。つまり水平にも垂直にも長大な鋼鉄製建設物がほぼ同時にアメリカの東海岸で興った。ここで、特に橋という水平構築物の重要性は見過ごされやすいが、垂直に伸び上がる高層ビルと同じくらいに重要である。なぜなら垂直の大型構築物の建設には、それを支える大規模な水平の物流移動を伴うからである。
その意味では船舶、鉄道による大規模輸送交通は、構築3の環境形成の前提として高層建築以上の重要性を持っただろう。というのも、鉄鉱石が大規模建造物に変化するためには、掘削地、製鉄所、建設地の連結が必要だからである。鋼鉄製建築の建設には、それに見合った交通による物流移動が一体的に計画されていなければならないからだ。鉄を送り出す大規模輸送そのものが19世紀中盤には鋼鉄製に代わり始めた。19世紀後半、アメリカの鉄鉱石採掘の中心となっていたのは、現在でもアメリカ最大の鉄鉱床である北部五大湖中最大のスペリオル湖周辺の先カンブリア時代の縞状鉄鉱層であった。シカゴはその膝下の中核都市であり、船舶によって製鉄所と結ばれ、さらに鉄道によって国内各地へ展開した。東海岸のマンハッタン島へは、五大湖のひとつであるエリー湖とマンハッタンへつながるハドソン川を結ぶエリー運河(1817年開通)が利用された。取り出された鉄原料は、エリー湖沿岸のバッファローにて製鉄され、船舶によって大量輸送された[Fig.7]。ブルックリン・ブリッジは、それら河川交通の結果であり結節点でもあった。以降マンハッタンは超高層稠密建築建設の一大舞台となったのである。
また、ニューヨークを作った人物のひとりである「鉄鋼王」のアンドリュー・カーネギー(1835〜1919)が、同時に「鉄道王」であったことも象徴的である。彼は1872年に、当時鉄道幹線が集中していたペンシルバニア州のブラドック(Braddock)に当時最新の製鋼所を建設した。そしてミネソタ州には鉄鉱石鉱山を所有し、五大湖の輸送用蒸気船、炭坑とコークス炉、および石炭や鉄鉱石をペンシルベニアの製鋼所まで運ぶ鉄道も所有した。1900年までにカーネギー製鋼会社はイギリスー国よりも多くの鋼を生産したという。その製鉄所の作った鋼鉄が、河川、海、そして鉄道によって大都市に供給されていったのである。これは、彼の資本の増殖が、水平から垂直への鋼鉄材の精製移動に拠っていたこと、大規模輸送交通と稠密高層都市とが一体であることを裏付けるものである。これによって経済や建設のための大量物資輸送ネットワークが完成した。大量輸送が可能であるがゆえに経済の中心地でもある稠密高層都市は、低地の水系、海辺に多く立地した。ニューヨークの超高層建築の足元にある巨大ドックがマンハッタンを形作る鋼材の到着場になった。それは水平の「超高層建築」のようでもある[fig.8]。以上のように大西洋に面するロング・アイランドにあるニューヨーク、アメリカ最大の鉄鉱床を擁する五大湖の湖畔に位置し中部に位置するシカゴはいずれも、鉄造船、鉄道を用いて、19世紀末までの北アメリカ全体の交通、産業、交易の要衝都市になったのだった。
5. 鋼の構築様式3──構築0への垂直的介入、シュールレアリステッィクな時間の邂逅
産業革命による鋼鉄の出現を可能にさせた大地の条件はこれだけではない。注目したいのは産業革命と構築0とのシュールレアリズムのような時空を超えた遭遇である。
それは具体的には19世紀から20世紀初頭にかけて鋼鉄の原料となる鉄鉱床が豊富に存在する場所が互いに離れて存在しながら、不思議なことに地質的な共通性があったことである。
良質な鉄鉱石が採取可能な縞状鉄鉱床は、約19億年前の海底で形成終了したものである。19世紀末までに鉄鉱石の主要産地であった、スカンジナビア半島、ヨーロッパ北部、イギリス、先に述べたアメリカの東海岸一帯、五大湖周辺にはこの縞状鉄鉱床が多く含まれていた。現在、これらの地域は大西洋中央海嶺によって遠く隔たっている。
しかしそれら地帯は、約4億年前の地球においては、ローレンシア─バルティカ─アヴァロニア各大陸の衝突によって一帯の山脈として隆起形成した近接地帯だったのである[fig.9]。4億年前の大陸衝突ならびに隆起によって地層内で2次富化作用が起きて、鉄鉱床のさらなる濃集・純化が起きた可能性も想像できるだろう★7。つまり産業革命を生んだ地理空間は、縞状鉄鉱床の形成活動(約19億年前)と現在のプレートとは1世代前のプレートの衝突(約4億年前)による形成地帯の誕生という、はるか過去の大地の活動──構築0──に規定されていたのである。
このようにして、地球物理学的情報を19世紀末の稠密高層建築誕生という建築史に接続した時に、はじめて大量に生産される耐久材としての鋼鉄が出現した理由が想像されうる。資本運動を背景にした19世紀の産業革命誕生と19億年前、そして4億年前の地球活動との出会いこそが鋼の構築様式の最深の構造なのだ。この関係の深さはそれ以前の文明にはまったくなかったものである。つまり、古代以来の伝統的地域はあくまでも地球の表面上の素材で構築様式を形成していたに過ぎなかった。その一方で、鋼の構築様式は、そのような過去の文明とはまったく違う垂直的に深い関係を地球との間に構築しえたことによって発生した。そのため現代文明を生み出す構築様式3が持つこの垂直的傾向は、大気圏を含む地球の各層をこれまでにないかたちで撹乱し、地球表面上で生活する多くの生物に対して、大きなインパクトを与える原因になりうる。この意味で人間の文明は産業革命の以前と以降とでは大地との働きかけの規模において大きく異なる。これが過去と現代の生環境構築上の断絶を生み出していたのではないか。
6. なぜ山間に高層ビルが立つのか?
鋼の国家としての現代中国──その生環境構築的特異性
そして20世紀から現在にかけて、鋼の構築様式が世界中のあちこちで都市を作っている。その現在の最大の主役こそが中華人民共和国にほかならない。
中国の鉄鋼産業は、1953年に発表された新生中国の将来像と実行方法を決めるための第一次五カ年計画以来、国家の中心的施策として一貫して重視されてきた。2001年のWTO加盟以来、中国の生産量はさらに加速した。現在その粗鋼生産量は約10億t/年を超えた(2020年)。これは世界の生産量の半分以上をすでに占めている。突き抜けた首位であり、2位のインド、3位の日本での生産量はその約1/10程度に過ぎない★8。さらにその特徴はその生産の大半を国内需要が占め、さらに国内生産では不足する需要分を輸入していることである。世界最大の鉄鋼の生産国でありながら、鉄鋼消費はそれ以上である。つまり世界の鉄生産物の半分以上が集中して中国国内に投下されているという未曾有の状態なのだ。2010年代以来、政府はその過熱ぶりに歯止めをかけた。2016年に発表された第13次五カ年計画で中国政府は、高付加価値の商品にシフトするよう経済を誘導し、さらにエネルギー消費、乱開発を抑止したため、鉄鋼生産はいくぶん沈静化傾向にある★9。とはいえ21世紀の中国国内各地の都市風景を一気に変貌させた高層稠密建築への過剰投資と建設ラッシュは、この想像をはるかに超える規模の鉄鋼の大量生産と消費の一体的サイクルを背景に展開した。それは人類史上初、未曾有の状態だったと結論づけられる。そして今でもこの状態は進行中であり、コロナ禍が収束されたとされる中国は2020年後半に再び増産の傾向にある。
筆者は数年前、中国内陸部の少数民族が多く混在している地でもある雲南省の昆明市内にいた。市内の超高層建築群の谷間を歩いていて、その立地にこれまでの鋼の常識が通用しないことを認めざるをえなかった。その特徴とは中国内陸で最近開発された都市の多くに当てはまることでもある。つまり中国内陸部の中心都市における高層稠密建築群の建設は、地勢的にも経済需要的にも物資の大量輸送が可能となる低地の海辺や大河川の周辺に建設されるものだという、立地上の常識を外れて大量に建っているのである。一体これら建築群を形作るそもそもの鉄原料はどのようなルートによって運ばれてくるのだろうか。
この不思議に当初戸惑っていたが、昆明中心にある大きな湖である滇池周囲を回遊するハイウェイ上の車窓から風景を眺めているときに、ようやくその疑問が氷解した気がした。
それは昆明西の安寧市の山間を通りかかったときであった。自動車の高速運転にもかかわらずその全体像を見るのに数分はかかったであろう、大規模な鉄鋼コンビナートが目の前に現れた[fig.10]。それは単なる事務所機能のみならず実際の高炉と巨大ストックヤード、そして運搬のための鉄道機能を擁する一大コンプレックスであった。つまり中国南部の高地の中心地である昆明には、その付近の内陸部に大型の製鉄所が存在していたのである。鉄製造のための原料である鉄鉱石を100%海外輸入に頼る海辺沿いの日本の鉄鋼業とはまったく性格が異なっていたのだ。
一般に製鉄所の立地は、鉄鉱石や石炭の産地周辺に立地する「原料立地型」のケースと、輸入原料の搬入に便利な港湾や川岸、湖岸に立地する「港湾立地型」に二分される。先の筆者の立地上の常識は主に「港湾立地型」によって作られた高層建築群に多くあてはまるものなのだった。特に日本では鉄鉱石はその全てを輸入に頼っているため、その製鉄所の立地は例外なく港湾立地型である。全ての製鉄所は湾岸部に位置している。またその主要輸送手段は、中継地以降は大型トレーラーを用いることが一般的とはいえ、いまだに6割以上が船舶によるものである★10。
それに比べて「原料立地型」は、国内の各所に採掘地を持つ地域のみが可能とする。雲南省の製鉄所はまさにその典型だった。すると採掘場も比較的近くに存在しているに違いない。私が遭遇した雲南省の一大鉄鋼会社は、雲南省最大の採掘地を所有していた。現役のその採掘地は横断山脈の麓、昆明内の同製鉄所から南西へ約200km、ハイウェイを用いて4時間ほどで移動可能な距離であった。つまり採掘所と製鉄所を近郊に持っているのであれば、大陸内地、高地においても稠密高層建築の建設は可能なのだ。しかし一方で2014年の時点ですでに、消費需要に追いつかず雲南省外部から輸入した鉄鉱石が雲南省全体使用量の50%を上回っていたという★11。さらに中国の著名鉱区の地図を確認すると、東北の瀋陽から南西の昆明まで、唐山、武安、西安、四川、重慶と中国内陸部での鋼鉄による稠密高層都市建設を支える採掘地がほぼ線上に分布している[fig.11]。これら中国全土で展開する鉄生産がその鋼の構築様式の全土的展開を可能にしている。これら採掘所の多くもまた、数億年前の地球活動によって中国各地に生まれた鉱床によって成立している★12。自生する重工業、地産地消の鉄鋼地……。
この体験以来、遅ればせながら人は構築0に大きく作用することが結果として可能であることを確信するようになった。それは現在中国の姿を見て、人間が構築したはずの資本システムが、人間をその活動の最終目的としているのではないことを心底、実感したからである。
現在中国は国内消費を国外に移行した「一帯一路」構想をさらに加速化させようとしている。これは2014年11月に中国で開催されたAPECで提唱された経済構想である。中国西部─中央アジア─欧州を結ぶ「シルクロード経済帯」(一帯)と、中国沿岸部─東南アジア─インド─アフリカ─中東─欧州へと連なる「21世紀海上シルクロード」(一路)を結ぼうとするのである。その交通のためにさらに新たなインフラストラクチャの整備を進め、貿易促進による新たな経済圏の確立を樹立させようとしている。2019年に立ち寄ったネパールでは、中国が画策中のネパールまでの鉄道敷設をめぐって現地の人々からさまざまな意見を聞いた。その完成はなによりもまず、これまでの文化の違いを際立たせていたヒマラヤを物理的に越えていく。両国の交流はより緊密となり、結果的に漢化が強まるだろう。しかしそれは何よりもまず、駆動し続ける鋼の構築様式が、中国周縁世界に拡張される本格的な節目になるだろう。これはさまざまな政治理念の違いを超え、鋼の構築様式が国家テリトリー大きく凌駕していることの現れである。私たちは新しい世界的状態の渦中にいる自分たちを、すでに強く意識しているはずである。
注
★1──球面を測地線に近い線とみなし、それを三角錐に組まれた線材によって構成する。最小の部材によって大ドームを形成することができ、それによって人工環境を作り出すことができた。
★2──例えば1991から断続的に3年間にわたって行われた閉鎖生態系環境下での生活実験バイオスフィア2計画を参照のこと。(https://biosphere2.org)
★3──拙著『動く大地、住まいのかたち──プレート境界を旅する』(岩波書店、2017)
★4──「平成15年度では鉄骨造は、全国着工延べ床面積約1.8億m2の36.5%を占め、木造の36.1%を上回っています」(https://www.jsca.or.jp/vol5/p4_4_tec_terms/200607/200607-1.php)
★5──例えばルイス・ダートネル『世界の起源──人類を決定づけた地球の歴史』(東郷えりか訳、河出書房新社、2019)は、地球上の事物やひいては文明誕生をプレートテクトニクスなどの地球物理との関連から導き出している点で有益である。しかしながら全般的に歴史意識は希薄であり、本稿における歴史(事後から見れば必然的であるが、事前においては偶然が支配している)が構築様式にもたらした重要性の強調は、ダートネルと比較して生環境構築史の考え方を特徴づけるものであると筆者は考えている。
★6──周辺に海も川もない立地は極めてわずかであるが、その少数例であるサウジアラビアの首都リヤド(Riyadh)のスカイスクレーパー群を試しに確認すれば(https://skyscraperpage.com/cities/maps/?cityID=19)、その代役を一本の大きな幹線道路が担っていることがわかる。
★7──同人の伊藤孝からの示唆による。
★8──「WSA(World Steel Association)」(https://www.worldsteel.org/)の年次の集計を参照のこと。
★9──「第2節 世界的な過剰生産能力問題への対応」(『通商白書2018』経済産業省[日本国政府]発行)
★10──「荷主業界ごとの商慣行・商慣習や 物流効率化の取組状況の調査報告書──金属編」(野村総合研究所、2017.3)
★11──以下を参照。http://news.hexun.com/2014-04-22/164132455.html(2020年1月30日閲覧)
★12──雲南省付近の鉱床は約4億年前のデボン紀後期に、当時の浅瀬や湖の中で沈殿、堆積したものである。すなわち、古い大陸の鉄を含んだ岩石が風化して鉄を含んだ物質が水蝕・運搬され水盆もしくは海湾に達して沈殿し鉄鉱層を形成した。このように風化、再沈殿の過程を経ているからであろうか、一般に中国原産の鉄鉱石の品質は高くない。岸本文男「中国の寧郷式鉄鋼床」(『地質ニュース』 1974年2月号 No.234、地質調査総合センター、産業総合技術研究所) https://www.gsj.jp/publications/pub/chishitsunews/news1974-02.html
The origin of the Industrial Revolution is linked to developments in metallurgy. The simultaneous development of iron manufacturing and steam engines was the core of the Industrial Revolution. Iron manufacturing required mining iron ore and plenty of fuel—such as charcoal, coal, and coke—to process it. The steam engine required the same materials. Steam engines made it possible to mine these materials at greater depths because they could pump out underground water. In time, steam engine production became more efficient and expanded to meet demand. Soon after, in addition to waterway transport, steam locomotives were invented to transport iron resources to areas where iron was in demand. Iron production was driven by the premise that iron consumption and infrastructure construction would lead to further iron production. In order to accelerate this consumption and construction, a great infusion of capital was essential. In the end, the Industrial Revolution caused a fusion of technological development, faster consumption of natural resources, and large financial investments.
Second, steel allowed for the expansion of physical space, especially in North America. The first steel suspension bridge was the Brooklyn Bridge in New York. Built in 1883 this bridge is 1,800 meters in length. The following year, the first steel structure skyscraper, the ten-story Home Insurance Building, was constructed in Chicago. These two events demonstrate that both horizontal and vertical steel construction emerged almost simultaneously in the eastern United States. The establishment of steel transportation systems like steel bridges and steel railway tracks were as important as the construction of skyscrapers. An integrated transportation system was necessary in order for iron ore to be transformed into large scale buildings because iron had to be transported from iron mines to steel factories and then construction sites. Chicago and New York were conveniently located, being close to the center of American iron mining, banded iron formations of the Precambrian age, located near the largest of the Great Lakes, Lake Superior.
Third, there was another essential condition for steel manufacturing to emerge during the Industrial Revolution, the surprising encounter with the historical event of Building Mode 0, Earth. It was an unexpected juxtaposition of these two events in time and space, like a work of surrealism. Banded iron formations, sources of high quality iron that formed about 1.9 billion years ago, were found in the areas which became major iron production regions by the end of the 19th century: the Scandinavian Peninsula, northern Europe, the United Kingdom, the east coast of the United States, and the Great Lakes. Even though these places are now separated by the Mid-Atlantic Ridge, they used to be in close proximity to each other about 400 million years ago when they formed as a single mountain range due to a collision of tectonic plates. In other words, the geographical conditions that determined the Industrial Revolution were already stipulated by Earth's activity a long time ago, specifically by the creation of banded iron deposits about 1.9 billion years ago and the formation of the Caledonian belt about 400 million years ago.
Thus, the reason for the emergence of steel as a mass-produced building material can be explained by connecting geophysical history and the architectural history of the creation of high-rise, dense cities. When the events of the Industrial Revolution encountered geological events that happened 400 million years ago, the steel foundation of Building Mode 3 was created.
まつだ・のりこ
1978年生まれ。建築史、都市史。京都府立大学生命環境学部環境デザイン学科准教授。著書=『絵はがきの別府』(左右社、2012)、共編著=『危機と都市──Along the Water; Urban natural crises between Italy and Japan』(左右社、2017)など。共著=『変容する都市のゆくえ──複眼の都市論』(文遊社、2020)など。
なかたに・のりひと
1965年生まれ。建築史・歴史工学家。早稲田大学創造理工学部建築学科教授。著書=『セヴェラルネス+──事物連鎖と都市・建築・人間』(鹿島出版会、2011)、『動く大地、住まいのかたち──プレート境界を旅する』(岩波書店、2017)、『時のかたち──事物の歴史をめぐって』(鹿島出版会、2018)、『未来のコミューン』(インスクリプト、2019)。共著=『近世建築論集』(アセテート、2006)、『今和次郎「日本の民家」再訪』(平凡社、2012)ほか。
- 3号の読み方:鉄はいつでもそこにある
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How to read No. 3: Iron is always there
/阅读指南:从未缺席的铁
伊藤孝/Takashi Ito - インタビュー:アナトリア──文明と鉄の関係の幕開け
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Anatolia and the Origins of the Relationship between Iron and Civilization: An Interview with Sachihiro Omura
/访谈:安纳托利亚——文明与铁关系的拂晓
大村幸弘/Sachihiro Omura - 鉄と生命──鉄はなぜ生命に選ばれたのか
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Role of Iron in Life: A Review
/铁与生命——铁为什么选择了生命
高萩航+北台紀夫/Wataru Takahagi+Norio Kitadai - 鋼の構築様式
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Steel and the Origin of Building Mode 3
/钢铁的构筑方式
中谷礼仁(文)+松田法子(図)/Norihito Nakatani+Noriko Matsuda - 鉄に依存した赤血球による酸素輸送と人工赤血球
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Iron-Dependent Oxygen Transport by Red Blood Cells and Artificial Red Blood Cells
/依赖于铁的红细胞运氧和人工红细胞
酒井宏水/Hiromi Sakai - インタビュー:鉄・生命・メタ生物圏
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Interview: Iron, Life, and the Metabiosphere
/采访:铁・生命・元生物圈
長沼毅/Takeshi Naganuma
協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)