生環境構築史

編集後記EDITORIAL POSTSCRIPT

伊藤孝+中谷礼仁+日埜直彦+松田法子【特集担当】

Takashi Ito+Norihito Nakatani+Naohiko Hino+Noriko Matsuda【HBH editors】

「〈鉄〉と聞いて何を思い浮かべますか?」と問われたら、その答えはまさに十人十色だろう。範囲を地球に限ったとしても、あらゆる鉄の現場を、この目で見て、触れて感触を確かめ、先人の蓄積を学び、多少考え、自分なりに納得するには人生は短すぎる。群盲象を評すどころではない。「鉄の道」はどこまでも続き、果てしないのだ。必然的に本特集は、担当同人が、頑張れば実感を伴って理解できる(気がする)範囲内に収めることとなった。多元宇宙論ではないが、無数の特集「鉄の惑星・地球」がありうるだろう。
それにしても、宇宙ができたとき一粒も存在しなかった鉄がこれほど幅を利かせている、こんな絵を神様は想像していたのだろうか? また、われわれは期待に添える鉄の使い方をしているのだろうか? 少なくとも、地球環境や生物における鉄の役割、工学的な鉄の可能性など、次のブレークスルーの予感を感じつつ、本特集の公開時期となった。この場を借りて、お世話になったすべての方々へ心からの謝意を表したい。
(本特集担当・伊藤孝)


鉄は生環境構築史にとっては最も重要な素材のひとつである。特に現代の高層稠密都市は鋼の大量生産なしにはありえなかった。それは構築素材の水平的流通・移動の世界である古代からの構築様式2から飛躍し、近代の垂直の素材移動運動(宇宙まで!)を見据えてしまった構築様式3への大きな飛躍をもたらした。
執筆者のひとりとして、その飛躍を建築史周辺の領域から突き詰めようとしたが(「鋼の構築様式」)、そこでの検討には、地球物理学や地質学からの基本情報がヒントとして決定的であった。私たちが生環境構築史という枠組みを欲したのはそのような出会いがフランクに生まれる場所が欲しかったからだ。論については読者からの叱咤激励をぜひいただければと思う。
今回の特集では、地質学・鉱床学の伊藤孝同人が特集担当のチーフとして、鉄の世界をさらに、ずずっと拡張するマクロからミクロまでの多層な視点を用意した。建築材としての鋼のことばかりを考えていると見失われがちな鉄と人間との根源的関係を、血の赤さ(鉄分)は思い出させてくれた。生環境構築史では、こんな〈無知の知〉「自分が無知であることを知ること」を通じて、私たちの将来の環境世界を考えていきたい。多彩な分野からのテキストにぜひ発見的にお付き合いいただければ幸いである。
(本特集担当・中谷礼仁)


生環境構築史における鉄の重要性は、まさに鋼鉄によって築かれた建造物のなかで生活している現代のわれわれにとってほとんど自明のことだ。だが鉄のもうひとつの側面、血と鉄の根本的な関係に眼を向けたとき、そもそも鉄が生そのものを支えている事実にわれわれは直面する。
宇宙史的な時間のスケールで生まれた太陽系、その惑星である地球に存在した元素のなかで、鉄の占める割合は最も多かった。そして鉄原子の電子殻の特別な性質が、酸化・還元を繰り返す呼吸のシステムにうまく組み込まれ、それが生命のエネルギーを太古の昔から支えてきたのだ。
この鉄と生物の結びつきの根本性と、現代の建造物における鉄の基幹性は、たまたま重なっているだけで、必然性があるわけではない。だがそれを偶然と片づけることもできない。あえてそうなった理由を遡って想起してみるならば、地球には鉄がたくさんあった、ということに行き着かざるをえないだろう。だから生命はそれを活用し、だから人間はそれで建設したのではないか。そうして与えられた現実をやりくりして生き延びるサバイバルが、鉄の惑星・地球をこのようにした。
本特集の射程はそこまでだろう。ではその限界を意識し始めた時、なにを考えるべきか。地球が与えた条件の臨界にわれわれはそこで行き当たる。
(本特集担当・日埜直彦)


地球の誕生、生命の誕生、さらには鋼鉄都市の誕生まで、地球史そのものと、地球上に展開してきた生命史と文明史とを貫いて大循環している主人公が、鉄ではないかと考えた。
これらの現象は地球が鉄を核とする惑星ゆえである。生環境構築史では本号で、鉄と構築様式との根本的な交差のありさまを追うべく、「鉄と地球」「鉄と生命」「鉄と文明」の関係と歴史を探った。そこでは言うなれば、地球のテクトニクス、生命のテクトニクス、そして構築様式3のテクトニクスと鉄との、深い関係がフォーカスされることにもなったと思う。
人類の技術・文明の発達と鉄の応用は互いに不可分だ。鉄器は古代の世界史を大きく動かし、大量生産可能になった鋼は近現代の構築様式を決定づけた。今回の特集を通じて個人的に最も印象に残ったことのひとつは、わたしたちはまだ鉄器時代を生きている、という共通認識だ(大村幸弘氏へのインタビュー参照)。
有史以降の人類史は、地球の鉄のある部分をせっせと取り出して別の形に加工しては、鉄の循環のごく一部を活性化させた生物として地球史に刻まれるのだろうか。人類滅亡後、鉄は大地に還っていく。そのとき地球のある部分には、「鉄のエコロジー」とでも言ってみたくなるような鉄の循環の円環が本格的に結ばれるのかもしれない。
とはいえそうなるまでにはまだ時間がある。次に世界史を動かす素材は、どこからどのようなものとしてあらわれるだろうか。それと鉄との関係はどうなるのだろう。このあたりは構築様式4の素材像にも関わってきそうだ。
(本特集担当・松田法子)


3号の読み方:鉄はいつでもそこにある
How to read No. 3: Iron is always there
/阅读指南:从未缺席的铁
伊藤孝/Takashi Ito
インタビュー:アナトリア──文明と鉄の関係の幕開け
Anatolia and the Origins of the Relationship between Iron and Civilization: An Interview with Sachihiro Omura
/访谈:安纳托利亚——文明与铁关系的拂晓
大村幸弘/Sachihiro Omura
鉄と生命──鉄はなぜ生命に選ばれたのか
Role of Iron in Life: A Review
/铁与生命——铁为什么选择了生命
高萩航+北台紀夫/Wataru Takahagi+Norio Kitadai
鋼の構築様式
Steel and the Origin of Building Mode 3
/钢铁的构筑方式
中谷礼仁(文)+松田法子(図)/Norihito Nakatani+Noriko Matsuda
鉄に依存した赤血球による酸素輸送と人工赤血球
Iron-Dependent Oxygen Transport by Red Blood Cells and Artificial Red Blood Cells
/依赖于铁的红细胞运氧和人工红细胞
酒井宏水/Hiromi Sakai
インタビュー:鉄・生命・メタ生物圏
Interview: Iron, Life, and the Metabiosphere
/采访:铁・生命・元生物圈
長沼毅/Takeshi Naganuma

協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)