生環境構築史

第7号  特集:
地球の見方・調べ方──地球の中身と表面を捉える科学史 How We Investigate and Perceive the Earth — A History of the Study of the Surface and Internal Structure of Our Planet 观察和研究地球的新方法:关于地球表里的科学史

鉄鋼の生産と科学が生環境に何を及ぼしたか

初山高仁【東北大学理学部非常勤講師】

How did Production and Science of Iron and Steel Influence Living Environment?Takahito Hatsuyama【Part-time lecturer, Faculty of Science, Tohoku University】

钢铁生产和科学对生环境造成了怎样的影响

In this essay, I aim to delineate how the science of steel was established, thus offering a consideration into the model of habitat building history. The production of steel has been a pivotal element in discussions regarding society since the 19th century. This essay will present various scientific analyses that have accompanied the production of steel, illustrating a facet of the process by which our current living environment has been formed. Science, through its role in production, has become interwoven with habitat building history, effecting significant societal transformations. The uneven distribution of resources on Earth necessitated geological scientific investigations, and the differences in minerals at various locales have profoundly impacted the evolution of steelmaking technologies. Through these specific pathways, the mass production of steel has generated new scientific and technological developments, and it is not an exaggeration to claim that these advances have been instrumental in shaping modernity itself.


[2023.11.10 UPDATE]

はじめに

生環境を論じるひとつの見地として物質的な生産とその消費に注目するということがありうる。このような見方からすると建築はもちろんのこと、電力や水道、交通などのインフラストラクチャーは鉄鋼によってその基礎が構築されている。「鉄の女」とか「鉄のカーテン」といった比喩ではなく、現実に社会の骨格が鉄鋼によってできているのである。このように見なすのでなければ社会だけでなく文化のありようも論じようがあるまい。現代文化が鉄鋼によって基礎づけられているなどと述べると、これに反発する向きがあるかもしれない。しかし、これは鉄鋼があまりにありふれていて、その存在の重要性を忘れているためであろう。物のあふれる「物質文明」に対抗して心のありがたみを論じるという向きもあるかもしれない。しかし、単純に考えて実際を見れば、物があふれて失われるのは物の希少性である。心という単語がそれを錯覚させているとでもいえよう。物質的に貧困な、食うに困るまでの状況では心の豊かさなど保障されようもない。

本論ではこの鉄鋼についての科学がいかにできあがったかを述べることで、生環境という問題へのひとつの視点の提供を行いたい。鉄鋼の生産は19世紀以降の世の中を論じるにあたって重要なものを含んでいる。本論では鉄鋼の生産から始まって、これにいかに科学的な分析が行われたかを述べることで、現在の生環境が形成されるまでの一過程を述べることにする。これにあたっては産業革命について一言しておかねばならない。

産業革命を論じるにあたってこれを工業化と単純に見なす議論には賛成できない。産業革命は単なる生産性の向上などではなく、生産と労働の関係を変化させた社会的・経済的変革である。巨大な生産手段の所有形態が生じたということが産業革命の本質のひとつである。これによって手工業とは異なる大量生産が可能になったのだが、しかし、産業革命は消費や廃棄のありかたをも変化させた。そして、必ずしも社会一般の利益とはならない結果をも生ぜしめたということに留意しておかなければならない。

大量生産のためには、これに適した大量の材料が必要である。大量の材料に適した技術でなければ、大量生産はできない。産業革命は大量にある材料の探索や、材料の均質化、そして部品の規格化・標準化を推進したところがある。そして、ここに科学が求められたのである。 本論では大量生産が実現する一過程をイギリスという国の鉄鋼という物質の生産と科学に注目することで論じていくことにする。

なお、以下での鉄鋼についての具体的な記述は拙著『鉄の科学史』★1で述べたことをまとめているので、注釈は省略しているところがある。

1 生産と科学の哲学に

本論では鉄鋼の生産と鉄鋼の科学の発展の過程を述べていくわけだが、このような具体的な歴史を述べる前に、生産と科学の関係についての理論的な整理を哲学者の力を借りて行うことにしたい。三木清(1897-1945)と戸坂潤(1900-45)による生産と科学の関係についての論述がそれである。彼らはマルクス主義の影響を受けながらもそれぞれ独自の見地から科学と生産の関係について述べていた。彼らの1930年代の議論について次に論じる。こうすることで、生環境という大きなテーマを論じるための準備を整えたい。

まずは三木である。彼は1930年の時点で次のように述べている。

近代自然科学はその根源的な起源を自然に対する人間の実践的な支配というところにもっている。単に自然を眺め見るのでなく、これに働きかけてこれを変化する目的から自然科学は生れた。自然科学は「生産し」ようとするのである★2

「知は力なり」という言葉で知られるフランシス・ベーコン(1561-1626)は『ノヴム・オルガヌム』のなかで科学の目的として自然の克服について述べた★3。マルクスとの関わりでも知られるエンゲルス(1820-1895)もまた「猿が人間化するにあたっての労働の役割」のなかで自然の支配について述べている★4。だが、これらでいう「自然」とは今日いわれるような「自然体験」といった意味での自然ではない。恐怖と危険に満ちた自然である。こうした状況のなかで産まれたのが近代科学であった。したがって、恐怖と危険の克服のために何を作るかが近代科学の目的の一部であったと見て問題はないだろう。科学と非科学との区別は、いろいろと難しい問題を含んでいるが、三木のいう「単に自然を眺め見るのでなく、これに働きかけてこれを変化する目的」を持っているかどうかがひとつの基準になりうる。要は、その理論内容に基づいて生産しうるかどうかが、科学と非科学の違いなのだと見なしうるのである。

戸坂が生産と科学の関係について述べたところは三木の考えをさらに進めた。戸坂は1937年に発表された「技術的精神とは何か」で次のように述べている。

技術的精神は、実験検証の精神だ。だがここでも吾々は之をラボラトリー的規模に於て理解するに止まってはならぬ。之を社会的生産機構のスケールに於て理解しなければならぬ。すると実験は産業と一つづきのものであることに気がつく★5

戸坂は、生産は社会的で大規模な実験であり、これとラボラトリーでの実験を区別できないと述べていることにでもなる。そして戸坂は物質的生産に裏づけられる形で文化が成立していると主張している★6。戸坂はさらに「生産を目標とする科学」で科学の目標を認識ではなく生産に求めた★7。なお、戸坂は述べていないが、筆者としては生産の結果としての消費もまた「一つづき」の実験の一部であると指摘しておきたい。さらに今日的課題と関わらせれば、廃棄もまたこの実験の一部であるのかもしれない。

ところで生産と科学の関係をなおざりにして、科学を理論としてのみ捉えるのであれば、天動説も地動説も大して違いのあるものではなく、単なる文化の差異でしかないといった議論も成立しうる。こうした議論に対しては地動説で生産できるものが天動説では生産できないからこそ、天動説は非科学なのだと述べておきたい。より詳細な暦や星表を生産できるのはどちらの理論であるか。極端な述べ方ではあるが、天動説で人工衛星が打ち上げられるのかということである。何を生産しうるのかということが科学的か否かを区別しうる指標となりうる。

なお、三木と戸坂とは思想犯としてともに1945年に獄死した。いや、獄死させられた。彼らはそれほどまでに日本のファシズムのありようとその結果としての政治や経済の行きつく先を見抜いていたと見なすべきだろう。三木と戸坂は生産と科学の関係について非常に重要な指摘をした。しかし、彼ら哲学者は生産から科学が生まれるという過程を説明できてはいない。哲学者が述べていないからこそ歴史研究者の出番がある。以下では19世紀後半の事例から、鉄鋼の生産と科学の関係について論じることにする。

2 イギリス鉄鋼協会の創設と活動

イギリスでは1869年にイギリス鉄鋼協会が設立された。ここではこの協会の活動内容を述べることで、生産と科学の関係について述べようと考える。この時期にはパドル法とベッセマー法という製鉄の方法が角逐していた。パドル法とは人力で鉄鋼をかき混ぜて精錬する方法である。ベッセマー法は機械によって銑鉄に空気を吹き込んで鉄鋼を精錬する方法である。労働集約型のパドル法と装置集約型のベッセマー法の争いがあったのである。パドル法は機械化によってベッセマー法に対抗しようとした。


機械化されたパドル法1。回転するパドル棒を人が操作している。
引用出典=Journal of the Iron and Steel Institute, 1872, I, p.406.



機械化されたパドル法2。一対のパドル棒が機械によって動作している。
引用出典=Journal of the Iron and Steel Institute, 1872, II, p.196.



ベッセマー法。底から空気が吹き込まれ、上部で炎が出ている。
引用出典=Henry Roscoe, Spectrum Analysis, fourth edition, Macmillan and Co., London, 1885, p.199.


(1)イギリス鉄鋼協会の特徴
イギリスが鉄鋼の生産において世界で圧倒的な地位にあったという状況は1860年代から変化していった。それまで主流であった労働集約型のパドル法による錬鉄生産から装置産業としての性格を強めた鋼の大量生産への転換が起ったのである。イギリスは、いわゆる「後発者の利益」としてパドル法という桎梏を持たないアメリカとドイツが鉄鋼の生産を急激に拡大させていた状況に対抗せざるをえなくなった。

イギリス鉄鋼協会はこのような状況で創設された。その発端は1867年にパリで開催された万国博覧会にあったようである。つまりはこの博覧会で諸外国の発展とイギリスの停滞が明確になったということにでもなる。イギリスにおいて鉄鋼の生産に関わる者はこの状況の克服のために積極的に活動しなければならない状況に追い込まれた。鉄鋼業での課題の解決とこれへの科学の必要こそがイギリス鉄鋼協会を創設させたと見ることができる。このイギリス鉄鋼協会は後には学会となり、現在では他の金属関係の学会と統合されている。だが、創設時においては単なる学会としての性格だけでなく技術者団体や業界団体としての性格を持っていた。このようなイギリス鉄鋼協会の活動が一国の利益のみを目指さなかったということは興味深い歴史の現象である。国家の目的と科学の目的とは異なるということにでもなろうか。イギリス鉄鋼協会は後に実質的に国際学会としての役割を果たすことになったのである。

(2)イギリス鉄鋼協会としての状況認識
イギリス鉄鋼協会は創設期に諸外国の情報を集めようとしていた。協会内でこの役割を担った地質学者のフォーブス(David Forbes)が述べていることは、この協会の課題が何であったかを知るために有益である。彼はまず、イギリスが「世界の鉄鋼生産の先頭の地位を占め」ていたのに、「元来はるかに恵まれていない国々が」、「あなどり難い競争相手の位置へと上昇したのを見る」とした。新技術の開発をリードしていたはずのイギリスが後発国と競争せざるをえなくなっていたのである。実際、木炭のコークスへの代替、パドル法の開発、ベッセマー法の開発などの画期的な技術の変革はイギリスにおいて行われたものである。さらにイギリスでは石炭が豊富だった。そうでありながらも後発国と競争せざるをえなくなったのである。

フォーブスは製鉄技術の設計のあり方についても言及している。イギリスでは機械の強度は重厚にすることで保たれているが、外国では科学的設計によって保たれているという。工場の配置についても外国では合理的なものがあるとしている。イギリスでの保守的な姿勢に対して諸外国では革新的・合理的であり科学的な姿勢が打ち出されていたのである。

以上を踏まえて、フォーブスはイギリス鉄鋼業が不利になった理由を次のようにまとめている。

実際に生産に関わるすべてのものをおおざっぱな経験から得た知識で扱うのに慣れすぎていた。細かいことを放っておき、世界の他の国が同じ方面で何をするかを心配することなしに、主に強大な資本の支配力と無敵の地域資産に依存していたのである

優位であることに基づいた他者の軽視と、科学的見地の欠如とがイギリス鉄鋼業を不利にさせたとでも読みうる。ここでいわれる「地域資産」とは主に石炭と鉄鉱石(さらにいえば石灰石)と見ていいだろう。

以上のような経緯によって、イギリス鉄鋼協会は国内での地質調査を推進することになった。その経緯を次に述べる。

3 イギリス鉄鋼協会の地質調査

ベッセマーによって開発された大量製鋼法であるベッセマー法は鋼を短時間で生産できる一方で、原料を選ぶ方法でもあった。大量生産のためには大量の原料が必要であるし、その原料はできるだけ均質であることが望ましい。短時間で除去できない不純物もないほうがよい。大量生産が行われると、一般的な現象として材料の均質化や部品の規格化・標準化といったことが進められる。イギリスでも鉄鋼の大量生産を可能とするような資源を求めるための地質調査が行われた。


鉄鋼協会で報告された地質調査の事例。石灰岩とヘマタイトの鉱床が描かれている。
引用出典=Journal of the Iron and Steel Institute, 1874, p.504.


イギリス鉄鋼協会は協会が創設された1869年に地質調査所(Geological Survey)のマーチソン(Roderick Impey Murchison)に、鉄鉱石(とくにヘマタイトについて)の分布についての報告を調査所員が作成することを認めるように要請した。地質調査所は鉱物や地質についての研究が進むなかで1835年に設置された機関である。マーチソンは当時のイギリス地質学界の重鎮であった。生産活動の拡大が専門機関である地質調査所を成立させたのであり、鉄鋼生産の拡大がさらなる地質についての認識を必要としたということにでもなる。しかし、マーチソンはこの要請に対して、鉄鉱石分布の調査が完成する保証がなく、また調査を進めるためには資金が必要であると消極的に応じた。地質調査所としては鉄鋼生産という特定目的のために利用されたくなかったということだろうか。そのためか、イギリス鉄鋼協会では1870年に鉄鉱石委員会が設置された。その目的は「グレート・ブリテンとアイルランドの鉄鉱石の特性と分布について現在ある記録よりも包括的で信頼性の高いものを得ること」にあった。

協会は1871年に予備的な報告を行い、今後実行されることになる調査の概要を示した。ここではこの調査が次のようなものになるとされている。

王国のあらゆる地方で現れる鉄鉱石についてのすべての記述に関したもの、すなわち地質学的位置(geological position)、化学組成(chemical composition)、そしてどれほどあるか(probable extent)を含むものになる

鉄鋼協会としては鉱物についての科学的認識を徹底させる方針であったようである。同年、協会では鉄鉱石委員会とは別途にスウェーデンの鉄鉱石についてフォーブスの報告が行われている。彼はこの報告の冒頭で「ベッセマー法による鋼の生産に適した高品質の鉄鉱石の(需要が)増加した(ために生じた)不足分を獲得するという問題は、大陸でもわが国でも、日々重要性を増している」と述べている(カッコ内は初山の補足)。ベッセマー法に適した鉄鉱石を得ることが極めて重要な課題であったことが知れる。鉄鉱石委員会は同じ1871年により詳細な報告を提出した。ここではイギリスの各地で産出される鉄鉱石の分析結果が報告されたが、鉄鉱石委員会の報告はこれが最終報告となった。ベッセマー法に適した大量の鉄鉱石はイギリス国内では供給しえなかったということにでもなる。

ここで指摘しておきたいことがある。それは、生産活動の拡大が人間に地球という生環境をより深く認識させたということである。生産活動に適した鉄鉱石はどのようなものかということから始まり、そのような鉄鉱石がどこにあるのかということが問題となった。これはやがて、なぜそこにあるのかという問題に進まざるをえない。

このようにイギリスでの鉄鉱石の分布が調査されたわけだが、1870年代になると国内で産出されるヘマタイト鉱石のベッセマー法への利用が進む一方で、鉄鉱石輸入も激増した。殊にスペインのビルバオ鉱石はベッセマー法に適していたため輸入鉄鉱石の大半を占めることになった。鉄鋼協会が国内の鉱石を探索したものの、結局のところベッセマー法の原料の問題は輸入によって解決されることになった。資源となりうる岩石の偏在が「世界の工場」としてのイギリスのありように影響をしたと言いうるのである。

4 鉄鋼生産と材料の科学

鋼の大量生産が可能になると、次にその加工の方法が問題となった。鉄鋼と関わっては、要は素材の生産から素材の加工へと問題が移動したのである。イギリスで材料として鉄鋼の研究が最初に進められたのはイギリス鉄鋼協会ではなくイギリス機械技師協会であったということはそれを象徴している。ここではこの機械技師協会で行われた鋼の熱処理の理論化の過程について述べることにする。

イギリス機械技師協会は、the science of Engineering と称する研究を開始し、委員会を設置した(1878)。そのひとつが鋼の熱処理と関わる「鋼の焼入れ・焼戻し・焼鈍し研究委員会」(以下、焼入れ研究委員会と略記する)である。この委員会が技術的課題をいかに科学的に取り扱ったかということを下記で述べる。

この焼入れ研究委員会の第一報告では機械技術者のアンダーソン(William Anderson)により、課題の整理が行われた。この後、焼入れ研究委員会ではロバーツ(William Chandler Roberts 造幣局の研究者)、エイベル(Frederick Augustus Abel 化学者)、ヒューズ(David Edward Hughes 物理学者)らの機械技術分野以外の研究委員によって実証的研究が進められていった。もはや材料としての鉄鋼の問題は機械技術者の手に収まるものではなかったということが知れる。

ここではさらにヒューズが鉄鋼についての研究に踏み込んでいく過程についても述べておかなければならない。ヒューズはそもそも金属の磁性について研究していたが、そのなかで注目したのが電信線と送電線の性質の違いであった。電信だけでなく電力として電気が利用されるようになったことが、科学研究の課題を生んでいたのである。これは、先に述べたような消費が社会的実験であるということの事例としていいだろう。


ヒューズの用いた測定器具「マグネチック・バランス」
引用出典=Journal of the Society of Telegraph engineers, vol.36,1884, p.330.


焼入れ研究委員会ではエイベルによって化学分析が行われ、化学的方法によって原子・分子レベルのミクロな変化と焼入れ硬化というマクロな変化が鉄鋼という物質の持つ性質の構造として結びつけられた。さらにヒューズは磁性についての研究を進め、熱処理と磁性の変化について報告したのだった。ロバーツはこのヒューズの報告で説明された実験器具について造幣局の人間として意見を述べた。ほんのわずかな硬さの違いが硬貨鋳造用のダイスの寿命に大きな差異を与えるのだから、それに影響をあたえる元素の量を検出できる測定器具は有用だというのである。貨幣のありように合わせた科学が必要とされたのである。やはり、消費が社会的実験であったようだ。

焼入れ研究委員会での研究の進展過程は鉄鋼の研究法自体が確立される過程、つまり、鉄鋼研究を行いうる水準にはあった化学・物理学の研究法を、鉄鋼に対して適合させていく過程であった。これはまた同時に電信線・送電線・貨幣製造用具などとしての使用(消費)に合わせた材料を生産する過程でもあったのである。

現代人は鉄鋼に取り囲まれて生活している。そして鉄鋼の消費もまた大量に行われている。この鉄鋼は何かに使われうるし、最終的には廃棄物となる。この過程が人類のためになるのであればよいのだが、単純にそうとはならなかった歴史的経緯がある。

5 鉄鋼の大量生産とその結果

大量に生産された鉄鋼は大量に消費されることになった。1890年に完成したスコットランドのフォース鉄道橋は鋼の大量生産の記念碑的建築物である。イギリスでは“like painting the Forth Bridge”との慣用句まである。これは、いつまでたっても終わらないということを意味するようだ。フォース鉄道橋はそれほどに巨大な建築物であると見なされているわけである。

もちろんのこと、鉄道橋よりも先に鉄道があったので、レールと蒸気機関も生産されていた。鉄鋼は巨大な船の材料ともされていたし、電力の利用もまた鉄鋼を必要とした。発電・送電・変電の施設とこれを結ぶ送電網の構築は鉄鋼の大量生産がなければできないことであった。鉄鋼の大量生産によって起こった用途の多様化はその産業的な成果とその科学性を生活の場へと広げたところがある。


建設中のフォース鉄道橋 最上部は100m以上の高さがある。
引用出典=Journal of the Iron And Steel Institute, 1888, plate III.


しかし、鉄鋼の大量生産は人類を幸福にする目的にのみ向かったのではないということに留意しておかなければならない。この点は「はじめに」で述べたように産業革命が社会一般の利益となっていなかったことと関係する。鉄鋼の大量生産はやがて列強各国の軍事力の拡大とも結びついた。第一次世界大戦での大量殺戮をもたらすほどの物質的な基礎は鉄鋼の大量生産にあったといえるところがある。鉄鋼の大量生産を制御するまでに人類が発展していなかったということにでもなるだろう。何が生産されて、どのように消費されるか、そしてそのために科学がいかなる役割を果たすかが問われなければならない。科学というものは、戦争のような破壊や殺戮ではなく、生産・消費・廃棄という人類の生環境において逃れられない過程においてこそ力を発揮すべきであろう。戦争や武器は生産や消費を伴うことではあるがその目的は破壊や殺戮を行うことであると知っておかなければいけない。生産ではないことを目的にしているのだから、軍事技術は生産技術とは共通するところはあっても異なると評する必要があるだろう。人類の歴史において生産・消費・廃棄は避けられない過程だが、戦争はそうだろうか。将来において戦争をなくするということを理想としてではあるが掲げることには意味がある。チャールズ・チャップリンは映画「独裁者」の終わりで「合理的な世界のために戦おう、科学と進歩が全人類を幸福へと導く世界のために戦おう」と呼びかけた。そうでなければ生環境は維持できないだろう。しかし、人類は戦争という非合理を未だになくせていない。

おわりに

以上では生環境という問題を意識しながら鉄鋼とかかわる生産と科学との関係について、歴史的に述べてきた。これらの結果として、哲学者である三木清と戸坂潤の論述から極めて有益な見解を得ることができたと考える。両者とも生産と関わるものとして科学というものを捉えている。生環境と科学とは生産を介して結びついていると見なしても問題はあるまい。

では、こうした鉄鋼の生産がいかに生環境と結びつくことになったかということになるが、これは人間がいかに物質に制約されるかを示す過程でもあった。イギリス鉄鋼協会は製鉄に必要とされる鉄鉱石を求めて委員会による調査活動を行った。ベッセマー法が定着すると今度はベッセマー法に必要とされる鉄鉱石の品質が問題とされた。この問題はスペインの鉄鉱石を輸入することで解決されたのだが、これは物質の偏在が世界を動かしたということにでもなる。

物質が人間を動かすということは鋼の大量生産が可能になってからも見られた傾向であった。イギリス機械技師協会が開始した材料の研究では鉄鋼という物質の持つ性質に従わされて、物理学者や化学者が研究対象としたのだった。さらにこれらでは物質が消費されることがその研究内容に影響を及ぼしていたのである。ここまででは述べることができなかったが、筆者は鉄鋼の生産が量子力学の成立に寄与したと考えている。鋼を安定して生産するためにスペクトル分析が試みられた。これはそもそもスペクトルとは何かという問題へと進んでいかざるをえない。量子力学の発端が鉄鋼の生産から生まれたのだろう。

しかし、一方で鉄鋼の大量生産は世界大戦を生じさせる物質的な基礎であった面がある。巨大な砲、戦車、軍艦などは鉄鋼の大量生産が前提でなければ成立しなかった兵器である。この結果として、生環境は破壊されることになったともいえる。しかし、生産活動や科学が生環境を破壊したといった皮相な理解はすべきでないだろう。戦争をその最高形態とする政治的・経済的暴力の容認こそが根本的な問題なのだと述べておきたい。

繰り返しになるが、科学というものは、戦争のような破壊や殺戮ではなく、生産・消費・廃棄という人類の生環境において逃れられない過程においてこそ力を発揮すべきであろう。これを実現するために努力することこそが現代人の課題である。しかし、この前提としてなのだが、筆者としてはむしろ非合理が歴史の妙な底流のところにあるとでも見なしたほうがよいような気がする。無論、これは筆者による根拠が未だ定かではない考えではある。だが、歴史は理性よりも本能という非合理なものを前提としてできあがっていると見なす必要があるようにも思う。筆者としては、生環境と人間の活動との関係を評するにあたり、本能というものについてはどこかで述べておかなければならないことであると、本論をまとめた結果として考える。






★1──初山高仁『鉄の科学史』(東北大学出版会、2012)
★2──三木清『三木清全集』(第18巻、岩波書店、1968)116頁
★3──フランシス・ベーコン『ノヴム・オルガヌム』(岩波文庫、桂寿一訳、1978)53頁
★4──エンゲルス「猿が人間化するにあたっての労働の役割」(『マルクス=エンゲルス全集』第20巻、大月書店、1968)492頁
★5──戸坂潤『戸坂潤全集』(第1巻、勁草書房、1966)347頁
★6──同上
★7──同上、358頁




はつやま・たかひと
1973年生まれ。科学史・技術史・技術論。東北大学理学部非常勤講師(科学史担当)。1996年、東北大学理学部物理第二学科卒業。2002年、東北大学大学院国際文化研究科博士課程後期2年の課程修了。博士(国際文化)。著書=『鉄の科学史 科学と産業のあゆみ』(東北大学出版会、2012)。

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