生環境構築史

第2号  特集:土政治──10年後の福島から Soil Politics: From Fukushima 10 Years After 土政治──從十年後的福島說起

福島原発事故──土からみた10年

溝口勝【東京大学】

Fukushima Nuclear Accident: Ten Years seen from the SoilMasaru Mizoguchi【University of Tokyo】

福島核災 ― 由土壤看這十年

The relationship between soil and politics is one that I have never thought about before. I was born the son of a farmer in Tochigi Prefecture and grew up around mud. I entered university as a country boy and went on to study agricultural engineering, a world where people earn money moving the soil. In order to improve farmland, a local leader compiles with the requests of farmers, connects them with the Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries (MAFF), and then the approved projects are constructed by construction companies using plans designed by consultants. A huge amount of money is involved in moving the soil. Inevitably, politics is involved in this process. After the Fukushima nuclear accident, a huge amount of taxpayer money was spent to decontaminate farmland, and politics and administration were heavily involved in this process. In this article, I look back on the collaborations with local farmers and NPO volunteers immediately after the nuclear accident. I also reassess the development of a “farmer’s decontamination method” that is different from the government’s decontamination method, and consider the problems that remain in the farmland after decontamination.

The soil on the earth contains organic matter from dead plants and animals that has been decomposed by microorganisms, and the resulting nutrients are circulated in the ecosystem. In other words, the most important characteristic of the soil that exists on the earth with us humans is that it contains organic matter. Ten years is a blink of an eye in the 4.6 billion years of the earth’s history, but it was a long and agonizing time for the people suffering from the effects of the Fukushima nuclear accident. We have to remember this, however, there is no point in looking backward forever. It is necessary to gather the wisdom of


[2021.3.4 UPDATE]

1. はじめに

今回の特集は土政治だという。原稿依頼の際に聞いたこの言葉が気になった。土と政治の関係は今まで考えたことのない組み合わせだ。栃木の農家生まれの私は幼い頃から泥んこにまみれて育った。そんな田舎者が大学入学後に進学したのは農業土木学だった。農学部のなかで最も数学や物理学を使えると思ったからである。

農業土木は土を動かしてなんぼの世界である。田んぼや畑を整備するために地元の有力者が農家の要望を取りまとめ、農水省と繋ぐ。そこで認められた国営事業では農業開発コンサルタントが設計した図面に基づいて土建業者が施工する。土を動かすことで莫大なお金が動く。必然的にそこには政治が絡む。でも私は、大学生当時ドロドロとした合意形成の話とか、計算結果に安全率をかけて事業を進める曖昧さを含む農業土木学が嫌いだった。ただ、運よく政治とは関係のない理学的な香りのする土壌物理という分野があったのでその研究室を選択した。しかも大学院で始めた研究は農業や政治とはまったく関係のない凍土だった。

福島の原発事故では農地除染のために莫大な税金が使われた。この過程で政治と行政が大きく関与した。本論ではその福島の農地除染をめぐる土の話を中心に、私がこの10年間に取り組んできた活動を振り返る。

2. 科学技術に対する疑問

2011年3月に発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故は未曽有の原子力災害となり、放射性セシウムによって山林・農地・海洋等が広範囲に汚染された。私と原発事故との関わりは、「いざというときに役に立たない科学技術への疑問」から始まった。原発事故は、日本の科学技術が問われた大きな出来事だった。SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)によって放射性物質の漏れのシミュレーション結果があったのに、そのデータが公開されないまま事態が動いた。SPEEDIの予測そのものが信頼できないレベルだったとか、パニックを避けるために情報を隠蔽したとか、さまざまな議論があったが、少なくとも国家予算を投じて開発されたシステムが“その時”利用されなかったのだ。そうした状況を目の当たりにして私は「日本の科学技術っていったい何なんだ」と思った。

農学者の横井時敬先生★1は、150年も昔に「農学栄えて農業滅ぶ」と言っている。また、「土に立つ者は倒れず、土に活きるものは飢えず、土を護る者は滅びず」という言葉も残している。ジブリ映画『天空の城ラピュタ』に登場するヒロインのシータが、「土からはなれては生きられないのよ!」と叫んでいるように[fig.1]、農業も土から離れては成り立たない。私には、シータの叫びが今回の原発事故で被害を受けた農家の叫びを代弁しているように思えた。

自分にできることは何か? 私は放射性セシウムに汚染された土壌の問題に向き合うことこそ土壌物理学者の使命と考え、2011年6月に旅行者を装い、友人の教授と2人で現地に入り込んだ。黒澤明監督の『七人の侍』の映画でいえば、侍が勝手に村を守るために闘って平和が戻ったら消えてゆく、そんな思いだった。この時の行動心理については「原発事故後、いかに行動したか」★2や「飯舘村に通いつづけて約8年──土壌物理学者による地域復興と農業再生」★3に書かれている。



fig.1──いま科学技術が問われている。


3. 原発事故と土壌汚染

原発事故では原子炉から放射性物質が放出された。その放射性物質が風で北西方向に流されているときに雨が降り、放射性物質が地上に落ちてきた。そのなかに放射性セシウムが多く含まれていた。放射性セシウムは土に吸着しやすいため地表面の土壌の5cm以内のところにべったりと留まり放射線を放ち続けていた。許容量以上の放射線を受けると生物の細胞内のDNAが損傷し発がんリスクが高くなる。そのため、国は福島第一原子力発電所(原発)周辺の住民に対して避難指示を発令した。

飯舘村は、原発から北西方向に30~45kmのところに位置する[fig.2]。標高が高い涼しい所で、原発事故前は牛、コメ、花などが有名だった。「原発からこれだけ離れていれば大丈夫だろう」と、事故直後に避難指示を受けた原発近くの住民は飯舘村まで避難した。飯舘村の人たちは炊き出しなどをして避難民を迎え入れていたが、事故から1カ月後に突然飯館村にも全村避難指示が発令された。そして、翌年7月に「帰宅困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に色分けされ、補償金をめぐって村が分断された。原発事故は単なる科学技術の問題ではなく、政治的な問題だった。

農林水産省は原発事故から1年半後に農地除染対策の技術書★4を公開した。この技術書では農地の汚染の程度に応じて、①表土剥ぎ取り、②水による土壌撹拌・除去、③反転耕による対策工法が推奨されていた。しかし、避難区域の一部では主に表土剥ぎ取りが行われ、汚染土が詰め込まれた黒いフレコンバックが“仮仮”置場と呼ばれる農地に山積みになった[fig.3]。



fig.2──福島県飯舘村の位置




fig.3──仮仮置き場に山積みされた除染土
写真提供=ふくしま再生の会★5

[/caption]

4. 村学民協働による活動

私の10年間の活動は既存の組織枠を超えたグループの協働によって成り立っている★6。

(1)認定 NPO 法人ふくしま再生の会★7

ふくしま再生の会は2011年6月に飯舘村佐須を拠点として設立された。2020年7月末時点で個人・団体正会員と協賛会員合わせて279名の認定NPO法人である。当時「アラ古希」(アラウンド・コキ:70歳前後の意)と呼ばれるシニアメンバーがグループの核となり、多様なバックグラウンドをもつボランティアが週末に飯舘村に集まり、アイデアを出し合いながら現地で村民と協働でデータを取得し、そのデータに基づいて復興の道を模索していた。その活動人数はピーク時には年間1,000 名以上に及んだ。当時からの活動やデータがホームページに公開されている。最近、半世紀前に東大安田講堂に立て籠もった中心人物の一人である田尾陽一理事長がふくしま再生の会の10年間の活動を総括した本『飯舘村からの挑戦』★8を出版し、その中で安田講堂事件も福島原発事故も説明責任が果たされなかったという点で根っこは同じであることを指摘している。

(2)福島復興農業工学会議★9

 原発事故直後に東京大学の旧農業土木学系研究者で組織されたグループである。ふくしま再生の会に団体で加盟している。東京大学に限らず、明治大学・宇都宮大学・茨城大学など、農業土木系研究者を巻き込みながら現在も現地に赴いて研究活動を行っている。

(3)サークルまでい

2012年9月の飯舘村村長と東京大学農学生命科学研究科長による研究協力の書簡を契機に「飯舘村の現地には行けなくとも分析試料の作成作業などを手伝いたい」という職員が自主的に組織したボランティアサークルである。毎週火曜日に集まり、週末に飯舘村で採取された土壌や植物などの試料を測定用のバイアル瓶に詰め、東大農学部内のアイソトープ農学教育研究施設(RI施設)に送っている。

(4)東京大学農学生命科学研究科復興支援プロジェクト★10 長澤研究科長のリーダーシップで震災直後から現地の調査および復興支援に関わっている学内プロジェクトである。「放射能の農畜水産物等への影響についての研究報告会」を定期的に開催し(2019年11月現在で15回)、コロナ禍の2020年10月には「福島復興支援に係る教育研究の総括シンポジウム」を開催した。

5. 土壌と放射能

(1)粘土と放射性セシウムの関係福島県阿武隈山系に分布する土壌には花崗岩を母材にした粘土鉱物が多く含まれる★11。その粘土鉱物の代表的なものは2:1型粘土鉱物が層状に重なった雲母類である。2:1型粘土鉱物の表面には六員環の“孔”が空いていて電気的にマイナスになっている。通常はここにこの“孔”よりイオン直径が小さいカリウムが入り込み、層状の雲母を形成している★12。しかし,福島原発事故で放出されたセシウムのイオン直径はこの“孔”にちょうど填まり込む大きさなのでカリウム以上に強く固定される[fig.4]。身近なものを使ってモデル化すると、パック(雲母)に詰まっていた白卵(カリウム)が赤卵(セシウム)に置換されるようなイメージである[fig.5]。卵パックは単体の卵よりも大きいので移動しにくい。この強い吸着特性によって、放射性セシウムが地表面付近に残存したり、降雨の後に泥水の集まり易い場所に粘土粒子が集積してホットスポットを形成したりする。fig.6は原発事故の3カ月後に飯舘村内の裸地斜面で測定した放射線量である。雨で斜面上部の粘土粒子が下方に運ばれた結果、斜面下部の放射線量が高くなっていた★13。農地除染は、この粘土粒子を除去する作業にほかならない。



fig.4──粘土表面にある六員環の“落とし穴” (Cliff, 2011)




fig.5──カリウムと交換して雲母間に固定される放射性セシウムのモデル(卵パック=粘土シート、白卵=カリウム、赤卵=セシウム)




fig.6──飯舘村の斜面における放射線量測定(2011.6.25)


(2)放射能と放射線、そして放射性物質★14

放射能は元素(放射性物質)が自発的にエネルギーを放出する能力である。放射線はこのとき放出されるエネルギーである。放射能は、シーベルト(Sv)またはベクレル(Bq)で測定される。シーベルトは電離放射線量を測定する単位で、危険の可能性を伝えるために使われる。ベクレルは、崩壊速度を測定する単位で、主に科学的な目的で使われる。

放射性元素が別の元素または同位体に変化する自然の過程は崩壊と呼ばれ、半減期という単位で測定される。半減期は、ある同位体の指定された量の半分が崩壊するまでの時間である。放射性物質が崩壊すると、アルファ粒子、ベータ粒子、ガンマ線、X線、中性子の形でエネルギー(放射線)が放出される。すべての放出は、最初の放射性物質から遠ざかるにつれて強度が低下し、その過程で物質に吸収され、物質を透過する方法も異なる。

今回の原発事故で問題となった放射性物質はセシウム134(半減期2.1年)とセシウム137(半減期30.2年)である。

6. 土壌除染法の試み

土壌物理学の専門家として私がまず取り組んだのは、農地除染法の開発★15だった。毎週末現場に足を運んで農家と話をすると叫びにも似た言葉を何度も聞いた。その度にNPO法人ふくしま再生の会のボランティアたちと手当たり次第に現地実験を繰り返した。そうして2012年1月に「凍土剥ぎ取り法」が、4月に田車による「泥水掃き出し法」や「泥水強制排水法」が、同年12月に削り取った表土を直接穴に埋める「までい工法」などの除染法が生また。

(1)凍土剥ぎ取り法

福島県飯舘村では雪が少なく気温が低いために冬期に土壌が凍結する。自然凍結した凍土はアスファルトのように固いために、数cmの厚みの凍土を地元農家が所有する重機で容易に剥がすことができる。私たちは、2012年の1月に5 cm程度凍結している水田土壌を剥ぎ取ることで、地表面からの放射線量が1.28 mSv/hから0.16 mSv/hに低下することを現場実験で確認した[fig.7]。この放射線量の低下は、凍土の剥ぎ取りによって土壌表層の放射性セシウムが除去できたことを意味する。実験では4m×5mの面積の凍土がバックホーにより20分程度で効率的に剥ぎ取られた。



fig.7──板状の塊のままで剥ぎ取られた厚さ5cmの凍土(2012.1.8)


(2)田車による泥水掃出し法

2012年2月の時点で飯舘村の水田土壌の凍結深は既に10cm以上に達していた。この状況で「凍土剥ぎ取り法」を適用すると肥沃な表土を無駄に失う。一方、春になると地表面の雪や凍土が融解し、泥水が地中に残る凍土に行く手を阻まれるために、水田のあちこちに放射性セシウムを含んだ泥んこや水溜りができた。私はこの泥水化した土の性質に着目し、地中に凍土が残っている状態で5cmぐらいまで凍土が解ける春先に地表面の泥水を掃きだそうと考えた。しかし、予想に反して凍土はパッチ状に解けるためにこの方法は使えなかった。通常の代かきではトラクタの重さでセシウムを含んだ表層土が地中にめり込んでしまう。表層土5 cmだけの代かきはできないだろうか。私は水田土壌と水を入れたペットボトルを使ってストークスの法則(水の入ったペットボトルに土壌を入れてよく振って静置すると粒子の大きな砂が先に沈降し、粘土が泥水の中に残っている現象)を説明しながら、NPO法人のメンバーと議論を繰り返した。こうした議論の末、思いついたのが田車による泥水掃出し法であった。田車とは田植え後に使われる(中耕)除草機である。2012年4月に5m×10mの田んぼに5cm深さ程の水を引き入れ,表層を田車で掻き混ぜ、泥水をテニスコートブラシで掃き出す実験を行った。注水・掻き混ぜ・掃出しを3回繰り返し、除染前後の土壌中のセシウム量を測定した。その結果、この方法により放射性セシウムを80 %程度除去できることを確認した[fig.8]。



fig.8──田車除染前後の放射性セシウムの分布(ふくしま再生の会、2012)


問題は泥水処理である。この実験では、泥水を水田の周りに掘った1m深さの素掘りの排水路に溜める方法を採用した。その結果、水田表層から除去された泥水は実験から3カ月後の7月には地下浸透でなくなり、排水路の地表面には乾燥した粘土特有の亀裂ができていた。fig.9は排水路底面および底面から25cm高い側面から1cmごとに土壌を採取し、その放射性セシウム濃度を測定した結果である★15。放射性セシウムは底面および側面の6~7cmにまでしか浸透しなかった。これは素掘りの排水路の底面および壁面が土壌の濾過機能★16により放射性セシウムを含む粘土粒子を効果的に捕捉したからである。その原理は、砂を入れた穴あきペットボトルに泥水を注ぐ簡単な実験★17で確かめられる。蛇足ながら、この方法を実践する前に「田車」の存在を知っていたのはふくしま再生の会のメンバーのなかでも、農家出身の菅野宗夫さんと私だけだった。農家自身ができる他の除染法を考える際に、各地域に残っている伝統的な農家の知恵を積極的に活用することも大切だと思った。



fig.9──排水路の周辺土壌の深度別放射性セシウム濃度


(3)汚染表土の埋設実験──までい工法

飯舘村内のあちこちでは表土剥ぎ取りによる除染工事が進められ、除染土は最終処分地は不透明なまま村内の水田にピラミッドのように山積みにされていた。このような状況下で考えられる現実的な除染法は、農地の一角に穴を掘って汚染土壌を直接埋設することである。室内実験の結果によると50cm程度の被汚染土で覆土すれば放射線量を1/100~1/1000くらいに減衰できることが報告されていた★18。この仮説を現地で検証するために、私たちは2012年12月に福島県飯舘村佐須滑の水田(約10m×30m)において、汚染表土を剥ぎ取り、それをていねいに埋設する実験を行った[fig.10]。私はこれを「までい工法」と名付けた。「までい」とは、古語「真手(まて)」が語源の飯舘村の方言で「手間暇を惜しまずていねいに心を込めて」という意味である。この工法は、農地除染対策の技術書★4にある①表土剥ぎ取りと③反転耕をていねいに組み合わせたものである。



fig.10──汚染土の埋設作業(2012.12.3)


(4)浅代かき強制排水法

原発事故から3年目を迎えた2013年夏頃には、水田に草や灌木が繁茂し、イノシシが地表面を掘り起し、典型的な耕作放棄状態になっていた。行政的に汚染土壌の処分地が決められない状況のなかで、これ以上水田を放置すると除染どころか農地としての再生そのものが困難になると思われた。そこで、私たちは2013年5月に農家自身が保有するトラクタを使って実施できる「代かき強制排水法」の実験を試みた。これは、水田の一角に素掘りの穴を掘り、代かきで発生する泥水を素掘りの穴に流し込む方法である[fig.11]。トラクタの自重で表層土がめり込むことは避けられないが、水田はすでにイノシシによって掘り返されてしまっている。代かきを何度か繰り返すことで粘土粒子に固定された放射性セシウムを作土層から少しずつ除去することを考えた。この方法は農水省マニュアル★4の②水による土壌撹拌・除去と③反転耕の組み合わせであった。



fig.11──浅代かき強制排水法(2013.5.18)
動画(正面:http://youtu.be/rqOyqHwZEFQ 側面:http://youtu.be/4uwW2gfHQJA)


7. 除染後農地の問題★19

私たちが開発した除染方法は農家自身が取り組める方法であったが、公的に採用されることはなかった。国は農水省マニュアル★4通りに除染工事を実施し、飯舘村でも2017年3月末に1地区を除いて避難指示が解除された。しかし、除染後の農地にはいくつもの問題が残された。

(1)除染土の処理

福島県飯舘村では除染土を中間貯蔵施設に運び込む予定で除染工事を進めたが工事が完了しても順番待ちの状態が続き、避難指示解除後に村に戻ってきた村民には精神的な重荷になっていた。そこで、村と環境省は除染土をセシウム濃度で分別し5000 Bq/kg以下の除染土を帰還困難区域にしてされている長泥地区に埋設し、そこで花卉などを栽培する実験を進めている。これにより村民の目の前から黒いフレコンバッグが徐々に消えつつあるが、浜通り地域全体で考えると依然として大量の除染土が残されている。

(2)排水不良

除染工事では先の技術書★4に従い重機で表土を剥ぎ取り、低くなった地盤を元の高さに戻すために汚染されていない山土(真砂土)を客土する工事が行われた。このため重機の踏圧によって客土直下5cmくらいの深さに硬盤層が形成され、また50〜60cmの深さにあった暗渠が壊れて農地の排水不良の原因になっている。こうした農地では改めて暗渠の埋設工事が必要である。また公共の除染工事では空間線量率を短期間で低下させることを優先したために水田の畦畔は除染されなかった。

(3)土壌肥沃度の低下

土づくりは農業の基本である。福島県には会津農書(1684年)に基づく堆肥づくりを実践するなど、伝統的な現場知を持つ農家も多い。しかし、浜通り地域の農地では除染工事により表土の栄養分(肥沃度)が失われた。この肥沃度を化学肥料で回復するには限界がある。農業再開のためには、有機栽培に対する消費者の関心の高さを考慮しながら、地域内で発生する家畜糞尿と稲わらによる堆肥による長期的な土づくりを続ける必要がある。

(4)コミュニティの崩壊

原発事故前には農業用排水路の泥上げ作業や畦畔の草刈り作業など、農業基盤を含む農村地域の環境は集落単位の共同活動により保全管理されてきた。しかし、原発事故で避難生活が続き、避難指示解除後も戻らない農家がいるために、何世代にもわたって形成された農村コミュニティが崩壊してしまった。近所にともに頑張る仲間がいることは農業復興には不可欠である。農業の担い手の問題も含めて農業基盤の維持管理と農村コミュニティの維持をどのように再構築すべきか頭の痛い問題である。

8. 農業の再生に向けて

土壌物理学者としての私の仕事は除染法の開発で終わったといえる。しかし農家の人と付き合うなかで、「農業をどう再生すればいいのか」と相談されると、農学部教授として「知りません」とはとても言えない。そこで、いまも農家さんと一緒に考えて解決策を模索している。

農業再生は、飯舘村だけの問題ではない。耕作放棄地や担い手不足など、今の日本の農業には、さまざまな課題が山積している。つまり、飯館村で顕在化している農業課題は、日本農業の課題そのものでもある。飯館村で実践できる農業こそがこれからの日本の農業モデルになるのではないか、そのためにも魅力ある新しい農業にチャレンジすることが重要だと私は思っている。

(1)埋設土壌の放射線モニタリング

多くの人は、除染土を直接地中に埋めると、放射性セシウムが地下水に漏れるのでないかと心配した。そこで、私はそれが杞憂であること示すために、YouTubeで簡単な実験を公開している★17。また、私は2015~20年の6年間、除染土を埋めた田んぼの土壌中の放射線量を測り続けている★20 [fig.12]。その結果、セシウムは土中でほとんど移動しないことや放射線量が年々減少していることがわった。しかもその減少速度は半減期の理論式にぴたりと一致する[fig.13]。


fig.12──除染土を埋めた田んぼ土壌中の放射線量




fig.13──土壌中の最大放射線量の時間変化


(2)ICT農業の実践★21

農地のど真ん中にフィールドWiFiカメラを設置して現地を見える化し、IoTセンシング技術などで現地データを見える化する「ICTを使った営農管理システム」の開発に挑戦している。たとえば、原発事故前に有名だった飯舘村の和牛の健康状態をチェックするシステムや、iPadでカメラを見ながら水田の水管理を遠隔操作できるシステムの開発に取り組んでいる。

(3)酒米の栽培と日本酒造り

原発事故から1年後の2012年6月に、私たちは自分たちで除染した田んぼに田植えして、実際に米を収穫し、それを玄米、精米した白米、精米の際に出る糠(ぬか)に分けて、それぞれの放射性セシウム濃度を測定した★22。その結果、ほとんどのセシウムは糠に溜まっていて白米はほとんど問題ないことがわかった。私は2013年2月にこのデータを見た瞬間、「あ、そうか! これならお酒を造ることができる」と閃いた。

そこで、数年間の試験栽培と試験醸造を経て2018年に「不死鳥の如く★23」という純米酒を作り始めた。ちなみに、この名前は、東京六大学野球で東大のランナーが2塁まで行くたびに神宮球場に鳴り響く応援曲名である。
自分たちで除染した水田で酒米を育てて、日本酒までつくったという物語は外国人にすごくウケが良い。2018年5月にはアメリカの土壌センサー会社の友人がドイツとの連合チームを編成して飯舘村にきて、農家にインタビューしたり写真を撮ったりして「Made in Fukushima」という本★24を出版した。そして、その本が2019年のカンヌライオンズという世界広告祭で最終審査まで残ったので、私も一週間の休暇をとってカンヌに行ってレッドカーペットの上を歩いてきた。その本に日本語訳★25も3月に出版される。

(4)次世代の教育

私は2012年から飯舘村関係の講義★26を行ってきた。大学院講義ではグループ学習を取り入れ、毎年数人のグループを飯舘村に連れて行き、自分たちで見聞きしたことについての報告書を作らせている。2015年と2016年のグループは2学年合同で、自分たちの提案を実現するために、飯舘村の花好きの農家の土地に飯舘村の形をした花壇を作った。裏山に登ると季節ごとに異なる色の飯舘村の形を楽しむことができる。また、学部の講義でも飯舘村の話をした後に、「自分たちにできる被災地の復興について」というテーマでレポート課題を出し、これらのレポートを全てホームページに公開している。さらには全国の学生たちを現地に連れて行き、現地見学会やワークショップなどを行う「までい大学」★27を開講している。
私がこうした教育活動を続ける理由は、農学では座学だけでなく、現地に行き、農家の方々といろいろな話をして、その中から、解決すべき問題を定義して取り組むことこそが重要だと考えているからである。東大の駒場キャンパスには農業と地域おこしをテーマにした農業サークル「東大むら塾」★28がある。私が顧問をしている。2019年には、むら塾メンバーが飯舘村の畑に蕎麦の種をまいて育て、実を収穫し、粉を挽いて、手打ち蕎麦を作り、農業再生の喜びを飯舘村農業員会の方々と共有した。こうした都会の若者と飯舘村民とのコミュニケーションから農業再生のヒントが生まれることを期待している。

(5)土壌博物館──原発事故の遺跡

放射性セシウム137の半減期は30年である。原発被災地では長い期間にわたって放射能問題と付き合わなければならない。そのために、次の世代の子どもたちに正しい知識を伝え、育てていくことが大切である。そこで、私はマンガと解説で構成された『ドロえもん博士のワクワク教室──「土ってふしぎ!?」』★14という本を出版した。また、農地除染と農業再生の過程を学んでもらうために、地権者の農家さんにお願いして和牛の放牧水田に掘った穴を土壌博物館★29 [fig.14]として残してもらった。ここでは除染直後の客土層とその下にある元の土層をいつでも観察できる。また、夏には飯舘村の農業再生を象徴する和牛が土壌博物館の周りを散歩しているのを見学することもできる。


fig.14──土壌博物館と和牛の散歩


9. おわりに

私が地球レベルで土を意識したのは1997年夏にシベリアのツンドラ調査★30に行った時である。百年オーダーの時間をかけて育った分厚い未踏の苔をはがし、永久凍土が出てくるまで穴を掘ったときに見た灰色の土。土壌学的には、ツンドラ湿地帯でいつも水に浸かっているため酸素不足に陥りグライ化していた。そこに苔が生えているのである。この苔の栄養は一体どこから来てるんだろうと不思議に思った。誰も住んでいないこんな寒い所で土が命を育んでいる。

土とは一体何だろうか? 火星には岩石が風化したレゴリスと呼ばれる土らしきものがある。火星探査機が地表面をガリガリ削ると凍土に混じって現れる白い氷は、低温・低大気圧の環境下で昇華して数日で消えてしまうらしい★31。火星と地球で何が違うのだろうか? それは地球上の土には微生物が分解した植物や動物の死骸が有機物として含まれ、その栄養素が生態系のなかで循環していることである。つまり、地球上にわれわれ人間と一緒に存在する土は、火星にあるような岩石の単なる風化物ではなく、有機物を含んでいることが最大の特徴である。

生環境構築史的にみれば福島原発事故は、人間によって解放された原子力によって人間とともに生きてきた肥沃な土を汚染し、その土を「除染」という名目で人間自らが除去した人類初の行為だったといえる。10年は地球の歴史46億年のなかでは一瞬である。しかし、その10年は原発被災地の人間にとっては長い苦悩の連続だった。そのことを私たちは深く記録に残しておかなければならない。

しかし、いつまでも下を向いていても仕方がない。人類の叡智を結集して失われた土を再生し、前向きなチャレンジ精神で生環境を再構築(復興)していくことが必要である。


文献
★1── https://ja.wikipedia.org/wiki/横井時敬(2021年2月11日閲覧)
★2──拙論「自分の農地を自身で除染したい百姓魂」(『原発事故後、いかに行動したか──専門家と被災者の軌跡』東京大学医学部付属病院、2015、45〜61頁) http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/media/150831mizo.pdf (2021年2月11日閲覧)
★3──拙論「飯舘村に通いつづけて約8年──土壌物理学者による地域復興と農業再生」(『コロンブス』5月号、東方通信社、2019、76〜79頁)http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/fsoil/columbus1905.pdf(2021年2月11日閲覧)
★4──農林水産省「農地除染対策の技術書」(2019)https://www.maff.go.jp/j/nousin/seko/josen/(2021年2月11日閲覧)
★5──ふくしま再生の会「仮仮置き場の現実」https://www.facebook.com/watch/?v=1054291244592879(2021年2月11日閲覧)
★6──拙論「飯舘村における村学民協働による農地除染と農業再生の試み」(『水土の知』84(6)、2016、5〜9頁)http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/paper/84-6-03.pdf (2021年2月11日閲覧)
★7──「ふくしま再生の会」http://www.fukushima-saisei.jp(2021年2月11日閲覧)
★8──田尾陽一『飯舘村からの挑戦──自然との共生をめざして』(ちくま新書、2020)
★9──福島復興農業工学会議「農地除染から農業再生に取り組む──「農業工学」の研究を活かした現実的な除染技術開発への道」http://wayback.archive-it.org/2438/20140617214340/http://utf.u-tokyo.ac.jp/2013/07/post-43c5.html、https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400009522.pdf(2021年2月11日閲覧)
★10──「東京大学農学生命科学研究科復興支援プロジェクト」https://www.a.u-tokyo.ac.jp/rpjt/(2021年2月11日閲覧)
★11──山口紀子+高田裕介+林健太郎+石川覚+倉俣正人+吉川省子+坂口敦+朝田景+和穎朗太+牧野知之+赤羽幾子+平舘俊太郎「土壌─植物系における放射性セシウムの挙動とその変動要因」(農環研報、31、 2012、75〜129頁)
★12──中尾淳「セシウムの土壌吸着と固定」(『学術の動向』17巻10号、2012)
★13──拙論「セシウム汚染緩和に泥の性質を生かせ──飯舘村で考える」(『季刊地域』7、2011、87〜89頁)
★14──拙著『ドロえもん博士のワクワク教室──「土ってふしぎ!?」』(東方通社、2019) http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/jst_sc/3lang.pdf(2021年2月11日閲覧)
★15──拙論「農地除染の新たな試み」(『学術の動向』17巻10号、2012、52〜56頁)
★16──八幡敏雄「濾過機能に関連する事項」(『土壌の物理』東京大学出版会(第3刷)、1980、142〜156頁)
★17──拙画「砂による泥水の濾過」(2012)http://youtu.be/63rWkMGYyYA(2021年2月11日閲覧)
★18──宮﨑毅「土によるセシウム放射線の減衰効果、東日本大震災からの農林水産業の復興に向けて──被害の認識と理解、復興へのテクニカル リコメンデーション」(日本農学会、21、2012)http://www.ajass.jp/pdf/recom2012.1.13.pdf(2021年2月11日閲覧)
★19──拙論「原発事故で失われた土壌の再生に向けて──除染後農地の問題と復興農学」(『復興農学会誌』1、2021、28〜34頁)http://fukkou-nougaku.com/wp-content/uploads/2021/01/JRAS_Vol-1_No-1.pdf(2021年2月11日閲覧)
★20──拙論「たかが1点、されど1点のデータ──放射性セシウムを含む埋設土壌放射線の長期モニタリング」(『農業農村工学会講演要旨集』2020、241〜242頁)http://soil.en.a.u-tokyo.ac.jp/jsidre/search/PDFs/20/[3-16].pdf(2021年2月11日閲覧)
★21──拙論「ICT営農管理システムの開発」http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/meti/object.html(2021年2月11日閲覧)
★22──伊井一夫+田野井慶太朗+宇野義雄+登達也+廣瀬農+小林奈通子+二瓶直登+小川唯史+田尾陽一+菅野宗夫+西脇淳子+溝口勝「飯舘村除染圃場で試験栽培した水稲の放射性セシウム濃度」(『RADIOISOTOPES64(5)』2015、299〜310頁)
★23──拙論「不死鳥の如くが誕生」(2018) http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/saisei/likeaphoenix.pdf(2021年2月11日閲覧)
★24──METER Group, Inc. “Made in Fukushima”, METER Group, Inc., USA, 2019.
★25──拙著『メイドインふくしま』(東方通社、2021)
★26──拙論「飯舘村関連の講義」http://www.iai.ga.a.u-tokyo.ac.jp/mizo/edrp/fukushima/Iitate-lec14.html(2021年2月11日閲覧)
★27──「までい大学(飯舘村における農業再生と風評被害払拭のための教育研究プログラム)」http://madeiuniv.jp/(2021年2月11日閲覧)
★28──「東大むら塾」https://todai-murajuku.com/(2021年2月11日閲覧)
★29──「土壌博物館」http://madeiuniv.jp/(2021年2月11日閲覧)
★30──拙論「ツンドラ土壌調査報告」(写真集、1997)http://soil.en.a.u-tokyo.ac.jp/~mizo/photo/siberia97/tundra/tundra.html(2021年2月11日閲覧)
★31──NASA, “Dodo-Goldilocks”, Trench Dug by Phoenix, 2008. https://www.jpl.nasa.gov/images/dodo-goldilocks-trench-dug-by-phoenix(2021年2月11日閲覧)



みぞぐち・まさる
1960年生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科教授。国際情報農学、土壌環境計測学、農業 ICT/IoT。主な著書=『メイドインふくしま』(訳編著、東方通信社、2021)、『ドロえもん博士のワクワク教室──「土ってふしぎ!?」』(東方通社、2019)、『放射能除染の土壌科学──森・田・畑から家庭菜園まで』(日本学術協力財団、2013)など。



序論:生環境構築史からみる土
Introduction: Soil from the Perspective of Habitat Building History
/序論:土壤──由生環境構築史的觀點
藤井一至/Kazumichi Fujii
巻頭チャット:文明、内臓、庭
Opening chat: Civilization, Gut and Garden
/卷頭聊聊:文明、腸道、庭院
アン・ビクレー+デイビッド・モントゴメリー/Anne Biklé + David Montgomery
福島の地質と生環境──岩に刻まれた祈りの世界
Geology and the Human Habitat of Fukushima: Prayer Carved into Rocks
/福島的地質和生環境 ― 刻印在岩石的祈禱世界
蟹澤聰史/Satoshi Kanisawa
福島原発事故──土からみた10年
Fukushima Nuclear Accident: Ten Years seen from the Soil
/福島核災 ― 由土壤看這十年
溝口勝/Masaru Mizoguchi
放射能災害のなかで動く「土」──土の除却と再利用をめぐって、飯舘村長に聞く
Soil in the midst of a radioactive disaster: An interview with the mayor of Iitate Village of Fukushima on the removal and reuse of soil
/核災中的〈土〉 ― 飯館村村長談土壤清除和再利用問題
杉岡誠/Makoto Sugioka
土なし農業のゆくえ
Consequence of Soilless Gardening
/無土農業的未來
小塩海平/Kaihei Koshio
大地を多重化する──エネルギーシフトと台湾の風景
Multiplexing the Land: Energy Shift and Taiwan’s Landscape
/土地的多元化使用:能源轉型和台灣的地景
洪申翰/Sheng-Han Hong
土の思想をめぐる考察──脱農本主義的なエコロジーのために
On the Idea of Soil: Towards a De-Agrarian Ecology
/土壤思想的論考──去農本主義的生態論
藤原辰史/Tatsushi Fujihara

協賛/SUPPORT サントリー文化財団(2020年度)、一般財団法人窓研究所 WINDOW RESEARCH INSTITUTE(2019〜2021年度)、公益財団法人ユニオン造形財団(2022年度〜)