生環境構築史

第2号  特集:土政治──10年後の福島から Soil Politics: From Fukushima 10 Years After 土政治──從十年後的福島說起

大地を多重化する──エネルギーシフトと台湾の風景

洪申翰【台湾 立法委員, 行政院能源及減碳辦公室委員】

Multiplexing the Land: Energy Shift and Taiwan’s LandscapeSheng-Han Hong【Member of Legislative Yuan, Taiwan / member of Office of Energy and Carbon Reduction】

土地的多元化使用:能源轉型和台灣的地景

チェルノブイリを契機に火のついた台湾の反原発運動は、2000年以降の政治環境と経済危機のもとでの低迷をへて、2011年3月の福島第一原発事故災害を受けて再燃した。その後は脱原発とエネルギー・シフトが急ピッチで進められている。こうしたプロセスの渦中を走ってこられた洪申翰氏に、立法院(国会)の混乱のなかオンライン・インタビューに応じていただいた。事前にお伝えしておいた3つの主な質問は、第1に台湾における原子力発電の歴史、第2に脱原発をふまえたエネルギーシフトの概要、第3に国土利用の新しい様式、である。コンパクトな台湾の国土と経済、ローカルな共同体と風景がエネルギーシフトの観点から再評価され、再設計されていくダイナミズムには学ぶべきところが多い。反原発運動に詳しい陳威志氏(Tan Uichi、一橋大学博士課程)にも同席いただいた。(聞き手:青井哲人・松田法子・藤井一至/通訳・翻訳:張亭菲)

The anti-nuclear movement in Taiwan, which was ignited by Chernobyl, has been rekindled after the Fukushima Daiichi nuclear power plant disaster in March 2011, following a slump in the political environment and economic crisis since 2000. Since then, nuclear phase-out and energy shift has been proceeding at a rapid pace. In the midst of the turmoil in the Legislative Yuan (Parliament), we had a pleasure of making an online interview with Mr. Hong Sheng-han, who has been in the middle of this process. The three main questions we asked him in advance were: first, the history of nuclear power in Taiwan; second, an overview of the energy shift in light of the country‘s nuclear phase-out; and third, new modes of land use. There is much to be learned from the dynamism in which Taiwan’s compact land and economy, local communities and landscape will be reexamined and redesigned from the perspective of energy shift. Mr. Tan Uichi from Hitotsubashi University, who is an expert on the anti-nuclear movement, also attended the meeting. (interviewer: Akihito Aoi, Noriko Matsuda, Kazumichi Fujii / Translated by Chang Ting-Fei)

日文記事的下方有中文版

冷戦と対米関係のなかで原発が導入される

洪申翰──台湾では、1960年代から原発導入の関連計画が動き出し、1978年に最初の原発が竣工しています。これは戦後台湾の経済発展を大きな背景としています。台湾は農業社会から急速に都市化を遂げ、「加工出口園区」(輸出加工区)の設置など産業構造の再編を推し進めました。最初は紡績関連の加工輸出が多かったのですが、工業発展の推進によって電力施設の需要が高まった。

政治環境としては、当時の台湾が戒厳令下にあったことにも触れておく必要があります。つまり原発事業の推進は権威主義的な体制のもとで進んだわけです。同時に外からの強い影響力が働きました。米国政府の支援と圧力です。原発の施設や機器が台湾に導入されるにあたっては、台湾電力公司という国営企業と中華民国政府との関係だけでなく、中華民国と米国の政府間に何らかの了解がなければならなかったわけですね。こうした高度に政治的な関係のもとで、第一原子発電所(以下「核一」)、第二原子発電所(以下「核二」)、第三原子発電所(以下「核三」)が次々に完成し、それぞれ2機ずつ、合わせて原子炉6つの体制ができます★1。

この3つの原発の建設について、市民の抵抗はありませんでした。戒厳令下ですからね。多少なりとも抵抗があったとすれば原発が立地する土地所有者が用地徴収を承諾するかどうかという問題程度だったでしょう。原発技術そのものに対する疑問もほとんど発せられていません。

80年代に入り、核四の計画が始まります。もちろん、これも台米関係の高度に政治的な関係のもとにありました。蒋介石一族とアメリカ政府の関係は悪化と改善を行ったり来たりしていましたから、蒋一族が事業を棚上げにするなどの駆け引きもありました。核四は単なる電力需要のための施設というより、外交や国防の材料だったのです。


2021年1月4日 zoomにて(上が洪申翰氏)

反原発の黎明

こうしたなか1986年に重大な事件が起きました。チェルノブイリ原子力発電所事故です。これが西洋諸国で反原発の波を引き起こした。当時は欧米に留学する台湾人が急増していて、彼らが学位を取得して帰国し、教職についた。彼らが反原発の意識を台湾に浸透させる役割を果たしたわけですね。折しもこれが台湾の政治体制の変化とも重なります。チェルノブイリの翌1987年に蒋経国が戒厳令を解除し、さらに翌88年に逝去すると総統は李登輝に引き継がれる。大きくいえばこれも米国の圧力があって、蒋経国時代から変化は進みはじめていました。こうした表舞台の変化の背後でも、下からのさまざまなエネルギーを蓄えて爆発した社会運動のうねりが、政治的な改革を求めていました。このことが重要なのは、それら民主化運動が反原発運動と深いレベルで重なり合う関係にあったからです。いや、1980年代後期の反原発運動は政治的民主化運動そのものだったと言ってもよい。もちろん国民党は原発擁護ないし推進の立場で、一方、現在の民進党を含む当時「党外」と呼ばれた諸団体は基本的に反原発であったと言えます。1989年に政党結成が解禁されるまで、国民党以外の政治団体はみな「党外」と呼ばれたのですが、その党外こそが反原発の勢力となる構図は明瞭でした。これが反原発という意識の勃興期です。

90年代の台湾政治は李登輝の時代でした。李は国民党の党首であり、中華民国の総統でもあります。日本からは李登輝は民主化のリーダーに見えるでしょうが、当時は李登輝こそ反原発団体が対抗すべき象徴的ターゲットだったのです。この構図の下、90年代の反原発運動は、市民社会、環境保護団体と民進党が、「核四」の予算化から基礎工事の発注、着工準備へといたる過程で次々に対抗するかたちになりました。

ところでこの時期の民進党は、「地方が中央を包囲する」をスローガンとしていました。地方の首長の座を獲得しはじめ、そこから中央を狙っていく構えをとっていたのです。国会の議席数はまだ国民党とは比べるまでもないほど少なかったわけですが、徐々に増えてはいたのです。こうしたなかで、1994年に陳水扁が首都の台北市長を勝ち取ります。これは非常に大きな出来事でした。4年後の再選は果たせませんでしたが、2000年の総統選で勝利した。台湾史初の政権交代です。本当に地方から中央を取ったわけで、これが90年代の政治展開のスピードでありリズムだったのです。

挫折

1999年に着工した核四は、2000年時点ではまだ工事の初期段階でした。もちろん陳水扁は反原発で、工事停止を選挙公約としていましたから、反原発団体や核四建設地の住民の要求もあり、実際10月に工事停止を宣告します。かつては政府機構をはじめあらゆる行政システムとその施策、利害関係、メディアまでが国民党のいわゆる「党国体制」下のイデオロギーに染められていましたから、これはその巨大な体制との衝突を意味します。メディアは核四建設を止めれば「経済発展に支障が出る」「株が暴落する」などと騒ぎ立て、社会全体に不穏なムードをつくります。これが反原発団体にも重い圧力としてのしかかる。折しも2000年前後のアジア金融危機に襲われたという事情もあります。情報産業のバブル崩壊も含めて、あらゆる経済的な不安が、すべて核四工事停止に結び付けられ、その連鎖的波及として語られた。思い返せば本当に大きく苛しい嵐が吹き荒れ、民進党は妥協を余儀なくされます。総統は取っても国会は少数派でしたからね。核四の工事を進めるとの決議案が可決され、停止からわずか3~4カ月で工事は再開される。

深刻だったのは、この転換のために、民進党と環境保護団体の一体感に亀裂が入ってしまったことです。反原発団体は、「民進党は裏切った」と声を荒げました。正確には「反核四を諦めた」と言うべきでしょうが、以後台湾の反核運動はひどい低迷に陥ります。さらに、2000年以降は「地球温暖化の抑止」が原発の正当性を証明するかのように使われました。今でも「CO2を削減するために原発を使おう」と叫ばれることが多い。私が反原発運動にかかわりはじめたのはこの頃です。

2000年から2008年まで、陳水扁が2期にわたる任期を終えると、国民党の馬英九が総統になりました。彼は熱心な原発支持者で、核四を完成させるだけでなく、核一~三についても決められていた稼働期間を延ばす(引退を遅らせる)ことを考え始めた。核四の計画は問題をたくさん抱えていました。ほかの原発と違って、全体計画と建物本体はアメリカGE社製、原子炉は日立・東芝製という日米技術の複合体で、台湾電力株式会社(以下「台電」)にはそれを調整・管理する能力はなかったからです。進むにつれて工事の瑕疵が相次いで明らかになり、累積していきました。当初は2010年前後に試運転を予定していたのですが、工事は遅れに遅れました。


台湾龍門發電廠(第四核能發電廠)
施設はほぼできあがっているが、原発としては未完成。 ©GoogleEarth

反核からエネルギーシフトへ

そうした折、2011年3月に福島原発事故が起きたのです。これで核四反対が再燃しました。工事に問題のある核四が地震や津波に襲われたらどうなるのか。安全性の懸念が大きくなり、さすがの馬英九も核一〜三の使用期間延長を言い続けるのをやめます。以後、反原発運動は盛り上がり、2013年頃に最高潮に至ります。つまり馬政権の最後の2~3年の時期でした。馬総統の支持率は落ち込み、くすぶっていた政治問題が一気に噴出します。反原発団体の圧力も強まり、2014年4月に馬は当面核四の工事を封印(凍結)するという決断に追い込まれました。その時おそらく、国民党政権は次の選挙に勝てないことを予感したでしょう。実際、党の支持率は非常に低かった。国民の多くは2016年の選挙は民進党政府と蔡英文が勝つだろうと思いました。2000年当時は「反原発を放棄した」と批判された民進党が、福島の事故後は再び反原発の推進者の位置に戻れた。2014年の核四計画封印後、国民も民進党が「非核家園」(No nuclear homeland)をエネルギー政策の目標にするだろうと思いました。しかし「非核家園」を単なるスローガンにしないこと、むしろいかにエネルギーシフトの改革を実現するかが鍵になると私たちは考えました。

実際、2014~15年頃には、話題は「反核」から「能量過渡」(エネルギーシフト、Engery transition)に移りました。核四の工事は凍結されているが、3つの老朽化した原発がある。最も新しい核三の2号機は1985年に運転を開始したので、2025年には使用年限を迎えることになりますが、その前に現在稼働中の3原発は次々と年限に達するのです。したがって、2025年をひとつの目標として、エネルギーシフトの段階的な成果を上げていかなければならない。その鍵を握るのは再生エネルギー政策です。

2025年までに台湾の脱原発を完了させるとの公約を掲げた蔡英文が総統に就任したのが2016年5月です。エネルギーシフトの基本的な考え方としては、グリーンエネルギーを増やし、石炭を減らすこと、過渡期においては石炭を減らしてLNGに置き換えていくこと、です。2025年時点の達成目標は、再生エネルギーを20%にすること。LNGを50%まで増やし、石炭を30%に抑えることです。自然エネルギー関連の産業整備は着々と進んでいます。

以上、反原発運動から再生エネルギーまで、およその流れをお話しました★2。

反原発・脱原発の条件

青井哲人──ありがとうございました。いくつか質問があります。まず、原発は経済産業政策にかかわるので、その推進・反対が政治的な左右の構図と重なるのはどの国にも見られることでしょうが、台湾の場合はそれが独裁からの民主化運動と連動して勢いをもった。加えて、チェルノブイリと福島という2つの原発事故が推進力を与えた、ということですね。ただ、その背景にはひとりひとりの命や健康の危機ということだけでなく、台湾の大地、環境を、自分たちのものと捉えるような意識の転換もあったのですよね。

洪──そうですね。80年代の党外民主化運動は、いわゆる本土化の思潮を含んでいます。国民党にとっては中国に還ることが重要なイデオロギーですし、台湾はあくまでも中国全体の辺境にすぎない。そういう地図を台湾の人々に押し付けてきた。それに対して、台湾には台湾の独自の文化、社会、経済があるとの立場から、台湾をひとつの国民として主体化しようとすることを「本土化」と言います。その土台には、台湾の各地方の郷土愛、いわゆる地方主義(地域主義)の思潮の盛り上がりがありました。

青井──その台湾の国土は、農林業的にはきわめて豊かですが、現代のエネルギー需要からみればけっして恵まれていません。実際、石炭依存率が高く、原料は輸入に頼っている。こうしたなかで脱炭素を目指そうとすれば原発には期待が集まりやすいのではないでしょうか。

洪──たしかに台湾は自給率が低く、化石燃料はまったくない。そして原発は2014年時点で全エネルギーの15%を占めており、たしかに小さくない割合を占めていました。しかし再生エネルギーならば台湾も自給できるはずです。

松田法子──原発停止後の廃炉にともなう副廃棄物は大きな課題になりますね。その貯蔵についてはどう考えられているのでしょうか。蘭嶼島に低レベルの廃棄物の貯蔵所がありますが、住民の反対で運び込めなくなっているという話を読んだことがあります。また高レベルの廃棄物はどうしているのか、そして廃炉後はそれらをどこにどう処理するのでしょうか。

洪──正直なところ最適の方法は見つかりません。選択肢はあるがどれも理想的ではない。廃棄物が消えてなくなることはありませんから、A地点に置けばAの住民が抗議し、B地点に移せばBの住民が抗議する。根本的な解決策は見つかりません。

松田──つまり現状では、廃棄物は各原発の敷地中にしか保管できないですね。

洪──ほとんどは現地貯蔵です。ごく一部分を蘭嶼に運んできましたが、低レベルの核廃棄物に限られており、しかも1996年以降はおっしゃるように蘭嶼に運ばなくなったので、以後はレベルを問わず発電所の敷地内に貯蔵されているわけです。

松田──蘭嶼はタオ族の島ですね。貯蔵施設の建設が開始されたのはまだ戒厳令時代で、これも住民調整もなく決定されたと考えてよいですか。

洪──もちろん。住民の同意など当時はありえません。いずれにせよ原発廃棄物はまだ答えのない問題です。

青井──台湾の集落を調べていて、かつて所得の低い漁村が工業製品等のゴミを集め、それを焼いて取り出した金属を売る商売をしていたことを知りました。それが貧しい漁村の経済を補完していたわけです。原発の立地、その廃棄物保管場の立地などにも似た構図がありそうですね。核一から核四の立地選定はどのように行われてきたのでしょうか?

洪──第一に人口密集地は避けられますね。第二に大量の水を使うので海辺が選ばれる、第三に地質の条件が加えられることもありました。地質上問題がないと判断された場所に、稼働後に断層が確認されるなどということもありました。

威志──立地選定については米国の協力もありました。全国で十数カ所の候補地を立て、立地調査を行ってから敷地を絞り込んでいくプロセスを米国の専門家が支援したのです。台湾電力が刊行した『台灣核能史話』や『台灣電力發展史』★4にそのことが書かれています。地元住民の同意についても、原発の立地選定手続きでは地元の同意は不要とされていた、とあります。

青井──核四は「龍門原発」とも呼ばれ、その建設地は台湾北部、現・新北市貢寮区鹽寮ですが、あれはどのような場所ですか?

威志──貢寮は最初は核一の予定地として理想的な候補とされていたのですが、村長たちの反対があったとされています。いわゆる住民反対運動のようなものではありませんが、現地でのインタビュー調査によると、「原発」が「原爆」を連想させ、「危ない」「恐ろしい」ということで、それを1968年に台湾電力に表明。比較的歓迎の姿勢を示した金山(現・新北市石門区)を、台湾電力は核一の建設地に選んだのです。

再生エネルギーと台湾の大地

青井──いくつかの国のエネルギーシェアをみてみましょう。発電量全体に対して、石炭・石油・LNG等の化石燃料による火力発電の割合は、2019年にドイツは40%で、これを自然エネルギー(46%)が上回ったことがニュースになりました。同年のデータで、日本は化石燃料が75%、台湾は81%、中国は69%となっています。もちろん、各国は火力発電のなかでも比較的効率がよくCO2排出も少ないLNGの割合を高めつつあります。たとえばドイツは発電量全体比でLNG が13%程度、日本は36%、台湾も33%まで増やしている。他方、再生エネルギーは、日本19%、台湾7%、中国26%。原発は、ドイツは12%(22年に0の計画)、台湾は11~12%(2025年に0の計画)、中国4~5%ですね。日本は2010年時点では25%でしたが2019年は6.5%です。当然、現在の保守系政府はそれを異常な状態とみていて、早く「正常化」したいわけですが。

さて、ドイツが自然エネルギーを伸ばしているのはバイオマスと風力の貢献が大きい。日本の19%の主力は水力と太陽光ですが、原発も含めて全体的に電力源を分散させようとしています。逆にかなり単純なのが中国で、化石系の石炭と、自然系の水力が他を圧倒している(LNGは3%ほどにすぎない)。水力が強いのは長江流域の存在感が大きそうです。つまりこうした数字はそれぞれの国土の特徴を反映しています。近代産業は一様に化石燃料を必要とし、化石資源が多くて安いところから少ないあるいはないところへと輸送することが不可欠でした。これに対して、自然エネルギーへの転換は、国土の特徴を反映して発電が多様化するということかもしれません。生環境構築史の用語でいえば、構築0と構築3とがあらためて出会うということです。

この視点から見たとき、台湾の特徴はどのように捉えられますか?


台湾のエネルギー構成(2019年の発電量構成比)
データ出典=『中華民国108年能源統計手冊』

洪──台湾の国土の特徴から一番期待できるのは、洋上風力です。過去には洋上風力発電の経験はありませんが、台湾海峡は風力発電にはとてもよい風が吹きますからね。あとは太陽光ですが、これは特に台湾に特徴的というものではありません。地熱もやっていますが、進捗していません。

青井──自然エネルギーを考えると、やはりそれを通して国土の特徴が浮かび上がりますね。

松田──台湾の燃料別発電量のうち、自然あるいは再生エネルギーが占める5.6%の内訳をみると、発電量は水力36%、太陽光26%、風力12%などとありますが、バイオマスが1%程度にすぎないのに対して廃棄物を燃料とする発電が24%とかなり大きい。そしてゴミは完全に自給的ともいえますね。その効率を上げていくことは考えられないでしょうか。

洪──伸びはあまり期待できないようです。

松田──やはり太陽光と洋上風力に可能性があると。しかしこれらは天候に左右されますよね。

洪──はい、たしかに間歇性の問題は無視できません。また、送電網や蓄電設備の整備も重要です。

松田──そうですね。いずれにせよ再生エネルギーは安定供給に課題があります。

洪──現在再生エネルギーは全体の6~7%程度で、現実には間歇性はそれほど大きな問題ではないと思っています。台湾はLNGの割合を高めており、自然エネルギーの割合を増やしていくなかでその不安定な変動をLNGで補うことができますからね。

松田──やはり基本的にはLNGを効率よく燃やしながら、再生エネルギーを増やしていく戦略なのですね。

洪──はい。ただLNGを恒常的に大量に燃やす考えではありません。約10年~15年はLNGを増やして石炭からLNGに置き換えていきたいと考えています。それで石炭を減らす。次に2030ないし2035年以後にはLNGの量も減らしていきたい。

青井──もう少し具体的にお聞きしたいのですが、自然再生エネルギーを増やしていくために、どういう政策を組み立てているのでしょうか。

洪──洋上風力は現段階では再生系の12%程度、つまり全体では1%にも満たないのですが、2025年までに10%程度まで増やせるでしょう。2025年までは5.7GWになりますが、現在の政府の計画では2025~2035年の間、毎年さらに1GWずつ増やして、合計10GW増やせるとしていますが、私はもっと増やせると思っています。将来的に、おそらく2040年頃には洋上風力が全体の30~40%を占めるポテンシャルさえあると考えている。

漁電共生

洪──太陽光発電は屋根型と地面型の二種類に分けて考えます。2025年までに屋根型は6GWにする計画です。最近ではこれをもっと増やせないかと議論しています。地面型は14GWが目標です。この目標のために、この1~2年最も積極的に進めいているのは「漁電共生」です。

青井──漁業と発電の共生、具体的には養殖池の水面に太陽光パネルを浮かべるものものですね。

洪──ええ。もうひとつ、池の堤の上に架設するタイプのものもあります。初期には池底から柱を立てるタイプも試されたのですが、地下水脈の問題などが指摘されました。

青井──なるほど。「漁電共生」は具体的にはどのように推進していくのですか。

洪──行政のエネルギー部門と漁業部門の合同で地方での説明会を開催しています。希望する漁民がいれば、養殖池の水面を40%まで発電に使ってもよい。発電を導入することで、養殖のほかに売電収入も得ることができるようになります。

青井──なぜ面積を制限しているのですか。

洪──もちろん魚たちも太陽が必要だからです(笑)。そのために60%の水面を残すということですね。

松田──言い換えれば、養殖漁業を放棄して発電に乗り換えてしまうということはできない、発電を導入するなら養殖を続けなければならない、ということですね。

洪──そのとおりです。

松田──なるほど、既存の一次産業の維持を支援する政策でもあるということですね。

洪──そうです。

青井──台湾の西部沿岸地域には養殖池が延々と広がっていますね。現在では産業あるいは生業としてやや衰退傾向なのでしょうか。


台南市沿海部の鳥瞰 ©Google Earth

洪──養殖の魚種によりますが、高い利益の出る魚もありますから、すごく儲かる場合もありますよ。

青井──養殖で儲かっていると発電はやらないのでは?

洪──ええ、そうですね。もし養殖の利潤が高いのなら水面をフルに使いたいし、光電収入は視野に入らないでしょうね。

青井──「漁電共生」を推進するためのインセンティブはありますか?

洪──経済政策的な面ではFIT(固定価格買取制度)ですね。現在直面している問題は、いかに漁民たちにエネルギー問題を理解してもらい、光電業者(太陽光発電企業)と話し合う能力をもってもらえるかです。現在はまだ光電業者が漁民に話を持っていくことがはるかに多いのですが、われわれとしては漁民たちの主体性によって太陽光発電と組み合わせた新しい生き方を見つけてもらえるようにならないといけないと思っています。

松田──そういう啓蒙活動・告知活動もやっていますか?

洪──はい、さきほど申し上げた政策説明会を含めて啓蒙活動はもちろんやっています。

松田──買取価額について言うと、日本では東日本大震災の割とすぐ後に太陽光発電の買取価額を結構高く設定しました。その後だんだん下がって来ているのですが、台湾ではどういう推移ですか?

洪──台湾も同じです。当初、一般の電気料金より高い金額を設定していたのですが、だんだん下がっています。

松田──もうひとつ。東日本大震災の前に日本には原発が50基以上あり、事故後は稼働9基となっています。再生エネルギーの割合は増えたけれども電気代は上がっています。政府が固定価格で電力会社に買い取らせている分は、消費者の支払い、つまりは家計に上乗せされている。世帯平均で月700円ほど電気代が上がっているのですが、これは再生可能エネルギーの買取分が賦課金として各世帯の負担になっているわけです。台湾では再生可能エネルギーにシフトしていく過程で電気代も上がっていく見込みですか。

洪──台湾の再生エネルギーの費用も、結局はエンド・ユーザーに上乗せされますが、現在はまだ上がっていません。そもそも台湾の再生エネルギーの本格的な増加はこの2年ぐらいのことです、しかもこの2年間ちょうど国際原油と石化燃料の価格が暴落しました。たしかに再生エネルギーのため支出が増えたわけですが、国際原油価格が暴落して、石化燃料取得費用も減少したため、全体的にみると電気代はさほど変わらなかったということです。もちろん、今後再生エネルギーを増やしていけば電気代は上がる。ある程度までいくと止まり、その後下がって、安定するだろうと考えています。

松田──風や太陽は自給的ですが、太陽光発電のパネルや洋上発電の風車はどうでしょうか。太陽光パネルそのものについては、台湾では製造大手の3社が合併し、世界的にも屈指の太陽電池メーカーを誕生させたという報道がありましたね。それでもパネル製造の原料はやはり輸入しなければならない。同様に風車はどうでしょう。

洪──台湾が生産する太陽発電モジュールは、中国の安価のものとはまるで価格競争になりません。ですから太陽光発電産業では定額買取という公的制度が要になると思います。風力発電施設はまだ自力ではつくれません。実際、台湾に着目している外国企業はあって、シモンズなどの会社は台湾で設備の組立工場を作っているところです。とくにヨーロッパの再生エネルギー関連企業は台湾をアジアの重要な洋上発電の基地と見ていますし、この産業の集積をつくろうとする動きもあります。

松田──脱原発にともない、何かエネルギー産業周辺でリーディングカンパニーが生まれるとか、台湾自体がそれをリードするといったことが内発的にも期待されているのでしょうか。逆にそうでないと、自然エネルギーへの転換はリスクを抱えこむことになるかもしれません。

洪──そうですね。再生エネルギーへの転換自体が、台湾のエネルギー的な自律に向かうものだけれど、たしかにエネルギーの生産設備も国内でつくれるに越したことはない。ただ「いま台湾に洋上風力発電用の風車をつくる能力はありますか?」と聞かれたら、私の答えは「ノー」です。発電機の水中基礎の鋼材や鋼鉄部品なら徐々につくれるようになってきましたが、風量発電用風車の羽根はより高度な技術を要するのでまだ時間がかかる。そして重要なのは、理想的な自給に拘ると逆に再生エネルギー推進の速度が削がれてしまうということです。たしかにご質問の主旨は大変重要な示唆を含んでいます。私たちは速度を落とさずに再生エネルギーへとシフトさせながら、同時に国産の関連サプライチェーンを構築していく必要があります。この2つの軸がいかにバランスよく調整して支え合うようにできるかが問題です。

もとより台湾では原子力発電は11%程度しか占めていません。2025年までに原発を廃止し、これを補うことを謳ったのは2025年までのアジェンダです。それ以降のアジェンダは、もう原発廃止のためではなく、気候温暖化、CO2削減といった全体的な目標のなかで石炭発電を減らすことを求めるわけですが、そこで必要とされる代替再生エネルギーの量は原発廃止を補うよりもはるかに多い。それこそが本当の挑戦の始まりです。原発廃止は難しいことではない、なぜなら、台湾の原子力発電の割合はそんなに多くないから。


養殖池の景観に太陽光パネルが埋め込まれていく(嘉義県布袋鎮) 
次の動画も参照。「【光電開發】鹽地生機|我們的島(第1057集 2020-06-01)」



北西部の桃園県は河川に恵まれず、無数の溜池がほぼ等間隔に分布している。ここでも漁電共生の試みが進められている(桃園県)
次の動画も参照。「我們的島 第931集【農電共生系列2】走在漁電共生之前 (2017-11-20)」

我們的島──農電共生

松田──農地の場合も状況は漁電共生と同様ですか?

洪──はい。「農電共生」といって基本は同じですが、ただ現在はまだ実験段階です。

青井──台湾の公共電視の番組「我們的島」はなかなか興味深い事例を豊富に伝えていて、「漁電共生」だけでなく、むしろ「農電共生」を積極的にとりあげているようにも思えましたが、あれは実験段階なのですか?

洪──試験事例を増やしているところで、まだ一般化の段階ではないんです。いまは漁電共生を先行させています。魚は農作物ほど太陽光を必要としないし、実際、養殖漁家が光電をやりたいという希望も多いのです。農電の場合、太陽光を必要とする度合いが低く、なおかつ商品価値のある作物の模索が必要があります。

再生エネルギーは国土、つまり自国の物的環境の活用ですから、その上限は「空間管理の問題」として規定されてくると思います。そういう問題のフレームを立てて考えなければなりません。漁業や農業、あるいは他の用途でも、その土地を再生エネルギー用地に「変更」すると言われると皆さん心配になってしまう。というのは、たとえやってみたいと思っていても、土地の用途を一度変更してしまったら、元に戻すことはそう容易ではないからです。ですから私は、複合利用を推進するのがよいと思っています。養殖池なら養殖を続けよう。太陽光パネルは水面の何割かに浮かべるだけ。農地なら、パネルの下で農業を継続しよう、ということですね。台湾では多くの学校にバスケットボールなど球技用のコートがありますが、雨の日は使用できません。そこで屋根をつくって太陽光パネルを設置すれば、発電は体育や余暇の利用を増やしながら両立できる。また台湾の農地を縫う用水路のネットワークを考えてみてください。幅は数メートルしかなくても延長で見ればたいへんな面積になる。これらの用水路の上に太陽光発電として利用したら、水の蒸発を防ぐこともできます。台湾は雨季以外は水不足に悩むことが多いですからね。用途を変更してしまうのではなく、いろいろな空間の用途や機能的な連関をよく考えながら、新しいエネルギーの効率よい生産のあり方と結合するような、新しい土地利用の様式をいかに見出していくかが大切だと思います。それは新しい種類の環境マネジメントを必要とします。言い換えれば空間機能の再設計と再管理のプロセスです。

青井──台湾は人口密度・産業密度は高く、電力需要は国土面積に対してかなり高いのではないでしょうか。しかし、中国のような圧倒的な規模の水力発電といったことは国土の特性上難しい。そこでむしろセンターをつくらず、国土を分散的に使い、電力の生産も消費も分散的にできるとよいのかもしれません。

洪──ええ。土地の複合利用はエネルギー生産を集中的に行うプラントをつくるという今までの発想とはまったく違う。大事なのは、その土地を利用したり管理したりしている人でないと、その再設計も難しいということです。漁民なら漁民、農民なら農民、学校ならその運営者。そうでない人たちが勝手にリデザインしようとしても、おそらくさまざまな摩擦が生じるでしょう。農地をめぐる水路なんて、大きな影響はないかもしれないけれど、しかし水利組合と農民でなければそこにどう太陽光パネルを設置するのが最適なのかはわからない。いや、彼らならたんにマイナスを減らすだけでなく、もっと大きな可能性、別の可能性の引き出し方に気づくかもしれません。再生エネルギーの将来的な発展の鍵は、エネルギー関連企業よりもむしろ、ひとつひとつの空間を操作している当事者が握っているのかもしれない。そこにどうアクセスするかです。

青井──つまり地域の人たちが主体になって利用と風景を書き換えていくイメージですね。

洪──そうですね。ただ、もう少し正確に言いましょう。もちろん電力部門もエネルギー業者も重要ですが、彼らが提供できるのは設備とサービスであって、彼らはソリューション・プロバイダーにはなれない。漁民や農民たちのローカルな人々の空間管理の知識と、エネルギー部門の企業や専門家たちの知識、その2種類の異なる知識を媒介するような職能像が重要になるということです。

青井──なるほど、それは定義上「建築家」かもしれません。確認ですが、「農電共生」も、農業利用度が低い、あるいは耕作放棄地のようなところをターゲットとして発電量を増やす政策ではない、ということですね。

洪──ええ、農電共生は現に農業をしている土地の上で発電することを意味しています。ただ、複合利用が適切にできる作物の種類を丁寧に見極めていかなければなりません。いま、私のオフィスではエネルギー部門と農業部門をマッチングして、より精緻なケーススタディに入ったところです。

青井──たとえば、高齢化して農業がやや低調になってきた場所で、農業と発電の複合利用で収入が安定するならば今広範に起こっている若者の都市から農村部への移住はもっと増えるかもしれませんね。

洪──それは歓迎すべきことでしょう。ただし前提があります。それは農村の主体性が尊重され、あるいは育まれること。新しい様式を誰が承認するのかという問題はどうしても出てくる。農村自身が可能性のある将来像を描いて進めるのならよいが、ひとりの住民が先走ってしまったとか、エネルギー会社が一方的に押し進めたということになるとむしろ全体にブレーキをかけることになるでしょう。

松田──いま太陽光パネルの下でどんな作物がつくれますか?

洪──いくつか合いそうな野菜があります。たとえば根菜類などは良さそうです。逆にシイタケなどキノコ類はあまりよくない。発電パネルの下に、キノコ栽培用のパックや丸太を置いているだけです。

青井──「我們的島」ではハーブやベビーリーフなどを栽培しているのを見ましたが。

洪──そうですね、ただ調整は必要です。農電でつくれるものに多様性も必要。同じものを大量に生産すると価格が落ちてしまい、やはり政策にブレーキがかかる。もう少し準備が必要。

威志──台湾でいう「農電共生」は、日本の農林水産省もすでに実験を重ねてきています。日本では「営農型太陽光発電」★5 と呼んでいますが、以前から作物と日照条件の実験研究を重ねています。例えば70%必要なら、それが得られるように可動型のパネルにするといったことも。

洪──日本は台湾より進んでいますから、いまも日本の資料をよく読んでいます。ただ、データはあくまでも日本のものだから、台湾に固有の準備が必要ということです。

青井──福島の原発被災地でも発電パネルの下を牧草地とするタイプのものがたくさんつくられています。「漁電」の場合は魚種はあまり配慮しなくてよいのですか?

洪──そうですね、もともと養殖している魚の種類のまま、発電パネルを付け加えるだけです。ただし渡り鳥とか、他の生物のことも含めた生態系のアセスメントが必要です。実際、これまでも環境と生体、環境と社会の評価を行ってきています。台湾の農村は生物多様性ホットスポット(地球規模での生物多様性が高く、かつ人間による破壊の危機に瀕している地域)が多いので、そういう意味でもアセスメントは不可欠です。

青井──生業・経済、生態系、人間社会。総合的な検討が求められますね。

洪──最適なソリューションのパタンをたくさん探し出さないと、みんなに受け入れてもらって推進するということにつながらない。ひとつずつ手探りです。

松田──土地が立体化されて、別の機能や価値を生むというのは魅力的な考え方ですが、パネルが増えれば農村や漁村の郷土の風景が変わっていく、景観が大きく変わっていくことも想像されます。それへの抵抗や反対の声はありますか。

洪──たしかに景観への影響は小さくないし、抵抗感が生じる場合もあります。でも景観の捉え方というのは変わっていくものでもありますね。

松田──もうひとつ確認ですが、林業の土地、山林へのパネル設置も考えていますか。

洪──基本的に傾斜地や林地でのパネル設置は推奨しません。やっている人はいますが、ごく稀です。

青井──災害の問題ですか?

洪──ええ。複合が難しいし、木を伐採してしまうと山の保水力が失われてしまいます。

台湾と日本

青井──日本は原発+カーボンニュートラルという路線です。東日本大震災以後、財界も政府も原発推進は言いづらい状態が続いていましたが、発災10年を控えて菅義偉が内閣を率いることになって、きわめて明瞭に原発稼働の「正常化」を言うようになっています。カーボンニュートラルという問題系のなかで、脱原発どころか、原発はこれから拡大されるでしょう。

洪──台湾にもカーボンニュートラルの議論があり、韓国の文在寅政権は段階的に脱原発を進めると言っているので、互いに勉強し合うようになっています。しかし、カーボンニュートラルの目標達成に原発が必要だとする国と、不要だとする国が両方あり、2つの行き方がある。

青井──日本は福島の事故を受けて原発を止めて沈黙を続けてきたけれど、これから再稼働の流れにある。台湾は、福島を受けて脱原発の路線を進んでいます。そして、自然エネルギーへの転換が具体的に国土や景観を、あるいは経済や共同体をどう再解釈し、デザインし直すことにつながっていきそうか、たいへん興味を惹かれました。そのダイナミズムに今後も注目していきたいと思います。洪さん、陳さん、どうもありがとうございました。


[2021年1月4日、Zoomにて収録]



★1──台湾の原発の概要についてはこのサイトの整理がわかりやすい。http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/GS/GS-Project/yama/np/history.html
★2──台湾の原子力発の複雑な歴史について、日本語で読めるものとして次を参照。グロリア・クアン=ジュン・スー「統制か操作か 台湾における原子力発電」(ピーター・ヴァン・ネス+メル・ガートフ編著、生田目学文訳『フクシマの教訓:東アジアにおける原子力の行方』(論創社、2019年)
★3──エネルギー統計(白書)を参照。
★4──『台灣核能史話』(台灣電力公司公眾服務處、1989)、『台灣電力發展史』(行政院原子能委員會 2001)
★5──営農型太陽光発電はソーラーシェアリングとも呼ばれ、世界的にも様々な試みがある。日本については農林水産省ウェブサイト内「再生可能エネルギーの導入の促進」>「営農型太陽光発電について」を参照

洪申翰(Sun-Han Hung)
1984年、台北市生まれ。國立台湾大学大気科学系をへて綠色公民行動聯盟にて反核運動に関わる。2019年より民進党所属立法委員に。行政院の能源及減碳辦公室委員をつとめる。


在冷戰和與美國關係的背景下引進核能發電廠

洪:台灣的核電發展大約是從1960年代開始的。第一座核電廠竣工於1978年。 這是在戰後台灣經濟發展的大背景之下,台灣急速地從農業社會往都市化發展,「加工出口園區」等的設置帶動了產業結構的轉變。由起初還大多只是紡織業的加工出口等相關產業開始,伴隨著工業發展促進也增加了對電力設施的需求。

至於政治環境,應該提及的是,當時台灣正處於戒嚴狀態。 因此,核電事業的推廣是在獨裁政權體制下進行的。 同時,還有一個強大的外部影響―來自美國政府的支持和壓力。台灣引進核電廠設施和設備時必須有中華民國政府和美國政府之間,以及台灣電力公司(以下簡稱「台電」)和中華民國政府之間某種相互的默契才能進行。 在這種高度政治化的關係下第一核能發電廠(以下簡稱「核一」)、第二核能發電廠(以下「核二」)和第三核能發電廠(以下「核三」)相繼興建完成,這三座核電廠各有兩組發電機組,總共是六座反應爐。

先前三座核電廠的建設並沒有受到民眾太多的抵抗,因為當時正處於戒嚴狀態。 若要說有什麼阻力,最多也只是發電廠建設地的地主們是否同意土地被徵收的問題而已,對核電技術本身的幾乎沒有過質疑。

1980年代,開始計劃建設第四核能發電廠(以下簡稱「核四」)。 當然,這也是基於台美雙邊的高度政治關係。 蔣家和美國政府之間的關系在惡化和改善之間反反覆覆,也有一些策略上的運作,例如蔣家決定擱置該項目等。 總之,核四已不單純是一個滿足電力需求的設施,還是一個驅動外交和國防的重要因子。


2021年1月4日 線上訪談(最上方為洪申翰先生)

反核運動的曙光

洪:1986年發生了一個震驚世界的事件 ― 車諾比核能電廠事故。 這個事故引發了引西方國家的反核抗議浪潮。 當時,留學歐美的台灣人數量也正在迅速增加。當他們取得學位回國任教時也扮演了把反核意識帶回台灣以及推廣的角色。 而這也恰好與台灣政治環境與體制的變化相吻合。 1987年,亦即車諾比核災發生後的翌年,蔣經國解除了戒嚴令,然後在再隔年的1988年去世,總統職位也被移交給李登輝。 說白了,從蔣經國時期就已經開始發生的變化,其實也是肇因於來自美國的壓力。在這些表面上的變化的背後,也有一股社會運動的浪潮,在民間積蓄了各種能量爆發出來,呼籲政治改革。 這一點很重要,因為這些民主化運動與反核運動有很深程度的重疊。 其實我們甚至可以說1980年代末的反核運動本身就是一場政治民主化運動。 當然,國民黨是支持核電的。反之,當時所有被稱為「黨外」的團體,包括現在的民進黨,基本上都是反核電的。在1989年政黨解禁之前,國民黨以外的所有政治團體都被稱為「黨外」。顯然,這些黨外構築了反核的勢力, 反核意識與反核運動也是從這個時期開始興起。

1990年代,台灣正處於李登輝時代。 李是國民黨的主席,也是中華民國的總統。 從日本人的角度來看,李登輝是台灣民主化的領導者,但其實在當時他可是反核團體的象徵性標的呢。1990年代的反核運動就是基於這種結構,公民社會、環保團體以及民進黨對核四的從預算編列、大地工程的發包到開工的準備等的所有過程相繼採取對立的姿態。

當時,民進黨打出了「從地方包圍中央」的口號。接下來民進黨開始拿下了幾個縣市首長的位置,民進黨的政治版圖由地方政府開始慢慢地擴大,立法委員的席次雖然仍遠低於國民黨,但也在逐漸增加。一路下來,來到了1994年,台灣民主史上的一大事 ― 陳水扁在台灣首都台北的市長選舉勝出。雖然4年後的1998年陳沒能取得連任,但卻在2000年贏得了總統選舉,這是台灣歷史上第一次政黨輪替。 這一連串的展開就是1990年代政治發展的速度和節奏。

挫折

洪:1999年開工的核四建設,在2000年時仍處於工程初期階段。 當然,陳水扁是反核電的,也由於他在選前承諾過停建,所以在就任第一年的10月,在反核團體和核四所在地居民的不斷地要求兌現選舉政見的壓力下,陳真的宣布核四停建。但是,在當時的整個國家體制,不管是公務員還是政務系統都還是在受到國民黨黨國教育底下的意識形態中,這個宣布正意味著與那個龐大的體系衝撞。一夕之間,媒體開始大肆宣揚停建核四將阻礙經濟發展和導致股市暴跌等,整個社會因此而彌漫著一種不安的情緒。 這種恐慌的氣氛給反核團體帶來了沈重的壓力。加上正好也受到了2000年左右的亞洲金融危機的衝擊。各種經濟動蕩,包括網路科技產業的泡沫化等,都被炒作為跟核四的停建有關,都是因此而引發的連鎖效應。現在回過頭來看那段時期,在當時的確是很大風暴。在這個令人焦慮的風暴吹了3、4個月之後,民進黨被迫妥協了。因為雖然拿下了總統職位,但國會卻仍處於少數,在國民黨強勢的國會作成了核四續建的決議下,停建3個多月之後的工程只好繼續興建。

嚴重的是,這個轉折造成了很多反核及環保團體對民進黨的不信任,兩者之間出現了裂痕。他們用的最強烈的用詞是「背叛」,但我認為「民進黨放棄了反核或民進黨棄守反核四」是比較精確的用詞。在核四續建之後台灣的反核運動就進入了一個非常長期的低靡的狀況。雪上加霜的是,2000年以後「抑止地球暖化」被挪用來被用來證明核電的正當性。即使是現在,也經常有人高喊著「用核電來減少二氧化碳的排放!」的口號。我自己開始參與反核運動,正是在這個時期。

2000年至2008年,陳水扁結束了兩屆的任期,國民黨的馬英九成為下一任的總統。 馬可是核電的熱烈支持者,他開始考慮不僅要完成核四,還打算推動核一、核二、核三的延長使用。 核四的興建計劃其實有很多問題,因為核四不同於先前的幾個核電廠,核四的整體規劃跟建築主體是美國奇異,而反應爐卻是日本的日立跟東芝,一個美日合作的拼裝體。這個拼裝體需要由台電來主導整個工程的管理跟規劃整合,但其實台電根本沒有能力來執行這個工作。隨著工程項目的進展,施工的瑕疵一個接一個地暴露出來,事故也一再發生,並不斷地累積。 起初預定在2010年左右試運轉的工程進度也因為問題一直沒能解決而一再延宕。


台湾龍門發電廠(第四核能發電廠)
設施的建築部分大致完成,但就核電廠來說還未完成。
©GoogleEarth

從反核到能源轉型

洪:然後來到了2011年3月,福島核電廠事故的發生。 福島核災重新點燃了反對核四的情緒。大家開始思考「有這麼多工程缺失的核四如果遇到地震或海嘯襲擊,會產生什麼後果?」 核能的安全性問題再度受到重視。到了這裡,連馬英九也很難再提起前三個核電廠的延役計畫了。 從那時起,反核運動的勢力越來越強烈,並在2013年左右達到高峰,那是也是馬執政的最後兩、三年。 馬英九的支持率陡降,很多政治問題的爭議跟矛盾都在那個時候爆發出來。 來自反核團體的壓力加劇,2014年4月,馬英九被迫做出決定,先將核四的建設封存。 當時,大概也有預感恐怕國民黨政府是很難在連任的,他們的支持度極低,大多數的人也都認為民進黨政府和蔡英文會在2016年重新奪回政權。正如前述,2000年,民進黨被批評為「棄守了反核的議題」,但在福島核災發生後,民進黨又重新回到反核的行列。2014年的核四封存後,大家也知道民進黨以「非核家園」(No nuclear homeland)作為其能源政策的目標。 但是重點是「非核家園」不該只是一個口號,而是如何落實能源轉型的改革。

事實上,在2014-5年左右,比較多的命題也從「反核」往「能源轉型」(engery transition)轉換。 雖然核四的建設已經封存,但還有另外三座老舊的核電廠。 現役的“最新”一組發電機組 ― 核三廠第二反應爐由1985年開始運行,因此將在2025年除役,但在這之前,目前正在運轉中的其他更早的核電廠及反應爐會更早相繼達到其使用年限。 因此,我們必須把2025年當作一個目標,階段性地逐步實現能源轉型。 其關鍵則是再生能源政策。

承諾在2025年前讓台灣的核電歸零的蔡英文於2016年5月就任總統。 能源轉型的基本策略是增加綠能,減少煤碳,並在過渡期以提高液化天然氣(以下簡稱「天然氣」)來替代煤碳。2025年的目標是將再生能源增加到20%,天然氣增加到50%,並將煤碳抑制在30%。與再生能源有關的產業的發展正在穩步推行。

以上,是對從反核運動到可再生能源過程的簡述。

反核和非核的條件

青井:非常感謝您。 我有幾個問題要請教。 首先,核電與經濟和產業政策有關,所以核電的推動和反對在許多國家與左右派的政治角力有所重疊的情況也屢見不鮮。但是就台灣而言,反核運動與獨裁統治下的民主化運動連動及發展相互連動。此外,車諾比和福島的兩起核災也為該運動提供了推動力,因為在這個背景中,核電不僅關系到每一個人的生命和健康,而且還關系到將台灣的土地和環境視為自己的問題的意識轉變,是吧?

洪:是的,1980年代的黨外民主化運動是本來就有一部分包括所謂的本土化思潮的。 對國民黨來說,回歸中國是一個重要的意識形態,而台灣只是整個中國的一個邊陲島嶼,把這樣的地圖概念強加給台灣人民。 對照國民黨是個外來政權的差別,台灣有自己獨特的文化、社會和經濟,以這樣的立場,將台灣作為一個單一國家來看待,國民就是台灣人這個概念就是所謂的「本土化」「台灣意識」。 這一趨勢的基礎是台灣各地的愛鄉土、重視在地文化,也就是在地主義、本土意識的興起。

青井:台灣的國土在農業和林業方面資源極為豐富,但就現代能源的需求方面來看卻並不充裕。 事實上,貴國使用煤碳的比例極高,原材料得依賴進口。 在這種情況下,如果試圖在經濟上脫碳,人們很容易對核電抱有很高的期望吧。

洪:台灣確實不能自給自足,根本沒有石化燃料。 而截至2014年,核電占所有能源的15%,這當然不是一個小比例。 但若能有效地利用再生能源,台灣應該能自給自足。

松田:在核電廠除役後,廢爐的核廢料處理將成為一個重要問題。 有什麽計劃來儲存這些呢?此外,我曾讀過一些相關的記事,據說在蘭嶼有一個儲存低階核廢料的設施,由於當地居民的反對,後來這些核廢料就沒有再被運到那裡了。那麼高階核廢打算如何處理?甚或核電廠除役後將在何處儲存這些核廢料呢?

洪:說實話,我們還沒有找到最好的方法。 有一些選擇,但沒有一個是理想的。核廢料永遠不會消失,所以如果我們把它放在A地點,A地點的居民會抗議;如果我們把它移到B地點,B地點的居民會抗議。 無法找到根本的解決辦法。

松田:所以現狀來說,核廢料只能儲存在每個核電廠的原地,是吧。

洪:大部分都儲存在原地。 曾經有一小部分被運往蘭嶼,但僅限於低階的核廢料,而且正如您所說,自1996年以來,沒有再被運往蘭嶼了,所以目前不論是高階還低階,基本上都儲存在核電廠基地內。

松田:蘭嶼是達悟族的島嶼。 建造儲存設施的決定是在戒嚴時期作出的,當時沒有和當地居民進行任何溝通及協調,這點是否正確?

洪:當然,在那個年代,沒有所謂的居民同意。 無論如何,核廢料的問題基本上就是一個困局,根本動彈不得。

青井:早先我在台灣做田野研究時,曾訪談到早期低收入漁村曾經有收集廢五金並將其焚燒,以取出足供出售金屬的情形。這是貧困漁村換取經濟收入的一種方式。 看來,在核電廠及其核廢料儲存地的選址上也有類似的結構吧。 核一到核四,這四座核電廠的選址工作是如何進行的?

洪:首先,是避開人口稠密的地區。 第二,是可以取得大量用水的海邊,第三,有時會加上地質條件的考慮。也有過,原先被判斷為沒有地質問題的地點,後來卻發現了斷層的情況。

威志:關於基地的選擇,當時是有美國的協助的。先在全國總共選出十來處的候補地,然後經過對各個候補地的調查才選出廠址。 你可以在台灣電力公司出版的《台灣核能史話》《台灣電力發展史》★4書中了解到這一點。 書中還言及,在核電廠選址的過程中不需要徵得當地居民的同意。

青井: 核四也被稱為龍門核能發電廠,基地位於台灣北部,現在的新北市貢寮區鹽寮,那是一個什麼樣的場所呢?

威志:貢寮原本是核一的預定地,剛開始認為那裡是非常理想的地點,但據說當受到時村長等人的反對。這裡所說的“反對”並不是我們說的反核運動那樣“反對”,這個“反對”的理由雖然沒有正式的文獻紀錄,但根據在該地區進行的訪談,「核電」讓他們聯想到「原子彈」,是“危險”而“可怕”等印象,因而反對。這個反對意見曾在1968年提交給台電,受到這個反對,於是台電就把核一的建設地改到當時相對歡迎的金山(新北市石門區)了。

再生能源與台灣的大地

青井:讓我們來看看幾個國家的能源結構。 根據2019年的報導,德國的再生能源比例46%超越了佔總發電量比例為40%的煤碳、石油、天然氣等石化燃料的火力發電。 同年,日本的數據顯示石化燃料佔75%,台灣為81%,中國為69%。 當然,各國都在增加使用天然氣比例,這是一種相對有效率減低二氧化碳的排放量的火力發電形式。 例如,德國的總發電量中約有13%是天然氣,而日本也增加到36%,台灣增加到33%。 另一方面,再生能源的佔比日本是19%,而台灣是7%,中國是26%。至於核電,德國是12%,台灣是11-12%,中國是4-5%。 截至2010年,日本還佔25%,但2019年則減到6.5%。只不過,目前的保守派政府認為這是一種“異常”狀態,並希望盡快使其“正常化”。

現在,德國的再生能源增長主要是由於生質燃料和風力發電的貢獻。 日本19%的主力雖然是水力和太陽光,但總體上朝著包括了核能發電,各種能源類型分散化的方向。 反過來看一個相當簡單的例子是中國,以石化原料的煤碳和自然水力發電佔了壓倒性地的比例(天然氣只有約3%)。 水力發電中最大的比例是因為有長江流域的存在。 換句話說,這些數字反映了每個國家的國土特性。 近代產業都需要石化燃料,因此有從石化資源豐富且廉價地方運送到石化資源缺乏地方的必要。 相對地,轉換為再生能源則意味著反應國土特性,發電形式多樣化的可能性。(用生建築環境史的用語來說,也就是「構築0」與「構築3」的再次遭遇)。

從這個角度來看,您如何看待台灣的國土特性?


台灣的能源結構(2019發電量結構比)
圖左:燃料別發電結構/圖右:再生能源發電結構
數據引自=《中華民國108年 能源統計手冊》(經濟部能源局,2019年11月)

洪:我認為台灣國土的特性最能期待的是離岸風力發電。 雖然我們原本沒有這方面的經驗,但台灣海峽的風場非常好,極適合風力發電。 另一個領域是太陽光,雖然這並不是台灣獨特的利點。 另外,也有在研究地熱發電,不過還沒有得到成效。

青井:當我們在思考再生能源時,國土的特性就在這個時候會浮現出來吧。

松田:由在台灣能源原料別發電比例中佔了5.6%的自然或再生能源的明細看來,36%是水力發電,26%是太陽光發電,12%是風力發電,但只有約1%是生質燃料,我想這是因為原料也必須依賴進口的關係。相比之下,利用廢棄物作為燃料的發電量相當大,有24%之多。我們知道廢棄物是完全自給自足的,難道不可以設法去更提高其效率嗎?

洪:我不認為我們可以期待有多大的增長。

松田:太陽光發電和離岸風力仍有潛力。 但這些都取決於天候,是吧?

洪:是的,確實不能忽視供給間歇性的問題。 改善供電網和儲存設施也很重要。

松田:是的。怎麼說再生能源的安定供給都是個問題。

洪:目前,再生能源約占總量的6-7%,其實間歇性還不算是太大的問題。 台灣正在增加天然氣的比例,天然氣足以應付再生能源的間歇性變動。

松田:所以基本上,你們的策略是在有效地燃燒天然氣同時,思考如何提昇再生能源比例,是吧?

洪:是的。 但我們並不打算持續燃燒大量的天然氣。基本上,天然氣是被規劃為過渡期使用的,大約10到15年左右的期間會依賴天然氣來取代煤碳。 先減少煤碳,然後在2030-35年以後,也要把天然氣的量減低。

青井:我想問一個更具體的問題:為了增加再生能源,有沒有什麼比較具體的政策或實例呢?

洪:現階段,離岸風力發電約佔再生能源的12%,不到總量的1%,但我估計在2025年之前應該可以提高到10%左右。2025年以前大概會有5.7GW,目前政府的計劃是在2025年到2035年的期間內每年各再增加1GW,總共10GW,但我認為應該可以增加更多。 我相信在未來,也許在2040年左右吧,離岸風力發電甚至有可能佔到總量的30-40%。

漁電共生

洪:太陽光發電可分為兩種類型:屋頂型和地面型。 計劃到2025年之前將屋頂型的電力增加到6GW。 最近,我們也一直在討論增加這一數字的可能性。地面型的目標設在14GW,為了實現這一目標,在過去的一兩年中,我們一直在積極地推動「漁電共生」。

青井:您是指漁業和發電之間的共生關係,特別是漂浮在漁業養殖池水面的太陽能光電板?

洪:是的。另外還有一種,是在堤岸架設支柱方式的光電板模組。初期曾經嘗試過直接把支柱架在池底的做法,但是也曾發生過影響地下水脈的問題。

青井:為了促進漁電共生,政府有什麼樣的政策嗎?

洪:政府的能源部門和漁業部門會一起到地方去開漁電共生的政策說明會。 如果有漁民願意,他們可以將漁業養殖池的40%的水面用於發電。 若導入發電,漁民們除了養殖之外,還可以藉著賣電獲得額外的收入。

青井:為什麽要限制面積?

洪:當然,因為魚也需要光照呀(笑)。 這就是為什麽得留下60%水面的原因。

松田:換句話說,就不能放棄漁業而把整個養殖池轉為發電,如果想導入發電,就必須繼續養殖,是吧。

洪:是的。若放棄養殖,即使發了電也不能賣出。

松田:所以這是一項輔導維持原有一次產業的政策。

洪:是的。

青井:在台灣的西部沿海地區,可以看到綿延不斷的漁業養殖池。 這些養殖池現在作為一個行業還有前途或者說還能維持生計嗎?


台南市沿海區域鳥瞰
©Google Earth

洪:那得看他們養什麼了,若是高經濟價值的水產其實是很賺錢的。

青井: 如果從水產養殖中賺到錢,就不會去發電了,對嗎?

洪:是的,如果養殖的利潤很高,對他們來說光電的收入就不那麼重要,整個養殖池就會充分地用於養殖了。

青井:是否有什麼樣的政策來獎勵「漁電共生」?

洪:在經濟面上的政策,是FIT(固定價格收購制度)。 我們現在面臨的問題是如何讓漁民了解能源問題,讓漁民的能有自己的主體性以及能力跟光電廠商去談怎麼合作。因為現在比較多狀況的還是光電業者去找漁民,但我認為我們需要漁民采取主動,找到一種結合太陽發電的新生活方式。而不是任由光電業者四處圈地。

松田:所以政府也有在做這一類的宣導活動嗎?

洪:有的,相關部會的首長們也會一起到漁村做政策說明會。

松田:就收購價格而言,在日本,311東日本大地震後,太陽光發電固定收購價格被定得很高。 但是後來價格逐漸下降,不知道台灣的情況如何呢?

洪:台灣也是這樣。一開始,我們設定的固定收購價格比一般電價高,但也會逐漸降低。

松田:還有一個問題要請教。在311東日本大地震之前,日本有50多座核電站,福島事故後所有的核電廠完全停止了一段時間後,部分核電廠重啟,目前有9座正在運轉。再生能源的比例因此提高,而電費也跟著調昇。政府以固定價格讓電力公司收購的費用,其實是消費者在支付的,也就是把電費轉嫁到各個用戶。這個因此讓每個家庭平均被漲了700日元左右的部分,以收購再生能源課徵金的名目由各用戶負擔。台灣的能源轉型過程中,電費有沒有預定要調漲?

洪:我們的再生能源的成本最後還是會轉嫁在最終用戶的電價上,不過目前還沒有漲價。其實再生能源量比較多也是在這兩年左右,而這兩年的期間正好國際原油價格跟石化燃料大跌。所以再生能源部分的支出是雖然有增加,但是因為原油價格跌落,我們在取得石化燃料的成本上也跟著減少,在一加一減之間我們的電價也就沒有太大的改變。但未來隨著再生能源更大幅度提昇時,當然電價成本也會上昇。我們預估未來電價的趨勢,其實台灣的電費原本就很便宜,電費會慢慢的漲一些,不會大漲,漲到一個程度後會隨著再生能源越來越便宜而下降,然後維持穩定。

松田:風力和太陽光是自給自足的,但用於離岸風力發電的風車和光電板等呢?關於光電板,曾經看過台灣的三家主要太陽光電板製造廠已經合併,並形成了世界領先的太陽電池品牌之一的報導。但是即便如此,製造光電板本身的原材料仍然必須進口吧。 同樣地,風力發電用的風車又如何呢?

洪:台灣生產的太陽光電模組在價格上很難和中國的廉價產品競爭。 這就是為什麽我認為固定收購電價的政策是太陽光發電業的關鍵。 風力發電的設備還無法自己生產。 目前是有一些外國廠商正在關注台灣,像西門子等的廠商正在台灣設置組裝廠。也的確是有一些國外的再生能源廠商,尤其是歐洲方面的廠商,把有台灣視為亞洲一個重要的離岸風電發展的基地及產業聚集地之一的動作。

松田:所以是期望廢核能形成再生能源相關的龍頭產業鏈,或者讓台灣本身自發性地朝著以綠能掛帥的方向吧? 反之,若不是這樣,向再生能源的轉換可能是有風險的。

洪:是的。 轉換為再生能源本身就是台灣能源自主化的一個舉措,能在國內自己生產能源設備當然是最好。 但如果你問我,「台灣目前是否有能力製造離岸風力的風車?」 我的答案是否定的。 我們已逐漸可以生產發電機水下基礎的鋼材 、鋼件以及主要的電纜設備等了,但風車的扇葉等需要更先進的技術,所以得要更多時間。而重要的是,如果我們拘泥在整個離岸風電所有的設備從完全在台灣自給自足的話,反倒會降低推廣再生能源的速度。松田老師說的的確是一個重要的命題沒錯。我們一方面有一定速度的再生能源增產需求,另一方面也要期待在在提高產能的同時,也創造出一個台灣國產化的產業鏈。如何兼顧能源增產速度及扶植本土產業鏈,這兩個軸線的調控是目前蠻重要的命題。

此外,其實主要的目標不單是廢核,畢竟核電只佔了台灣總發電量的11%左右,在2025年以前把核電廢除,並補足這部分的發電量是到2025年為止的目標。2025之後的目標就不再是廢核,而是對應氣候暖化和減碳目標的減少燃煤發電了,這部分所需的再生能源的數量會遠遠大於補足廢核。 這時候才是真正的挑戰的開始。 廢核不是那麼困難,因為台灣的核電佔比其實沒有那麼高。


養殖池的景觀被嵌入了太陽光電板 ©GoogleEarth 
參照=「【光電開發】鹽地生機|我們的島(第1057集 2020-06-01)」



位於西北部的桃園台地,河川資源少,蓄水用的池塘幾乎等間隔地分布其中。這裡也在進行漁電共生的嘗試。
参照=「我們的島 第931集【農電共生系列2】走在漁電共生之前 (2017-11-20)」

農電共生

松田:農電的場合也和漁電共生一樣的狀況嗎?

洪:是的。會被稱為「農電共生」,基本原理是一樣的,不過農電共生仍然處於實驗階段。

青井:在台灣的公共電視節目《我們的島》看到很多有趣的事例,他們似乎不僅關注漁電共生,也關注農電共生呢。

洪:農電,我們仍在實驗中,還沒有到普及的階段。目前我們著重於漁電共生,因為魚貝類不像農作物那麼需要大量的陽光,實際上也有許多養殖戶想導入光電。但就農電而言,我們得先找到對陽光要求較低且仍具有商業利潤的作物。

再生能源是對國土的利用,換句話說,是對一個國家的自然環境的利用,所以我認為,上限應該當作「空間管理問題」來看待,應該用這樣的框架來想定這個問題。當聽到用於漁業、農業或其他用途的用地將被「變更」為再生能源的用地時,常會引發大家的一些擔憂。因為土地用途一但變更了,就很難再變回來了。所以我自己比較傾向的是怎麼樣的去複合性利用。如果這裡原本是養殖池,那就繼續養殖,光電板只是架在池塘上面而已。 如果是農地,那就讓我們在光電板下繼續耕種。

台灣許多學校都有籃球場和球場,一碰到雨天就無法使用。 如果我們架上屋頂並安裝太陽光電板,發電與體育的利用就能兼顧了。另外,還有蜿蜒在台灣農田中的灌溉水圳網。水圳可能只有幾公尺寬,但是以延長算來卻覆蓋了非常大的面積。 這些水圳上面若能架設光電板,除了發電還可以防止用水的蒸發。台灣在雨季之外可是經常遭受缺水之苦的呢。所以我認為不是去改變土地的用途,而是找到新的土地利用方式。在土地的功能跟管理上,怎麼去重新設計新能源,或者怎麼將能源效益給設計進來。換句話說,這是一個空間功能再設計跟再管理的過程。

青井:台灣的人口密度和工業密度都很高,相對於土地面積來說,對電力的需求應該相當高。 以國土的特性來看,似乎不太容易有像中國那樣的壓倒性規模的發電方式。因此,捨去集中型發電,改以國土分散型的小規模土地利用,讓電力生產和消費也都能分散,可能會更恰當吧。

洪:是的。 土地的複合性利用與集中生產能源的想法完全不同。重要的是,它需要原本那個空間的操作者、那個空間的擁有者出手,否則很難重新設計它。如果是漁民,就是漁民;如果是農民,就是農民;如果是學校,就是經營學校的人。如果其他人試圖插手,可能產生很多摩擦。對環繞農地的水圳來說,也許沒有太大的影響,但是只有農民跟水利單位才知道光電板安裝在哪裡最好。是的,他們不僅可能減少負面影響,而且還可以去實現更大的潛力,導出其他的可能性。未來再生能源發展的鑰匙應該不在能源業者,而是掌握在這些空間的原本的操作者手上,就看我們如何去接近了。

青井:換句話說,是由在地的人們為主體去改變利用方式及重新繪出當地的景觀,是吧。

洪:是的。 更精確一點的說, 電力部門和能源業者當然很重要,但是他們能提供的應該只是設備跟服務,而不該是解決方案的主導者。整合農、漁民等當地的人們對於空間管理的知識,以及能源方面的企業及專家的知識,兩種不同知識的工作是重要的。

青井:原來如此,很可能就是定義上的「建築師」嘍。確認一下,您是說「農電共生」並非在農業用途低或廢耕的農地上來增加發電的政策,對吧?

洪:是的,農電共生的意思是要在原本務農的土地上面做光電。不過我們還得更仔細地選出合適的農作物類型。現在,我自己的辦公室正在媒合能源部門跟農業部門,把實驗做的更細緻。

青井:比如,在那些由於居民的高齡化而使農業變得有些蕭條的地方,如果農業和發電的複合利用能提供穩定的收入,現在經常可見的年輕人從都市返回農村的現象或許也會更增加吧。

洪:若能這樣發展當然很好。 但有一個前提:包括農民的農村自己的主體性必須得到尊重及培養。不可避免地會有一個誰來准許新模式的問題。如果農村自己制定一個可能的未來願景並付諸實施,那將是一件好事,我們也很希望能發生這樣的事情。但若只是由某個個人採取主動,或者只是由能源廠商片面性的推進,反而會使整個事情陷入停滯。

松田:目前太陽光電板下面可以種植什麽樣的農作物?

洪:有幾種蔬菜可能適合。根莖類蔬菜似乎不錯。 但我們不鼓勵香菇等的菌類。 因為他們只是把一些太空包跟原木放在那裡而已。

青井:我在《我們的島》看到有人在種西式料理配菜用的生食苗菜等。

洪:是,那些是不錯。不過也都得經過配套,我希望農電生產的作物能有多樣性。若造成大家一窩蜂的都去種一樣的作物,價格就會下跌,反而會造成政策的阻礙。無論如何,還需要多一些的準備。

威志:日本農林水產省已經進行了台灣稱作「農電共生」,日本稱為「營農型太陽光發電」的實驗很久了。他們甚至有做出這個作物需要的太陽光是多少,比如說70%,還做出可以調整角度的太陽能板,來對應這個70%日照的需求。

洪:日本的再生事業其實做的比我們好。所以我現在反而在讀日本的資料。但是日本的資料畢竟是日本的數據,你還得先去把這些本土化。

青井:在福島的核災區有不少在光電板下面種牧草的案例。 漁電共生的話就不需要考慮到要換另外一種魚來養吧?

洪:是的,原本養什麼魚就照養什麼魚,只是把光電板架上去而已。但是也必須做包括候鳥和其他生物的環境影響評估。現在有同時在做環境與與生態、環境與社會的評估。尤其是台灣的農、漁村常常會是生物多樣性的生態熱點,在這個意義上,評估是不可或缺的。

青井:生計和經濟、生態系統和人類社會。 需要綜合性的評估,是吧?

洪:如果沒有找到很多最優解決方案的模式,我們將無法讓大家接受並推廣這些方案。 我們還在逐一摸索。

松田:因農地的立體化產生了更多的價價值和機能,雖然是非常有魅力的想法。但我們也可以想像因為光電板的增加,將改變農漁村的風景,對景觀將造帶來巨大的變化吧。對此,是否造成居民的抵抗或反對呢?

洪:是的,它們對景觀是會造成影響,也又可能因此而產生反對。但因為景觀也是一個相對比較主觀的東西,所以雖然知道有改變,但比較難以評估。有人接受,有人不接受。

松田:還有一個要請教的是,是否也在考慮在山林地上安裝光電板?

洪:基本上,我們不建議在山坡地或林地上安裝光電板。 目前雖然有人做,但還是零星的例子。這樣做並不是一個很好的方式。

青井:是因為災害的問題嗎?

洪:是的。山林地很難複合利用,而且如果樹木被砍伐,也會有水土保持等的問題。

台灣和日本

青井:日本正走在核電+碳中和的道路上。311東日本大地震後,持續了一陣子讓財界和政府都很難開口說要促進核電的狀態,但在災害發生了10年後,隨著菅義偉領導的內閣,他們開始堂而皇之地主張要讓核電運作「正常化」。在碳中和的問題上,別說「脱原發」(廢核)了,核電在甚至可能會被擴大呢。

洪:台灣也在討論碳中和,韓國的文在寅政府也主張在討論逐步淘汰核電,所以我們也在相互學習中。核電對今後在討論氣候問題的國家都是一個困擾的問題,有些國家認為不一定要核電他們也可以做到碳中和,但有些國家認為他們需要核電。兩種情況都有。

青井:日本政府在福島核災之後關閉了核電廠,並保持一段時間的沈默,但現在又開始說要重新運轉核電廠了。 台灣,在福島事件後,走到廢核道路上。 我非常想知道再生能源的轉型將如何導致對土地、景觀、經濟和社區的重新解釋和重新設計。 我會繼續關注這個議題的動態。非常感謝洪先生和陳先生。



洪申翰(Hung, Sun-Han, 1984-)
生於台灣台北市。國立台灣大學大氣科學系肄業,以綠色公民行動聯盟參與反核運動。2019年,就任民進黨不分區立法委員。行政院能源及減碳辦公室委員。




★1──關於台灣核電的概要,以下連結有淺顯明瞭的整理。http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/GS/GS-Project/yama/np/history.html
★2──關於台灣核能發電的複雜歷史,以下的日文文獻可供參考。生田目学文訳《フクシマの教訓:東アジアにおける原子力の行方》(論創社、2019 年/Peter Van Ness and Mel Gurtov, Learning from Fukushima: nuclear power in East Asia, ANU Press, 2017)。同書在台灣的發表有Gloria Kuang Jung Hsu(徐光蓉教授)。
★3──參照《中華民国108年 能源統計手冊》(経済部能源局、2019年11月)。
★4──《台灣核能史話》(台灣電力公司公眾服務處、1989)、《台灣電力發展史》(行政院原子能委員會 2001)
★5──世界各國也有各種在日本稱為「營農型太陽光發電 solar sharing」的實踐。可參考:日本農林水產省官網

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