生環境構築史

第6号  特集:
戦時下の生環境──クリティカルな生存の場所 Wartime Habitat: A Critical Place of Survival 战时生环境──临界性的生存场所

論点[2]原爆の遺品が語るもの──石内都『Fromひろしま』からの思考

藤原辰史【HBH同人】

Issue [2] What A-Bomb Mementos Tell Us: Thoughts from Miyako Ishiuchi’s “From Hiroshima”Tatsushi Fujuhara【HBH editor】

論點[2]講述原子彈的遺物──由石內都的《From廣島》引發的思考

Those who died as a result of the atomic bomb dropped on Hiroshima by the U.S. military left behind many mementos. Among them are a fashionable navy-blue one-piece dress and a shirt with swirling red buttons, as well as glasses, soap, a lunch box, and a Japanese doll. Photographer Miyako Ishiuchi photographed these items in natural light, and all of them convey the beauty of the victims’ lives as well as the brutality of the atomic bombing. What can we learn from Ishiuchi’s attempt to get close to the lives of the victims of the atomic bomb?


[2023.6.10 UPDATE]

米軍によって広島に投下された原爆が原因で亡くなった人たちは、たくさんのmementosを遺した。その中には、おしゃれな紺色のワンピースや渦巻状の赤いボタンのついたシャツのほかに、メガネ、石鹸、弁当箱、日本人形などもある。写真家の石内都は、これらを自然光に当てて撮影したが、そのどれもが原爆の残酷さと同時に、犠牲者たちの暮らしの美しさを伝えている。原爆の犠牲者たちの生に肉薄する石内の試みから、私たちは何を学べるだろうか。

はじめに

原子力爆弾、通称原爆は、高熱(落下中心地は摂氏3,000度から4,000度と言われている)と爆風(爆心地から100mの地点での爆風のスピードは約280m/sと言われている)による人体や動物や植物や建物の破壊だけではなく、有害な放射線を拡散し、長い時間をかけて人体はもちろんのこと植物や動物の体の破壊を進めていく大量破壊兵器である。1945年7月16日5時29分にアメリカのニューメキシコ州のトリニティ実験場に人類初のプルトニウム型の原爆が投下されたときも、それが破壊したのは、周囲の地形や植物や動物だけではなく、周辺の住民の主張によれば、人間そのものであった。長期にわたり癌などの健康被害が顕著に増えていながらも、その因果関係はいまなお明らかにされていない。また、開発中に安い賃金で雇われ、プルトニウムに汚染された試験管を洗っていたアメリカの学生たちも、甲状腺癌などの後遺症に悩まされた★1。

原爆による痛みは、皮膚の爛れによってもたらされるだけではない。放射線によって汚染された内臓や血液によって体が痛みつづけ、衰弱をもたらす。真皮や肉が剥き出しになった体は猛烈に痛く、空気の熱さゆえに水に入るとどれほどの痛みが体を走ったのか、言語であらわすことは困難極まりないほどのものだと推測される。とにかく、これほど言葉が無力だと感じる歴史的現象はほぼ存在しないと言って過言ではない。

ならば写真や絵画や映画であれば、体験していない者にも痛みが伝わるかといえば、そう簡単なことではない。簡単ではないけれど、私たちは原爆が投下されるその瞬間までどんな暮らしをしていたかをありったけの脳細胞を動員して想像することによって、逆にその後の痛みの入口に近づけるのかもしれない。その接近を写真家の石内都は私たちに感じさせてくれる。石内は、そういった苦しみを訴えつつ亡くなっていった広島の女性や子どもたちの遺品を自然光に当てて撮り続けている。

横須賀から広島へ

1948年、石内は群馬県桐生市に生まれた。絹織物の街で生まれたことが、のちに彼女が衣服を繊維の隅々まで光を求めて繊細なタッチで写しとる作品を次々と生み出し基盤になっているのだろう。1953年、神奈川県横須賀市に引っ越す。横須賀米軍基地は、在日米海軍司令部が置かれる基地であり、通称「ベース」と呼ばれている。石内は「アメリカ基地から流れてくる未知の世界の匂いと空気に危険な予感がしていた」とのちに述べている★2。この空気の中でカメラを持って街を歩く。「自分のかかえているこれまでのいらだちや不安や痛みの総てを吐き出して、新しい一歩をふみ出す為の写真だった」、石内はそう振り返っている。そのカメラを持った冒険は、『絶唱 横須賀ストーリー』(1976〜77)という作品に結実している。プリントの粒子を暗室で増幅させた結果、痛烈な肌触りを残している。彼女の写真はどれも、まるで丹念に準備された料理のように味わいと歯応えが残る。

横須賀には戦争が終わるまで、旧日本海軍が横須賀海軍工廠を置かれてあった。日本海軍の重点であった横須賀で育った石内が、日本陸軍の要であった広島で仕事をするという流れには、近代日本史の必然があるように感じるのは私だけではないだろう。日清戦争以来、宇品港は日本のアジアの戦争で必要な兵士と物資の積み出し港であり、日清戦争時には大本営も置かれた。

他ならぬ本人がこの因縁について次のような感慨を漏らしている。

それから37年が経つ。横須賀を出発した写真は広島へとつながり、その道のりは、自分では気づかなかったけれど、振り返ってみると、ひとつの道筋が作られていたようだ。横須賀はどんどん遠くなり、広島は存在感が年々増し、現実として私の中にある★3。

「ひとつの道筋」とは何か。横須賀にせよ、広島にせよ、そこで製造され運搬された兵器が、そして、その兵器が製造され運搬されているがゆえにアメリカによって空から攻撃を受けた都市である。その都市の歴史を空から睥睨する鳥の「目」ではなく、地面を歩き人と肌を接して生きるしかない市井の人びとの「肌」から語る道筋だと私は思う。

服をまとう喜び

1945年8月6日8時15分、広島にウラン型の原爆「リトルボーイ」が投下された。トリニティ実験場とは異なるタイプのものであった。1945年8月9日11時2分、長崎に落とされた原爆「ファットマン」はプルトニウム型であり、戦後の国際政治情勢をにらんだ原爆開発のための人体実験の様相を呈していた。

原爆は、さらなる戦争の犠牲を終わらせるための必要悪としてとらえられることがいまだに多いが、そのような議論から毎回のように消えていくのは、爆弾の下で、アメリカの多くの人々と同じ一回限りの人生を歩んでいた市井の人びとの視線である。その視線はしかし死者の視線である以上、想像力によって近づくしかない。それゆえに、原爆の国際政治的意義を論じて満足する人びとにとっては、原爆の悲惨さを理解しようとする前に、広島を生きていた普通の人びとにありさまに近づこうとすることこそ、まずは必要だと感じる。このとき、石内都の仕事ほど頼りになるものはない。

驚くのは、石内によって撮影された遺品を、暗い展示室のガラスケースの中で暖色のライトに照らされてみる場合と、朗らかな自然光に当てられてみる場合の違いである。石内が撮影した、紺色のワンピースにせよ、セルロイドの丸メガネにせよ、夏服のセーラー服にせよ、刺繍の施された小さなバッグにせよ、もしもこれらが薄暗い展示室に置いてあったならば、世界史的悲劇の犠牲者として短い人生を終えた悲しみや憎しみが前面に浮き上がるだろう。ましてやそれが平和記念資料館であるならば、ちょうどアウシュヴィッツ強制収容所跡の博物館で展示されている旅行鞄や靴などを見たときと同様に、どうしても犠牲者たちの悲しみと対峙せざるを得ない。

ところが、石内都の撮った被爆者の遺品はそれとは全く異なった次元に私たちを連れて行ってくれる。もちろん、原爆の力によって引き裂かれた布や、布の染み込んだ泥や血痕などは、当然のことながら、原爆の恐怖をこれまでにないほど強く、受け手に伝えるだろう。だが、他方で、それらと肌を接していた人びとがどれほど祝福され、どんなに愛され、どんなふうに自分を表現しようとしていて、どんなふうに見られたかったか、服をまとう原初的な喜びや楽しさや面白さ、似合っていると感じる幸せ、変身できた喜びというような人びとの生き生きとした実感が迫ってくるのである。

《ひろしま#8》(2010)[fig. 1]は、もはや痕跡をとどめないほど破壊されたチェックのシャツである。襟、上前立と下前立、カフスなど布が重ねてある場所以外は焼け落ちている、原爆の人間に対する破壊力をまざまざと感じさせるものであるが、同じ衣服を撮影した《ひろしま#2》(2010)には、原爆の悲惨とは異なった様相が映されている。赤い渦巻き模様の大きめのボタンとスナップボタンの凹んだ側がチェックの生地に縫い付けられていた。大量生産のシャツのボタンに慣れた私たちはささやかな生活の中でこのボタンをつけたシャツを身にまとっていた人よりも豊かに暮らしているのだろうかという問いはおくとしても、原爆によって失われたものは、生物としての人間の生命だけではなく、文化の担い手としての人間の生命でもあったというあたり前のことを強烈に感じる。というのも、衣服は、建物と同時に、人間という内なる自然を、外なる自然から浮かび上がらせて形象化する道具であり、文化であるからだ。衣服の美しさを率直に写すことで、殺戮の醜さをかなり際立たせているように感じてならない。


fig. 1──©︎Ishiuchi Miyako「ひろしま#8」donor: Sawamoto, N.


透ける布

これは、別の遺品の服からも感じることだ。《ひろしま#69》(2007)[fig. 2]は、濃紺のドットが入った半袖シャツである。第二ボタンから第三ボタンに広がる茶色いシミは、この持ち主の痛みの強さを想像させてあまりあるが、自然光が当たると、こんなにも織物は生命力を持ちなおすことができるのか、という驚きを感じた。


fig. 2──©︎Ishiuchi Miyako「ひろしま#69」donor: Abe, H.



シャツ一枚からも、暑い広島の夏を感じさせる。シャツを着ていた持ち主が街路を歩いていたり、食事をしたり、子どもと手を引いたり、仕事をしたり、そんな様子が想像しやすい。身体の動きの構造が見えてくるのだ。それは、《ひろしま#67》(2007)[fig. 3]の小さな花柄が散りばめられたワンピースも変わりはない。


fig.3──©︎Ishiuchi Miyako「ひろしま#67」



原爆は、強烈な閃光と熱風を放ち、これらの衣服もまたその光と熱を通した。だが、放射線を含んだその光と熱は、人工の光と熱でしかない。人に作られていた光と熱は、麻や綿が含むことができる光と熱の許容量を大きく超えている。だが、織り込まれた麻や綿を透過した自然の光と熱は、きちんと、麻や綿の植物性と人間たちの生きた痕跡を、しっかりと私にまで届く。石内のカメラは、対象の背後からの光と熱をとらえることで、原爆の閃光の過剰と自然光の美をはからずも対置させている。

当たり前のことであるが、衣服には織り目がある。織り目とは隙間である。空気と水を通す穴である。体からにじんだ汗を吸い取っておいてくれるし、衣服は、外界の風から身体を守りつつ、風を通す。核兵器と原発の事故がこれほどまでに私たちの生命を危機にさらしているにもかかわらず、私たちがコンクリートや鉛の板を衣服の素材にしないのは、それらが風や水や光を通さないからだ。逆にいえば、兵器は、衣服を通しての風や水や光の出入りをめぐる繊細な交流を不問にして、まるごと破壊し尽くす。物だけではなく、物同士の連関を壊滅させる。この暴力性こそが、光をたっぷりと衣服にあてることでくっきりと浮かび上がっている。

被爆した弁当箱

石内都が撮影した遺品は衣服だけではない。ほとんど無傷な日本人形と西洋人形、錆びついた腕時計、黒っぽくなった「戦時石鹸」、朱塗りの櫛、ハートマークの指輪なども被写体に選ばれている。戦時石鹸とは、硬化油や苛性ソーダが不足した戦時中に開発されたもので、ベントナイトという粘土の一種を用いた粗悪な石鹸のことである。

さて、石内が写しとった物のなかでも強烈なインパクトを放っている写真が、被爆した弁当箱である。《ひろしま#59F》(2014)[fig. 4]は、昼に職場か学校で食べる予定だったアルマイトの弁当箱だ。蓋は箸を収めることができるように凹んでいて、植物の模様が刻まれている。その中には、炭化した豆のような食べものが見えるのだが、実際にどんなおかずや主食が詰め込まれていたのかわからない。


fig. 4──©︎Ishiuchi Miyako「ひろしま#59F」donor: Watanabe, S.



弁当箱とは、いわば食べものの衣服である。食べものをよりおいしく、美しく見せるための、どこにでも持ち運びやすくするための、作ったときの美味しさをさらに長く保つための道具である。弁当箱は炭になっていく内容物を守ることはできなかった。ましてや、弁当箱の持ち主によって詰めてある食べものを食べてもらうこともできなかった。朝の8時15分なのだから、あと4時間足りなかった。

当たり前のように見えて忘れがちであるが、戦争は、食べものをも攻撃する。その悲惨さは、これから実ろうとする田畑を焼き払うあり方に最もあらわれるだろう。ヴェトナム戦争のとき、アメリカ軍によって上空からばら撒かれた2,4,5-Tと2,4-Dは、枯葉剤と総称されるが、森の中で活動するパルチザンを森の中から追い出すことだけではなく、端的に人びとの食べものになるべき田畑を破壊した。農地の破壊は、作物や家畜の生命の破壊であるだけではなく、それが収穫された後の人びとへの攻撃でもある。戦争は、このようにして、現在だけではなく、未来をも破壊することを、この弁当箱は伝えているように思えてならない。

おわりに

石内都の撮った遺品のほんの一部にすぎないが、それが戦争で凄まじい害を受けた人びとの何を表しているのかを考察してきた。明るい光を遺品にあてて撮影する手法は、たしかに、人びとの暮らしの明るさを思い起こさせるが、広島の惨劇の度合いを弱めるものではない。大量破壊兵器の惨劇を私たちの暮らしの延長として据え直すものである。被爆した弁当箱、日本人形、メガネ、靴、石鹸を撮った石内の写真群は、ますます離れゆく広島の記憶を私たちに近づけるという荒技を成し遂げているのである。




★1──豊崎博光写真・文『アトミック・エイジ──地球被曝のはじまりの半世紀』(築地書館、1995)155頁
★2──石内都『From ひろしま』(求龍堂、2014)113頁
★3──★2に同じ



ふじはら・たつし
1976年生まれ。食と農の現代史。京都大学人文科学研究所准教授。著書=『ナチスのキッチン──「食べること」の環境史』(水声社、2012)、『トラクターの世界史──人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』(中央公論新社、2017)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル、2017)、『給食の歴史』(岩波新書、2018)、『分解の哲学──腐敗と発酵をめぐる思考』(青土社、2019)など。編著=『第一次世界大戦を考える』(共和国、2016)など。共訳書=フランク・ユーケッター『ドイツ環境史 エコロジー時代への途上で』(昭和堂、2014)など。

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