生環境構築史

連載

鏡の日本列島9-2:賢治と石灰岩(後編)

伊藤孝【HBH同人】

Mirrored Japan 9-2: Kenji Miyazawa and Limestone (Part II)Takashi Ito【HBH editor】

镜中的日本列岛-9-2:没有石灰,就没有生命:賢治与石灰石(第二部分)

While Japan relies heavily on imports for most of its mineral resources, it maintains a 100% self-sufficiency rate for limestone. This is because the Japanese archipelago is geologically composed of “accretionary complexes,” which contain abundant limestone deposits originally formed on ancient oceanic seamounts.

Globally, however, the origins of limestone are quite different. Most major deposits were formed on vast continental shelves created by rising sea levels. While these continental deposits are extensive and continuous, they tend to contain more “clastic material”—such as mud and sand from the land—compared to those formed on seamounts in the open ocean. This brings us to the limestone of the Southern Kitakami region in Iwate Prefecture, which the poet Miyazawa Kenji worked with in his later years. Interestingly, this limestone belongs to a third category, distinct from the two mentioned above.

The Southern Kitakami region, where Kenji’s limestone is found, is believed to have existed as a “microcontinent” near the equator during the Paleozoic era. In the shallow waters surrounding this small landmass, various sedimentary rocks were formed, with limestone occasionally accumulating among them. This makes Kenji’s limestone a rare geological minority within Japan.

Kenji famously referred to his beloved homeland of Iwate as “Ihatov.” While this land is now part of a mid-latitude island arc, it was once a solitary microcontinent drifting across a vast, ancient ocean.


[2026.2.28 UPDATE]

人類と石灰岩のつきあい

われわれ人類と石灰岩のつきあいはまことに古い。石灰岩は、長期間、真水に接すると溶ける。とくに地下水に長く晒されると溶けて穴が空いてしまう。それは地下水の流れに応じて、大きく、そして長く続くものになる場合がある。   何かの理由で地下水面が下がる、もしくは大地が隆起すると、穴のなかを充たしていた水は排水され穴は剥き出しになる。石灰岩洞窟の誕生だ。   世の中に「建築」という言葉も概念もない時代はもちろん、みずから簡素な家を作るようになってからも洞窟は貴重な住処であった。強固な家がないなか、雨風をしのぐのにこれ以上の場所はないだろう。過去数100万年間、洞窟はホロアナグマやホロアナハイエナなど食物連鎖の上位の動物たちに占有されていた。しかし、人間が火を自在に使えるようになってからは、人間が洞窟の主となる(たとえば古舘、2021★1)。   さらに、地下水で溶かされた滑らかな溶解面は巨大なキャンバスとなる。アルタミラやラスコーなどの壁画が描かれたのは石灰岩洞窟の壁である。   時代が少し下っても、石灰岩と人間の付き合いはつづく。古代エジプトのピラミッドは石灰岩を積み上げたものだし、古代ギリシアのパルテノン神殿やデルポイ神殿もしかり。古代ローマのコロッセオは石灰岩や大理石が一度溶け、自然に再沈殿したもの(トラバーチンという)で作られた。そして、学校の美術の時間に習った《ミロのヴィーナス》やミケランジェロの《ダビデ像》をはじめ、多くの彫塑作品は、石灰岩が変成してできた大理石から彫り出された。   「古代の建築や美術品には興味がないよ」という方も、石灰岩土壌から生まれたシャブリやシャンパーニュのワインにはお世話になっているかもしれない。   そんな有名なものだけを挙げる必要もないだろう。われわれは子どものころから、「ファール、フェア」「タッチを割った!」と校庭やグランドにひかれた白線の外か内かで一喜一憂させられてきた。あの白い粉は石灰岩の粉末だ。そして何より、まさに今この瞬間も石灰岩を主原料としたコンクリートで作られた建物のなかであたふたしている。われわれと石灰岩の付き合いは長く深く強固なものだ。

世界の石灰岩

前編では、日本列島に見られるほとんどの石灰岩は付加体中に含まれていることを確認した。ここで「賢治の石灰岩」を語る前に、海外に見られる一般な石灰岩の特徴を押さえておこう。   fig.1は世界的な視野で眺めた炭酸塩岩の分布である。炭酸塩岩はカルシウムの炭酸塩からなる石灰岩に加え、石灰岩の変成岩である大理石、マグネシウムの炭酸塩であるドロマイト(苦灰岩)なども含めた呼称である。この図には石灰岩に加え、それらも併せて表示しているが、露出面積としては断トツに石灰岩が広い。



fig.1──世界の炭酸塩岩の分布(Goldscheider et al., 2020☆1より引用し一部修正)

☆1──N. Goldscheider, Z. Chen, A. S. Auler, M. Bakalowicz, S. Broda, D. Drew, J. Hartmann, G. Jiang, N. Moosdorf, Z. Stevanovic & G. Veni, “Global Distribution of Carbonate Rocks and Karst Water Resources,” in Hydrogeology Journal, 28, 2020, 1661-1677.

  地中海の周辺地域には広く石灰岩が分布していることがわかる。とくに目立つのがエジプトなどアフリカ大陸の北部。それと比較するとやや細切れに見えてしまうが、ギリシア、イタリア、フランスにも石灰岩は分布している。もう少し北、賢治にとって特別な存在である英国のドーバー海峡付近−ここは元祖「イギリス海岸」だ−も石灰岩だ。   ヨーロッパだけではない。マヤ文明が栄えた現在のメキシコ、ユカタン半島は半島そのものが石灰岩で覆われている。東アジアでいえば、中国の内陸部の南側で分布が広い。そのなかでも桂林や石林はCMなどでもおなじみだろう。   では、日本列島は、と眺めるとまったくない。前編でみたように、日本列島には石灰岩の鉱山が多数分布し自給率100%であるのに、この縮尺で表現すると日本列島に石灰岩はないことになっている。一つひとつの分布域が狭く表現のしようがないのだ。   前編で解説したように日本列島に分布する石灰岩は、基本的にはプレートの移動によって掃き寄せられた海山が付加したものだ。それとは分布が異なる世界の主な石灰岩はどのように作られたものなのだろう。石灰岩の成り立ちは多様で、かつ奥が深いのだが、以下では単純化して述べてみたい。   石灰岩は、基本的には炭酸カルシウムの殻をもつ生物の遺骸からなる。生物の種類は、サンゴ、コケムシ、有孔虫などなど極めて多様である。生物の力を借りず、無機化学的な作用で海水から沈殿するものもあるが、量的にはそれほど多くはない。   保存の問題についても考える。炭酸カルシウムの海水に対する溶解度は、圧力に依存している。水深が深い、すなわち圧力が大きくなるほど炭酸カルシウムは海水に溶けやすくなる。fig.2に古典的なデータを示したが、これに基づくと海洋の表層、水深数100m以浅では過飽和になっている。



fig.2──海洋における方解石の溶解度(川幡、2008☆2より引用)

海洋では、水深が表層数100mの範囲で、方解石(CaCO3)が過飽和となっていることがわかる。

☆2──川幡穂高『海洋地球環境学──生物地球化学循環から読む』(東京大学出版会、2008)269頁

  これを地質学に適用するとどうなるか。簡単にいえば、大陸棚に溜まった炭酸塩堆積物や海山の平頂部などに築かれた石灰質の礁など、海洋の表層に分布する石灰岩は海水に溶けにくいということだ。   一方で、海水面は地質学的な時間のスケールでは上昇したり下降したりする。fig.1に挙げた石灰岩の多くは、海水準が上昇したとき水没した大陸(そこは広大な浅い海に他ならない)に堆積したものである。   もちろん深海底にも炭酸カルシウムの殻などはもたらされるが、fig.2に基づけば、それらは徐々に溶けていく運命にあることがわかる。運良く、ほかの堆積物に覆われ海水から遮断されれば、石灰岩は保存される。しかし、それら深海底で形成された石灰岩が地表にもたらされることはごく稀である。   そのようなわけで、地球全体を眺めれば、水没した陸を含む、浅海で堆積した石灰岩が大部分を占めることになる。ひとつだけ、アフリカ大陸を例として示そう。これは約5,000万年前、新生代の始新世(ししんせい)と呼ばれる時代の地球の様子である[fig.3]。この時代、現在よりも地球は温暖で海水準は高い。



fig.3──新生代始新世の海陸分布(Wikimedia Commons☆3より引用)

☆3──By Ron Blakey - https://www.thearmchairexplorer.com/geology/paleogene-period, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=83234895(2026年1月15日閲覧)

  この時代のアフリカは、われわれの知るかたちと少し異なり、北側が水没して浅い海になっている。地中海は今現在よりも広かったのだ。この温かく浅い海を埋め立てていったのは、コインのかたちをした貨幣石(大型の有孔虫)などを中心とした炭酸塩堆積物である。エジプトの地質図[fig.4]をみれば、その分布がいかに広大かわかるだろう。ちなみにここに示した現在のエジプトの国土は、日本でいえば北海道と沖縄を除く、本州・四国・九州をちょうどすっぽりと覆い尽くすほどの範囲である。石灰岩の石材を使ってピラミッドを作ったことが地元からの材料調達という意味でいかに理にかなっていたことかがわかる。



fig.4──エジプトの地質図(Abdel Zaher et al., 2018☆4より引用し一部修正)。炭酸塩岩(石灰岩を主とする)の分布域が広大であることがわかる。

☆4──M. Abdel Zaher, S. Elbarbary, A. El-Shahat, H. Mesbah & A. Embaby, “Geothermal resources in Egypt integrated with GIS-based analysis” in Journal of Volcanology and Geothermal Research, 365, 2018, 1-12.

 

賢治にとっての石灰岩

さて、賢治にはなしを戻そう。   東北砕石工場時代の賢治が残した文章に「炭酸石灰はイタリーでは2000年前から、ドイツでは100年前から使われている」というものがある★2。この「炭酸石灰」は賢治の造語で、石灰岩を粉末にしたもの。「使われ」には「土壌の中和剤として」という補足がいる。賢治は、岩手、そして東北の畑という畑に、この炭酸石灰をすき込みたいという野望をもった。   賢治の子ども時代、宮沢家のなりわいは質屋・古着屋であった。古着屋はともかく、質屋では、その重要な顧客が貧しい農家の人々。天候が悪く、不作の年になればなるほど、宮沢家の収入が増えるという構造に、幼い賢治は心を痛めていた。この稼業は、子ども時代の賢治が存分に遊ぶ権利を保障した。そして、それを生産する農家が、盆・正月にしか口にすることができない、混じりっけなしの白米だけで炊いたご飯を、毎日腹一杯になるまで食べ成長することもできた。しかし、その一方で心に大きな傷も残してしまっていたわけだ。   このことは、どうすれば農民の力になれるのかという信念の醸成、そして賢治の進学先(盛岡高等農林学校)と就職先(稗貫郡立稗貫農学校、東北砕石工場)の選択、さらにはみずから羅須地人協会を立ち上げたことに決定的ともいえる影響を及ぼしている。   岩手の大地を覆い尽くす黒ボク土は、その名のとおり黒く、いかにも肥沃にみえる。だがその実、植物にとって必須のリン酸を土中から手放さないというやっかいな性質をもつ。含まれる粘土鉱物がリン酸と強固に結合してしまうためだ。盛岡高等農林学校を卒業する際に提出した論文『腐植質中ノ無機成分ノ植物二対スル価値』でも、その点に触れている★3。   黒ボク土の畑に過剰のリン酸を施肥するなどして、なんとか土壌を改良したとしても、別の問題も出てくる。土がどんどん酸性に傾いてくるのだ。植物が根からミネラル分を吸収する代わりに水素イオンを土中に吐き出してしまうからだ(たとえば、藤井一至『大地の五億年』★4)。であれば、これは避けようがない。豊作が続き、野菜を収穫すればするほど、畑からはミネラル分が取り去られ、水素イオンが蓄積していくことになるのはものの道理だ。   農家はさまざまな方法で、この現象と闘ってきた。農閑期に、里山から集めてきた葉っぱや雑草をすき込む、もしくはそれらを焼いた木灰を播くなどが基本だろう。   「石っこ」である賢治は別の方法を提案した。石灰岩を畑にすき込めばよいのだ。   岩手にもうひとり、同じ野望を持つ者がいた。東北採石工場を経営していた鈴木東蔵である。東蔵がはじめて賢治を訪ねてきたのは、賢治33歳の冬。羅須地人協会で無理を重ね、急性肺炎を患った賢治が小康を得ていたときらしい。   2人は意気投合。ついに「サラリーマン賢治」の誕生に至る。そして、東蔵は結果として、賢治がその生涯でもっとも多くの手紙を書いた相手となる。

赤道付近にあったイーハトーブ

それでは、賢治が畑にすき込みたいと考えていた石灰岩(東北採石工場の「炭酸石灰販売案内」には「石炭紀海百合石灰岩」とある★5)はどのようにしてできたのだろう。まず彼が契約を結んでいた東北採石工場付近の現在の様子をみてみる[fig.5]。この図の右上の方に南北に延びた白っぽく見えるのが石灰岩である。露点掘りのため、植生のない岩肌がみえている。さて、これらの石灰岩はなぜそこにあるのだろう。それを理解するためには、それらの地層が含まれる南部北上地域の成り立ちを追いかける必要がある。



fig.5──現在の岩手県一関市と東北採石工場付近の様子(GoogleMapを引用し一部加筆)

  北上山地は大きな山塊であり、広大な岩手県にも収まりきれず、北は青森県、南は宮城県にまで達する。Google Mapの衛星モードで北上山地を眺めてみると、垂直に立てたサツマイモのような一続きの山地に見えるかもしれない。しかし、その地質学的な成り立ちは北部と南部で大きく異なっている。   北部北上帯は付加体。海溝におけるプレートの沈み込みに伴って形成されたものだ。この用語(付加体)は日本のほとんどの石灰岩の成り立ちを説明する際にも登場した。   一方の南部北上帯はそれとは異なる。現在の南部北上は本州の北東端に位置しているが、約5億年前、巨大な大陸の縁で産声を上げたようだ。やがて、大陸から分離し、小大陸としてさまよい続けた。fig.6とfig.7は、それぞれ南部北上の誕生から約1億5,000万年、約2億2,000万年が経過した時代の復元図である。



fig.6──古生代、前期石炭紀の大陸配置(永広、2017☆6より引用し一部修正)

☆6──永広昌之「3.1 先新第三紀の構造発達史」(日本地質学会編集『日本地方地質誌2 東北地方』2017、105〜119頁)

 



fig.7──古生代末、前期〜中期ペルム紀の海陸配置とアンモノイドの古生物地理区(永広、2017☆6より引用し一部修正)

  南部北上の地層に含まれるアンモナイトやサンゴなどの化石の種類や類似性の研究から、その小大陸は南中国と寄り添いつつ、オーストラリアから徐々に距離を隔ててきたと考えられている。また、とても温かい海に囲まれていたようだ[fig.7]。   永年北上山地の地質の研究をしてきた永広政之は、この小大陸を「南部北上古陸」と呼称した★6。わたしなどは、イーハトーブと聞くとついつい空気が冷たく澄んだ大地をイメージしてしまうのだが、じつは常夏の時代もあったのだ。   南部北上古陸は小さいとはいえ大陸であるので、当然、山もあれば川もあったろう。古陸の周りには大陸棚があり、そこにさまざまな堆積物が溜まることになる。また、現在の日本列島と同様に、古陸の近くには海溝があり、そこではプレートが沈み込んでいた。   fig.8には南部北上の層序を示した。これによると古生代のシルル紀から中生代の前期白亜紀まで、途中、いくつかの無堆積や侵食、そして火山活動をともないつつもさまざまな堆積岩が積み重なっていることがわかる。



fig.8──南部北上と秋吉石灰岩の層序の比較(南部北上は「川村信人の個人ページ」☆7、秋吉台は佐野、2007☆8より引用し一部修正)

☆7──「古生代島弧としての南部北上帯」(『川村信人の個人ページ』https://mak-kawa.sakura.ne.jp/My_GeolArticles/skitakami_volc-arc/skitakami_va.html)(2026年1月8日閲覧)

☆8──2.3.1 佐野弘好「秋吉台とその周辺の古生界」(日本地質学会編集『日本地方地質誌6 中国地方』2009、33〜44頁)

  主な石灰岩は、古生代のシルル紀、石炭紀、ペルム紀に見られ、南部北上古陸の周りの大陸棚に溜まった石灰岩であることがわかる。中生代になると、砂岩や泥岩など陸が削られてできた破片(砕屑物とよぶ)が卓越する。大括りには、古生代には火山活動が活発ななかその合間に石灰岩を溜め、古生代の末から中生代には火山活動が収まり、陸は削られる一方になった様子がみてとれる。古陸の周りの浅海は、おもに泥を溜める海になったようだ。

石灰岩の比較

ここで、これまで登場した石灰岩の堆積した場と石灰岩の特徴を整理しておこう。   大陸に見られる広大な石灰岩地帯[figs.1, 4]は、海水準が上昇するなどして水没した大陸上[fig.3]に堆積したものだ。そのため一般に分布が広く、連続している。海水準が変化したり、大陸の河川の流路が変化したりというような出来事の影響を受ける。その結果は、たとえば石灰岩の間に砂岩が挟まったりという産状に現れる。また、石灰岩の部分にも泥や砂の粒子が入りやすく、一般に石灰岩の純度は低いという傾向がある。   日本列島に分布する大部分の石灰岩は、外洋域に形成された海山がプレートに載って移動している最中に堆積したものだ(前編fig.5)。そのため石灰岩としての純度は極めて高い。堆積場の後背地に陸がないので、砕屑性の砂岩や泥岩も挟まない。やがて、石灰岩を載せて海溝まで運ばれた海山は、崩壊しながら沈み込んでいく(前編fig.9)。現在、地表に現れている石灰岩は、マントルまで沈み込むのをまぬがれ、陸側に付加したものだ。日本列島は、古生代のペルム紀や中生代のジュラ紀に付加した地質体が広く分布するため、必然的にこのタイプの石灰岩が多数を占めることになる(前編fig.4)。   最後は、漂泊する小大陸の周りの浅海で堆積したものだ。この稿では「賢治の石灰岩」とした。大陸の周りで溜まるという点で最初の石灰岩に似ている。一方で、その場で隆起して露出するのではなく、小大陸とともにプレートに載ったまま長距離を移動したという意味では2番目の石灰岩にも似ている。賢治は行きがかり上、人生終盤でこの希少なタイプの石灰岩と巡り会ってしまったわけだ。

まとめに代えて

前編・後編を通し、宮沢賢治と石灰岩の付き合いを鍵としつつ、石灰岩のなりたちについてみてきた。それにより、日本列島には海山上に発達した石灰岩が付加する際に取り込まれた「破片化」した石灰岩が多数分布していることがわかった。一方で、「賢治の石灰岩」は海山ではなく、小さな大陸のまわりで堆積した石灰岩であった。   その賢治の石灰岩を溜めた南部北上古陸は巨大な大陸の縁で誕生した。やがて分離し、赤道付近をさまよいつつ、周りの海では石灰岩など堆積物を溜めながら徐々に北へと移動した。賢治の用語をもちいるとすれば、イーハトーブは何千kmも移動してきた、といえるだろう。   賢治が東北の畑という畑に石灰岩をすき込もうとしていたとき、これは賢治の人生でいえば最晩年にあたるが、この時期に前後して取り組んでいたのは、『銀河鉄道の夜』の第4回目の改稿である。   「われわれは物語を語り、語ってはまた語りなおすことで、死の不安に耐えている」。   ブライアン・グリーン『時間の終わりまで』からの一節だ★7。賢治は死の足音が徐々に現実味を増していくなか、自らの大切な物語『銀河鉄道の夜』に向き合い、「語ってはまた語りなおす」を繰り返していた。この物語で賢治は「銀河鉄道の旅」の終着点を南半球の星座である南十字星においた[fig.9]。東北地方の岩手に暮らす賢治は、当然ながら実際には南十字星を眺めたことはない。法華経に深く帰依しつつも、キリスト教にも共感を示していた賢治は、十字架に思い入れがあったと理解されている。



fig.9──銀河鉄道の旅路(谷口、2020☆8より引用し一部抜粋)

☆8──谷口義明『天文学者が解説する 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』と宇宙の旅』(光文社、2020)344頁

  『銀河鉄道の夜』をモチーフとした作品のひとつに伊与原新『青ノ果テ』がある★8。そこでは「カムパネルラが死なない世界」が重要な鍵となっていた。この良質な物語に触発され、かつ勇気ももらい、わたしがついつい妄想してしまうのは、「賢治が死なない世界」である。   「石っこ」であった賢治は歳を重ねつつ、やがてプレートテクトニクスを学ぶだろう。そして、自分がかつて売り歩いていた「海百合(ウミユリ)石灰岩」が、石炭紀の時代には赤道域に位置していた南部北上古陸の周りで溜まったものであることも知る。その南部北上古陸の上に立てば、南半球の星座も見えたはずだ。さらに、星大好き賢治は、南十字星を構成している星々が比較的若く、石炭紀にはまだ誕生していないことにも気付く[fig.10]。



fig.10──南十字星を構成する星々とその生成年代(Wikimedia Commons☆9より引用し一部加筆)。生成年代のデータはそれぞれの星のWikipedia英語版を参照した。南十字星の星々は新生代新第三紀に輝きはじめたことがわかる。南部北上古陸が赤道域にあったころ、南十字星は存在していなかった。

☆9──https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Crux_and_Southern_Cross.jpg(2026年1月15日閲覧)

  おじいさんになるまで長寿を得た賢治は、やがて羅須地人協会で飼うことになった牛の世話をさせようと、近くの学校まで引いていき、孫を赤面させたかもしれない。しかし、「永遠の未完成」を創作の糧とする賢治は孫に煙たがられるだけではなかったろう。   科学的な研究成果を吸収し続けた彼は、かならずやその成果を『銀河鉄道の夜』に反映させたはずだ。さて、長寿を全うした「改稿魔」賢治は、どんな『銀河鉄道の夜』第xx稿を残していただろう。石炭紀、南部北上古陸の周りの温かく浅い海でゆらゆらと揺れるウミユリの群生。満天の星々の輝きはすさまじいほどだが、そこには南十字星はない。そんな「カーボニフェラス海岸(石炭紀海岸)」の様子を描いていたのだろうか。   謝辞   岩手県立図書館サービス第2課(郷土資料)大森里美様、「石と賢治のミュージアム」館長菅原淳様には文献をご紹介いただくとともに、貴重な情報提供をしていただきました。記して感謝申し上げます。   注 ★1──古舘恒介『エネルギーをめぐる旅──文明の歴史と私たちの未来』(英治出版、2021)416頁 ★2──宮沢賢治『宮沢賢治全集10 農民芸術概論 手帳 ノートほか』(筑摩書房、1995)682頁 ★3──同 ★4──藤井一至『大地の五億年──せめぎあう土と生き物たち』(ヤマケイ文庫、2022)312頁 ★5──★2に同じ ★6──永広昌之「3.1 先新第三紀の構造発達史」(日本地質学会編集『日本地方地質誌2 東北地方』2017、105〜119頁) ★7──ブライアン・グリーン『時間の終わりまで──生命、心と進化する宇宙』(講談社、2023)686頁 ★8──伊与原新『青ノ果テ──花巻農芸高校地学部の夏』(新潮社、2020)286頁   いとう・たかし 1964年宮城県生まれ。博士(理学)。地質学、鉱床学、地学教育。茨城大学教育学部教授。日本地学教育学会副会長。宮城県立古川高等学校卒業、山形大学理学部地球科学科卒業、筑波大学大学院地球科学研究科博士課程修了。NHK高校講座「地学」講師(2005~2012)。著書=『日本列島はすごい──水・森林・黄金を生んだ大地』(中公新書、2024)。主な共著書=『物質科学入門』(朝倉書店、2000)、『地球全史スーパー年表』(岩波書店、2014)、『海底マンガン鉱床の地球科学』(東京大学出版会、2015)、共編著=『変動帯の文化地質学』(京都大学学術出版会、2024)。   【Issue vol.1】 鏡の日本列島 1:「真新しい日本列島」の使い方を考えるために/Mirrored Japan 01: Towards the Development of “Mirrored Japan”/镜中的日本列岛 1:思考“全新的日本列岛”之使用方法 【Issue vol.2】 鏡の日本列島 2:日本列島のかたち──なぜそこに陸地があるのか/Mirrored Japan 02: The Shape of the Japanese Archipelago -- How nature shaped its current form/鏡中的日本列島-2:日本列島的形狀──為何那裡會有陸地? 【Issue vol.3】 鏡の日本列島 3:鉄なき列島/Mirrored Japan 03: Archipelago without Iron/镜中的日本列岛-3:无铁之岛 【Issue vol.4】 鏡の日本列島4:芭蕉と歩く「改造」後の日本列島/Mirrored Japan 04: The “remodeling” of the Japanese archipelago and its expression in the works of Basho/镜中的日本列岛-4:与松尾芭蕉同游“改造”之后的日本列岛 【Issue vol.5】 鏡の日本列島5:「お国柄」を決めるもうひとつの水/Mirrored Japan 05: Water from deep determined the characteristics of the Japanese archipelago/镜中的日本列岛-5:决定列岛特征的深层之水 【Issue vol.6】 鏡の日本列島6:列島の肥料(前編)/Mirrored Japan 06: Fertilizer of the Archipelago (Part 1)/镜中的日本列岛-6:列島的肥料(前篇) 【Issue vol.7】 鏡の日本列島6:列島の肥料(後編)/Mirrored Japan 07: Fertilizer of the Archipelago (Part 2)/镜中的日本列岛-7:列岛的肥料(后篇) 【Issue vol.8】 鏡の日本列島8:『最果てが見たい』──それぞれの富士/Mirrored Japan 08: “I want to see the very end”—Each Mt. Fuji/镜中的日本列岛-8:“我想看到最后”──每座富士山 【Issue vol.9-1】 鏡の日本列島9-1:賢治と石灰岩(前編)/Mirrored Japan 9-1: Kenji Miyazawa and Limestone (Part I)/镜中的日本列岛-9-1:賢治与石灰石(第一部分) 【Issue vol.9-2】 鏡の日本列島9-2:賢治と石灰岩(後編)/Mirrored Japan 9-2: Kenji Miyazawa and Limestone (Part II)/镜中的日本列岛-9-2:賢治与石灰石(第二部分)
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